さぼてんにっき -3ページ目
ついに8月も末
英語に焦点をあてた
人生の振り返り記事の
今回は社会人編〜現在までの
最終回
長い間お付き合い
ありがとうございます
新卒で入った会社は
ちとブラックめな会社で
年収低めで毎日遅くまでサビ残
時間もお金もない感じ
お金を使わずに
どう時間を作って
英語をやるか?が課題
できれば参考書とか
あれこれ買いたくない
帰りも遅いから
落ち着いて勉強できるのは運転中
疲れちゃって週末は
金曜日に布団に入ったら
日曜の夜まで寝る生活だったし
もはや
廃人
ちょうどその頃父から
ヒアリングマラソンで
力が付いたという情報を得て
あれこれやり方を考えて
以前に買っていた
お気に入りだったアグリベティで
シャドウイングにトライすることに
まず日本語で聞いて
どんな話をしているのか
全体を把握して
次に英語に直して
1週間に一話ずつ聞いてました
いや〜
ニューヨーカー?
口はえー
ついて行けぬ
諦めずにシーズン4つ分
大体80話くらい聞きました。
基礎ができてない人が
1番やっちゃいかん手法なのに
良くやったな
おかげか?
英語の語順のまま
読めるようになったとはいえ
リスニングはキツかったんだけど
英語の語順が馴染んだかも?
でも文法がふわふわだったから
ベストなやり方ではなかったな
あの頃の自分に伝えるなら
基礎英語音読しな
だな
テキスト安いし
でもそこは
続けられなかった手前
手を出したくないと意地を張る
基礎はできてるって
信じたかったのもある
文法を一からやり直すのは
量的にハードル高いし
この頃はまだ英語の勉強法を
ブログにしてくれてる人が少なくて
文献不足。
これ以上有益な情報は見つけられず
それでも
シャドウイング中は
英語に集中出来ているおかげか
日本語が入って来ず
カーナビの道案内(日本語)を
何度も聞き逃し
曲がり損ねる
一生目的地に辿り着かねぇ
力はついたのかも?
この頃から少しずつ婚活が
気になり出して
交際した人もいたんだけど
理系の人だからか英語は苦手で
海外旅行も興味なさそう
一緒にいると
「このまま海外行くの諦めるのか?」 ってよぎりまして
私にとって一緒になる人も
「海外」は必要なワードなんだな
というのを知る経験になったかも
留学も考えたことはありますが
何を目的に行くのさ
とよぎり勇気が出せませんでした。
だからか?
留学行った人を見ると
嫉妬
転職して次に就職した会社は
ちょーホワイト
土日はゆっくり起きて
のんびりして何もせずに
時間だけがただ過ぎていく
そんな私の姿を見て母が
「英会話でもまた始めてみたら?」 と言われ英会話を再開することに。
いや、だから、あんた。
基礎やってくれ
英会話ではよりナチュラルな表現を学ぶ。
家では父も時々他の表現を教えてくれる
どのくらい強めの言い回しなのか
なぜか知っている
余命宣告は3ヶ月だった父も
3年も延命できた
あとどのくらい一緒にいられるのか
もしかするとずっと一緒に
いられるかもしれないし
いられないかもしれない
先が見えない中、
教えてもらえる限りを教わる
でも
癌ができた場所が脳だったため
少し人格が変わってしまって
いつもぼーっとしている父。
そんな今までと違うギャップが
受け入れられなくて
いつもイライラしていて
ぷりぷりしていた私。
もう少し楽しく出来たら良かったなと思う
それでも父は
「〇〇はなんていうか知ってる?」 と問題を出してくれて
答えると
「お!よく知ってんなー。 高い授業料払ってるだけはあるなー。」
とちゃちゃを入れながら嬉しそうに。
父は私の英語が身になるかより
私の英語が向上していくのを
楽しんでいるようでした。
もし、父がまだ生きてたら
海外旅行にもう一度一緒に行きたかった
父はドイツ語もある程度出来るので
スイスとかも良かったな
この頃
大学の時にとっていたフランス語が
全然出来てないのがもったいないなー
と思いまして
通信でフランス語を
一から勉強することに。
きれいさっぱり忘れてる
インプットとアウトプットを
バランスよく取り組みたかったので
を利用しました
何かのご縁か?
