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Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

イスラエルがガザ地区へ攻撃をした時、被害を受けたガザ地区の少女が「私たちが何をしたっていうのよ」と訴えていました。

5、6歳の子供だったと思います。

 

遊牧民の世界の時間を生きることは日本人にはできない。

 

ギリシャ神話のクローノス(時間)は首の長い怪物で、自らが生んだ子を追いかけて食べてしまう、ゼウスだけがその首に跳び乗って食い殺されるのをまぬかれたと。

 

遊牧民は、クローノスの首に跳び乗っているのが常態なのである。たまたまクローノスの鼻先を駆ける人間が出れば「真理をもつ人」(悟った人)すなわち指導者なのである。この国では「人も獣も草も木も大地から出て大地に帰り」、大自然は文字通り永遠に動かない。時の経過に乗って自分も同じように過ぎて行く。こういう世界では「永遠とは今」であり「千年も一瞬もともに神の時」である。

 

日本人とは「九十日の民」

日本人はまさにクローノスの鼻先をかけている。生きるために米を食べ、米を食べるために米をつくり、その米をつくるために追いまくられ、そのクローノスに殺されないために米を作り、その米を作るためにクローノスに追いまくりる...という循環をくりかえしてきた。

珍しくもクローノスの首に跳び乗って悠々としている人を見ると、悟りを開いた人だといって感心する。

 

武力攻撃を肯定するつもりはないけれど、安全な島国で、九十日で季節が変わる日本人には、パレスチナの問題は、想像もつかないほど、根深い。

そして、5,6歳の子供では想像もつかないような長い歴史があります。

 

参考文献 日本人とユダヤ人 山本七平

水と安全とサービスがタダだと思っているのは日本人だけだ。と1990年代くらいまでは、頻繁に聞いた言葉です。

日本では、水道水は飲めるし、窓は開け放ち、玄関の鍵を閉めない家があるほど安全だったし、飲食店やホテルを利用してもチップを払う習慣はない。

そんな日常だったと思います。

 

そんな日本人の感覚ではイスラエルは理解出来ません。

 

「内なるゲットーと外なるゲットー」と言ったのはユダヤ人国家の父、テオドール・ヘルッェルである。ユダヤ人はゲットーに押し込められている、が、ゲットーの内部にいる限り、安全である自由である(少なくとも普通の国ならば)。しかしひとたびそこから外部に出、いわゆる「同化ユダヤ人」になるなら、自分の精神のまわりを黒幕で包んで、全く心にもない生き方をしなければならない

いわば隠れ切支丹が仏教徒として振舞ったように生きなければならない。

 

しかし、そうやっても、いつかはばれる。ばれた時のお仕置は、隠れ切支丹が受けたお仕置よりももっとひどい。炭火でじわじわと焼き殺されるなどというのは、まだまだ軽い方であったろう。そこで、毛すじほどでも身に危険を感ずれば、何もかも放り出して逃亡しなければならない。

 

(隠れ切支丹のお仕置を詳しく知りたい方は、遠藤周作の「沈黙」を読むと良いかと思います。

ヨーロッパの宣教師が「日本人は頭が良い」と評したのは、何も宣教している時のみならず。隠れ切支丹弾圧の方法も、人間が考えられる人間に対する残酷なまでのお仕置。そして救いがないと評されます。

それがよく分かると思います。)

 

ユダヤ人国家の提唱者、前述のヘルッェルが、いわゆる同化ユダヤ人の出身であって、この「内なるゲットー」の苦しみをなめつくした人であること、そしてこの人が、この二つのゲットーの両方から逃れ出るには、ユダヤ人国家創設以外に道がないと考えたこと、それは少しも不思議ではない。

 

1948年にイスラエル建国から現在まで続くパレスチナの中東戦争・パレスチナ紛争は、ユダヤ人の「安全にはコストがかかる」という考え方から、コストのかからない安全な地を手に入れるための戦いでもあるかと思います。

 

参考文献 日本人とユダヤ人 山本七平

2005年、愛知県で開催された愛・地球博のヨルダンパビリオンで死海を体験出来る。と話題になりました。

私は愛・地球博には数回足を運びましたが、そこへは行きませんでした。

 

死海が死海と呼ばれる理由は、塩分濃度が極めて高く、魚などの生物がほとんど生息できないためです。通常の海水の塩分濃度が約3%なのに対し、死海は30%以上にも達し、その高濃度の塩分が