実は行く気はなかったのに
ドイツには経由やらで
今までに4回も行ってまして
ドイツ語面白そうと思った私は
ドイツ語も手を出す
使ったのはスパルタで有名な
ゲーテ・インスティチュートの
オンラインコース
田舎だから通いはムリだった
余談ですが
このコースは
基本は問題をゲーム感覚で
解いていって
自分の発音音声や独作文を提出
ネイティブの先生が
添削してくれるので
インプット、アウトプットが
バランス良いと思います
ただ、文法の説明は無いので
初級者向けの文法書を一通り見てから
取り組むことを強くお勧めします。
おかげか?
ハズレの先生にげんなりすることなく
楽しく勉強
日本のゲーテ・インスティチュートの
先生は当たり外れが激しい
なんて情報があったけど
向こうの先生は優しい人ばかり
日本人に似た
職人気質な文化でもあるので
細かいところまで
きっちり教えてくれる
独検も仏検も
英語で言う英検3級くらいまで上達
英語もできないのに
狂ってんな
おかげさまでドイツ語もフランス語も
オンラインショッピングの
レビューはなんとかわかるレベルに
もちろん、
発音小姑な私は
発音練習に余念がない
フランス語は単発で取った
オンライン仏会話で
ネイティブの先生に
「こんなきれいなR 今まで教えていて聞いたことない」
と言われるまでに
1週間ひたすらRだけ
練習しましたから
あの時はコジミ(母)に
「うるせー。 聞いてると肩に力入って
疲れるからやめろ。」
って言われたっけな
英会話では
日常生活からビジネスまでを
取り扱ってもらったんだけど
3カ国語同時進行
父が亡くなった後も
英会話は続けていて
どうしたらもっとレッスンが
活用が出来るのか
英作文してみたり
教わったフレーズを覚えてみたり
今まで経験したこと
私の嫌いなこと、好きなこと
続けやすいこと
最適なトレーニング方法の
知識を総動員して
トレーニング計画を組み立てる
でも
あれこれ考えて実践してたんだけど
中々続かず
たぶん、私の場合は
こういう場面はどう言うの?
みたいな
自分が表現したい
知りたいっていう欲求が
強くならないと続かないのかも
もしくは
今まで吸収してきたものを
アウトプットして
さらに定着させるためにやる
つか、教科書使って会話を学ぶのは
先生いなくてもできる気がする
英会話はあくまでも
インプットじゃなくて
アウトプットの場
それと、私の場合
どんな英語スキルを身につけたいのかを
具体化させる必要があるなと気づいて
TOEICの点数なんかも
気になってはいましたが
それよりも
話す
聞く
書く
読む
をバランスよく力をつけたい
海外で不自由なく暮らせる
ネイティブレベルになりたかった
その力が付けば
自ずとTOEICも点数は上がるはず
この頃
仕事では設計しかやってなくて
それがただただ
苦痛
仕事辞めちゃおうかな
とフツフツしてた時期で
できれば休日は
一切仕事のこと考えたくない
なのにビジネス英語で
仕事の話
嫌になり段々英会話から
足が遠のく
そのうち結婚が気になったり
段々頭がごっちゃに
もう少し楽しい人生を送りたいのに
思うように人生が前に進んでる気がしない
とうとう英会話も語学も一旦お休みして
自分と向き合うことに集中してみることに。
ここから私の
自己受容が始まる
そして3年くらい経った今年の2月。
なんか英語またやりたいなー と思い立ち
時たま気になってサーチした感じだと
英会話行く前に基礎文法を落とし込まないと
ダメらしいということを知りまして
基礎英語を
大人買い
現在、基礎英語の音読に
取り組んでいるわけです
イマココ
ここに来るまで
自分の続けられるやり方や
効果のあるトレーニング方法
といった
自分に合ったやり方を
模索してきましたが
今が1番うまくいってると
実感してます
何より続いてるし
今に至るまでの経験は
私の得意な検索力と分析力と
違うトレーニング方法を
アレンジして組み合わせるのが
好きで得意な気質を
さらに磨き育てていたのかもしれません。
あと課題クリアするための
アイディア出しと閃きトレーニング
自分が出来ていないスキルを洗い出す
俯瞰力も鍛えられてたかも
ここまで来るには間違いなく
父の経験と知識も活きている
と思います。
当時は
父が亡くなってこの先大丈夫か
心配にはなりましたが
英語でTry & Error してきた経験が
ドイツ語とフランス語の勉強で
活きていたなと振り返って思いました。
これは
父から教われる全てのことを
教わり尽くしたんだなとも思う。
今はまだ
しっくりくるやり方を見つけたとは言え
まだ土台の部分しかできてない気もします
ここから先はいかに
自分が楽しめる形に変えていくかが
キーポイントだと思ってます
相変わらずの深掘り検索力で
ユニークなやり方を
見つけられる日を
やばい
あと1週間しかない
頑張らねば
またもや人生の振り返りの記事が
滞っております
ということで
3年ぶりに開催される
花火大会の待ち時間に
記事を書いてます。
折角の花火なのに雨という
田舎なので泥靴がいいかなと思い
持ってる中で最もボロい
靴底が剥がれかけてる靴で来たら
中グズグズっていう
そんでもって
雨の中傘さして
折り畳み椅子に座り花火を見上げる姿は
シュールでしかない
それでも私は書いております
大学の合格が決まり
英語を一旦お休みして
フランス語を選択することに
大学に入学してまずやったのは
フランス語の先生の吟味。
なぜって?
語学って先生次第で
その言語が好きになるかどうかが
決まるから
父も同意見
むしろ強く言われた
高校の時は
英語の先生が4人もいたけど
正直
全員授業が面白くなかった
だから、妥協はしない
フランス語の授業を片っ端から聴講する
フランス語の先生は
クセのあるハズレの人が多くて
この人、先生向いてなくない? と思うような人も
ちっとも面白くねーんだ。
寝ちゃったし
ちゃんと全て聴講して正解
最後の最後に受けた女性の先生に
明るくて朗らかで
説明めっちゃ分かりやすっっっ
授業がこれまた面白い
デザインの選択授業とカブってるけど
蹴ってまで取る
あとはフランス人の先生の
授業も取ることに。
リアルな発音を
初級から聞くのは大事
フランス語は英語と発音が
似ているところもあって楽勝?
Rの発音だけは1週間くらい練習した
英語で発音の大切さは身に染みている
だから
発音に関しては
小姑な私
英語以外の語学を始めてみたはいいものの
どこから手をつけたらいいかわからない。
ひとまず文法だな
とあたりをつけた私。
父に相談すると
「NHKのラジオでフランス語もあるぞー」 と情報を仕入れ
試聴してみると
その年は面白いで評判の講師コンビで
めっちゃ面白いし
説明もわかりやすい
シンクロリン♪
フランス語を受ける運命だったのか
英語のラジオ講座はムリだったのに
毎朝早起きして
半年間、一つも漏らさず受けられたのだ
基礎英語は続かなくて
ずっと劣等感を感じてたけど
やれば続くじゃん
いや、面白ければ続くんだ。
面白く楽しくやるのが
私には必須ということだ。
だから
続かないのは
NHKのせい
ちゃうやろ
楽しかったのはいいものの
フランス語も身にならず
この頃は復習の仕方が
相変わらず全然わかってなかった。
フランス語って形容詞が
名詞の後ろに来るんだよね
目的語の位置も少し違う
英語と勝手が違くて混乱
あの頃の私よ、音読しなさい。
フランス語も音読が早道だと思う
それでも
意味はわからなくても
文字は感覚で読めるまでに。
大学2年のある日
友達が英語の感想文で悩んでいて
文を少し見てみる
ん〜
文法がなんか違うような?
あれ?「he」の後ろの動詞って
sつかなかったっけ⁇
もはや
たったの2年で英語を忘れた私
三人称単数すら怪しいレベルに
落ちるところまで落ちたな
ウケる
でも、英語、やっぱり楽しい。
英語好きだ。
英語をやってるとほっとする。
それだけ私の人生に
根付いているってことかも
電話で父に文法を確認する。
父はそんなことも忘れたのか?なんて言わずに
「そうそう。それであってるよ。」 って丁寧に解説してくれる。
小学生編でも書いたけど
やっぱり父は
興味があればやれば?な姿勢で
私の興味関心に委ねていてくれたのかも。
大学では友達と大学主宰の
ヨーロッパ研修旅行で
約1か月間で7カ国回る旅に出た
やっぱり海外の自由な雰囲気がいい。
日本の人目文化から解放される旅。
何か縛られていたものからも解放される
1か月もいると海外の文化にも触れられた
やっぱいい。
住みたい。海外
ここにとどまりたいわ
でも、仕事は何するん⁇
自分が何が向いてるのか
何がしたいのかよくわからん。
ひとまず英語頑張るか
と着地
大学4年は少し時間もできて
英会話を一年だけ再開
あんた、いい加減
基礎できてないのを認めなさい。
英会話より文法が先じゃっ
この頃は自分の英語レベルが低いのを
受け入れられてなかった
基礎が出来てないのに英会話やるのは
今思い返すとすごく勿体ない
大学4年
卒制と就活と
決まらなさ過ぎて嫌になった私は
一人旅で
ニューヨークへ
ヨーロッパのデザインは
一通り見たから
アメリカのデザインは
どんな感じかを見たくて渡米
なんか日本と似てる?
日本よりアイディアが
イキイキしているけど
細かい、洗いやすさとか
使いやすさは
日本の方がよく考えられている印象。
何より1番印象的だったのは
ライブ演奏に人が足を止めて
一緒に踊る人がいたり
日常を楽しむ人々がなんかいい
何より、現地の人が何を話してるのか
もっと聞き取れるようになりたいと思った
絶対面白い話してる
今の私の目標は
読む
聞く
書く
話す
の英語力を全体的に底上げして
完璧に英語をマスターすること。
その原点はココ。
現地の人の会話を
盗み聞き理解したい
大学は東京だったんだけど
バイトは地元で
なぜかバイトも就活も
東京じゃ決まらない
毎週末実家に帰り
土日にバイト
月曜日の朝に父の車出勤で
途中の駅で降ろしてもらい
東京へ帰る生活をしてました。
父の朝は
基礎英語1
基礎英語2
基礎英語3
をラジオで運転しながら
聞くのが日課で
口頭英作文
シャドウイング
を中心にトレーニング
私も一緒にやってみる
基礎英語1はなんとか
基礎英語2からはタジタジ
基礎英語3は歯が立たない
父とシンクロしながら
シャドウイングに
口頭英作文
楽しい
父との英語のトレーニングが
すごく楽しい
高校の時よりさらに出来るようになってる
自分の成長も実感
それと
歯が立たない私の横で
私より長くシャドウイングも
英作文もこなす父
師匠を隣に一緒にやってる感じ
この時ほど師弟関係を感じたことはない
英語の勉強ってこうやるんだよって
教わったことの集大成を見せてる感じ
同じレベル
いや、このレベルを
超えられるように頑張りたい
と思った
毎週父と一緒に取り組む
英語の時間を
噛み締めるように
取り組む
なんか
小さい頃からなんとなく
父と過ごす時間が貴重というか
惜しいというか
一瞬一瞬を大切にしていた
大学卒業直前
父の脳に癌が見つかった
ずっと
父と過ごす時間が惜しくて
貴重な感じがしていたのは
こういうことだったのか
とこの時悟った
父はいつも遮らずに
最後まで私の話を聞いてくれて
斜め上の視点からアドバイスをくれ
どうしようも無い時は
冗談に変えて返してくれる
私の人生で唯一
私を本質から理解してくれる人だったから
英語とか人生とか
一人でこれから大丈夫かとか
不安と心配でいっぱいになった
あの頃の私に伝えるなら
父に頼りきっているようで
自分の力で十分、
生きていける力がついてるよ
って伝えてあげたい
ここまでの人生を振り返ると
父から英語の勉強に関しても
教えてもらえる全てのことを
教えてもらったなと思う
大学時代の私の英語のテーマは
一度英語から離れて
私の人生にとって
英語とはどんな存在なのかを
見つめ直す期間だったのかも
それと
フランス語を通して
英語を見つめてみる時間
そして父の手から少しづつ
独り立ちするための
最初の時期でもあったのかも
この経験があったからこそ
英語の面白さがわかったし
私にとっては
ルーツでもあるんだってわかった
実はどれほど英語が
好きだったのかもわかった
海外旅行の経験も
今の私の目標でもある
現地の人が何を話してるのかを理解して
異文化をより楽しみたい
というところに繋がっている
そして何より
私は面白くないと続けられない
ということを知れた
この経験があるおかげで
今、英語の勉強で
ひたすら問題を解くような
勉強法は取り入れてないし
内容が面白い教材じゃないと
例えどんなによく考えられていても
使わない
こういうところが
父とはだいぶ違うなと
思いました。
親子で好きなことが似てるとはいえ
合ったやり方は千差万別ってこと
使えるとこだけいただきっ
先日から心配していた
在宅勤務がなくなるかも問題
ひとまず9月末までは
今まで通りの運用になりました。
まずは一安心
でも10月からが心配。
そのまま忘れて
今まで通りにしておくれ_(꒪ཀ꒪」∠)_
ま、心配しても
どうにかなるんだよないつも
さて
幼児から通わせたら
英会話教室任せでも
英語を習得出来るのか?
の実体験を赤裸々に記事にしております
発音はそれなりだけど
喋れない末路を大公開中
8月は私の誕生月で
ある意味人生の元旦でも
あるのかなと思うので
8月中には英語×父の人生の振り返りを
終わらせようと思ってます。
英語×父に焦点を当て始めたら
数年前に登録した転職サイトが
急に思い出したかのように
連日のようにメールが。
旅立ちのサイン?
ちょっとまだ心の準備が
今回は高校生編です。
ちなみに、英語ばかり書いてますが
私は地理が大好きで
世界地図眺めてどんな風景か想像したり
他の国の特色や地形を知ることが
行ったこともない国を知れて至福
海外にまつわることだったら食らいつく
でも世界史はキライ
高校は英語に特に力を入れていて
英語の授業が4つも組まれている進学校
それだけでは飽き足らず
毎週単語のミニテストが。
私は単語だけ覚えるのが苦手で
そのやり方に納得いかない
そんなやり方で覚えたって
会話には活きないと
わかっている私は
単語の暗記をやらなかった
父からは
例文と一緒に覚えた方が
使い方
シーン
も覚えられて
定着もしやすくていいと言われていて
その方が私も覚えられる
でも単語帳の例文
日常生活からかけ離れていて
全く面白くない
つーか
そんなで
興味が湧かず
ご想像に安い点数しか取れませんでした。
テストで優劣をつけられて
ますますやりたくなくなる
毎週劣等感
授業も文法、構文ばっかり。
会話?なんだそら?
な授業内容。
完全に受験特化型。
おもんな
もううんざりしてしまった私は
受験も網羅出来て
会話にも活かせる勉強法を独自に探り
カリキュラムを試行錯誤し始める
5歳から始めた英会話も受験を理由に
中学2年で辞めてしまい
自力で勉強方法を編み出すしかない
父に何か勉強法がないか探りを入れてみたり
本屋で良き英語の本がないか見てみたり
興味を持った「ハンナモンタナ」を
英語で見てみたり
シャドウイングしてみたり
ちなみに
父の文法解説付き
そこ、自力じゃないんだ
意外と会話に関係代名詞使ってる
ディズニーの歌詞を覚えてみたり
意外と文章になってていいかも?
とにかく、
自分に合った
面白くて楽しい方法で
英語力の底上げがしたかった。
受験もあるけど
英会話スキルも諦めたくない。
ある日、本屋に立ち寄ると
「英語回路」なる
キャッチフレーズを見つけまして
なんでも
ネイティブと同じ速さで
音読できるようになると
聞き取れる文が増え
TOEICの点数が上がるとな
今は絶版
代わりに似たやつ
今までに聞いたこともない
本文も日本文化の紹介や
野球の松井選手の子ども時代の話やら
面白い話ばかり
早速買ってやってみる
しかも再刷された日付が
私の誕生日というシンクロ
これは間違いない。
運命的出会い
結果、この本は
私のターニングポイントになりました。
一生懸命速く読む私の横で父は
そんなに速く読もうとしないで
ゆっくりやれ
とは言われましたが
ひとまずスルー
だって
こっちの方が面白いし効果の程が知りたい
この頃、私はまだ返り読みしてました。
主語、目的語、動詞を行ったり来たり
でも、この速読をやってみたら
その返り読みから卒業出来たんです。
語順のまま理解ができる。
て思いました。
内容を日本語で理解してから
取り組む大切さ
でも、この当時を振り返ると
たぶん最も効果があったのは
音読だと思います。
本に決められた読む回数がありましたが
もっと速く!
滑らかに!
読みたくなり何度も読んだことが
効果があったのだと思います。
職人気質が珍しく功を奏した
語順のまま理解が出来ると
教科書も世界が変わったかのよう
速読の本に出てくる単語も
文のストーリーと一緒に
覚えられて忘れない
一石二鳥🪨🦆🦆
英語の語順のまま理解が出来ると
英会話でも文の組み立てがラク
今、基礎英語を使った勉強も
この速読のメソッドを
ベースにしてます
もはや私にとって
家宝
今振り返ると、このやり方を
教科書でやったら
基礎も受験も網羅出来たな
高校で教わる文法も
会話するには外せない。
定着させる必要があったし。
こんなんでも
受験は第一志望大に合格。
芸術学部は第二外国語が無いので
1カ国語だけの選択でOK。
英語にはもう
失望 うんざりしていた私は
フランス語だけを選んだ。
大好きだった地理の先生が
英語の次に話されている言語がフランス語で
やっていて損はないんじゃないかと
ヒントをくれたから。
父も大学ではロシア語をとっていて
私が英語以外に触れることには
特に何も言われなかった。
高校時代は私にとって
他の人がやっていない
面白くて楽しい勉強法を
編み出しながら体験するがテーマ
だったのかなと思います。
父に聞き、本を漁り
自分なりに組み合わせてアレンジしてみたり
実際にやってみて無理がないのか
自分に合っているやり方なのか
探っちゃ白紙にして
探っちゃ白紙にして
何より楽しくて楽な
最短コースが希望だった
この頃に
調べて挑戦して
体験してくれたおかげで
今では
どんなカリキュラムだと
効果が出て続けられるのか
自分を理解できているように思います。
そのおかげで
今、必要なものを組み合わせて
さらにオリジナルのやり方を
生み出せている。
この体験を振り返って思うのは
父と私では合う勉強法が少し違うということ。
父は決めた目標に向けて
基礎を地道にコツコツやれる人。
でも私は楽しさと面白さがないと
やる気にならない。
地道な基礎とか好きじゃない
むしろ、他の人と同じ勉強法で
レベルが上がる気がしてなかった
大学の学部選びの時に
英語か芸術か迷って
父に
「デザイン行きなよ。 語学ってツールに過ぎない。
語学を使って何をしたいのか
が大事だよ。」
と言われデザインを選択しましたが
大正解だったなと
振り返って思います。
英語にうんざりしたまま
国際系の学部に行っていたら
今頃、中退したか
卒業しても大して糧に出来てなかったかも。
強いて当時の自分に言うなら
せめて、もう少し文法の落とし込みに
在宅勤務してると
どうしてもサボり癖が出てしまいまして
飽きるとついスマホに手が伸びる
そんでサボってることに罪悪感が
悪いとはわかってる
夕方の定時頃になると
罪悪感との戦いでぐったり
プロジェクト立ち上げの頃は
やること、私にしか出来ないことが
沢山あって
やる気に燃えて
時間を忘れて没頭出来たんだけど
今は完成に近づいて
落ち着いちゃってさ
全然面白くな
私はもっと
エネルギーを注ぎたいと思える
サボってることに
罪悪感を感じているせい?
会社から急に
「在宅勤務は働き方改革ではなく
コロナ対策の一環です。」
と御達しが来まして
在宅勤務する時は上司の許可を取れって
そんなん
いちいち許可取るなんて
めんどくさっ
つーか、今もオンライン上で
許可取ってんじゃん。
これは?
コロナにかからないと
在宅勤務出来ないってこと⁇
感染を防ぐのも
コロナ対策じゃないんですか⁇
1番盛り上がってる時期に
そのジャッジ、
目を疑うわ
そして
出社すると必ずぐったりしてしまう
私には在宅勤務出来ないなんて
来週出社したら真意を問い正そう
皆様もくれぐれも罪悪感には
お気をつけ下さいませ
そんなん引き寄せるのは
お前くらいだっ
ついに
終わった
基礎英語1の1月号が
1週間で終わらせるはずが
2ヶ月半もかかった
しばらくやらないと
思うように口が回らない
次は2月号
年内に基礎英語2を終らせる‼︎
どんどん目標がゆるくなっていく
英語と父親に焦点を当てた
人生の振り返りをしています。
小学生の時は
何したらいいのか、わけわからず
学習計画の甘さが今思い返すと否めない
動詞?名詞?
なんだそら?レベルだったしな
それは
父と過ごす時間が少なかったせい
もあるなと
書き終わってみて感じています。
父と英語に焦点を当てた人生の振り返り
小学生編
中学校は幸運なことに?
先生は授業を極力英語のみで行ってくれた。
みんなが英会話に慣れる為
という配慮だった
授業は文法の説明の後に
習った文法で英作文を作り
クラスの子と作った英作文を出し合う
そして友達が作った英作文を
配られたプリントに書き出す
今思い返すと
ナイスなアウトプット。
これだけで
英作文
会話練習
発音練習
リスニング
ディクテーション
が出来る
でも何かが足りない感じがしていた。
英会話ってコミュニケーション。
習った文法で英作文もいいんだけど
生きた会話になってない。
そして中学生は受験がある。
どんなに先生が工夫してくれても
テストは正解か間違いかの座学。
会話には全くスポットが
当たってないテスト内容
そのギャップがますます違和感。
小さい頃から英語に触れていた私からすると
喋るためのスキルを身につけたい
とはいえ受験もあるし
抵抗しても成績にも響く
受験対策も出来て
会話スキルも身につく勉強法は無いのか
そんなん
どうしたらいいのかわからない
英会話から程遠くて残念な気持ちも広がる。
父に相談すると
「(会話のための勉強が したいのもわかるけど)
中学で習う内容は英会話の基礎に
なるから真面目にやってごらん。」
と言われる。
当時は
「え〜。面白くない。」 って思ってたし言ってたけど
色々な勉強法を調べて試してみて
ごもっともなご意見
だと思います
小学6年くらいから
私は基礎英語を父から提案され始めた。
今、基礎英語をやっている
悩みの元凶
この時は続かず
中学で仕切り直し。
でも続かない。
ラジオを聞きっぱなしで
活かし方がわからなかったのだ。
何より講座のストーリーが
全く面白くない。
続かない自分にも失望
続けられなかったのは
きっちりやろうとする私の性分もあったかも
大人になってから
一念発起してみて実感したことは
ラジオ講座は予習より
復習で音読を何度もやった方がいい
それだけでも結構力がつく
小学生の頃よりも
起きている時間が長くなり
父とは顔を合わせられるように
勉強していて中々理解出来ないと
相変わらずイラッと声を立てられ
こんなに怒りんぼだったことにびっくり
教わるの嫌んなっちゃう
自力でやった方がマシと
思うこともあったけど
嫌々めげずに
辞書のひき方
例文にも目を通して意味を確認する方法
発音記号の読み方
TDLの発音方法
を教わった
発音は父からするとまだまだで
私が英文を読み上げると
「何言ってるか分からない」 って。
耳穴かっぽじって
よく聞け
中学時代に父から
シャドウイングのやり方も
教わったんだけど
父の方が私より長く文を言えて
きーっっっ ってなる
英語の勉強を一緒にしているときは
なんだか師弟関係のように感じで
師匠目指して頑張る感じ
だから食らいついていられたのかも
中学校に上がっても
父は相変わらず海外出張が多くて
それでも
コミュニケーションを取る時間が
増えたおかげで
父の仕事をする姿がよく見えてくるように
英語を使いながら
海外で仕事をしている父の姿に
『わたしも英語を使って
海外で働いてみたいかも(*ᵒ̴̶̷᷄ωᵒ̴̶̷᷅*)』
海外で働くことに憧れるように
でも一体何をするのか?
本当にそんなこと出来る⁇
肝心の
何したいかは決まってない
中学3年の時に英語の選択授業で
私は朗読を選んだ
朗読のテスト対策は
もちろん、父に手取り足取り教わる
抑揚
アクセント
切るところ
この時
英語はアクセントと抑揚が大事って
初めて知った
おかげで先生も発音できないものを
発音出来るまでに力がついた
私にとって中学時代のテーマは
大人が提示した勉強法に
違和感を持つ時期だったのかなと思います。
自分に合ったやり方を模索する原点
それと、
基本的な勉強法を
身につける時期でもあったかな
この基礎があるからこそ
今、自力でカリキュラムを考えてみたり
やり方をアレンジしてみたり
出来ているのだと思う
勉強方法を手取り足取り
教えてくれたおかげで
今、誰にも教わらずに
自力で勉強も出来ている
なんならドイツ語とフランス語の
勉強にも活きている
こうして振り返りながら書いてみて
イラッとされることに
嫌悪を感じていたけど
彼の意識に焦点を当ててみると
まずは自力で調べたりして
それでも分からないことを
聞いて欲しかった
のかもなと思いました。
事あるごとに
辞書引け
文法書見ろ
自力でやらないと力つかない
って言われていたのは
そういうことだったか
でも、人に聞く前にまずは自分でやって
なるべく自分で解決しようとするのは
今の私の仕事のベーススタイルと似ている
全く専門でもないのに設計に対して
全てわかっていないといけない
という観念は
このトラウマから来ていたのか。
色々な勉強法を知っている今、
あの頃にもし戻れるなら
習った表現を使って
毎日3行日記を書いて
週末に父に添削してもらうのも
良かったかもなーと思いました。
そのあと、日記を音読するのも良き
父はネイティブの表現もよく知ってたし
これなら受験のための文法も定着するし
会話のためのナチュラルな表現も身につく
あと抑揚とアクセントの癖づけも
ま、お年頃でしたから
日記なんて見せたくならなかったかもだけど
あの頃のインナーチャイルドを癒す
じゃないけど
あの頃やれば良かったじゃんと
思うことをやってみようと思いまして
今日から基礎英語で学んだ文法を使って
Twitterで発信してみようかな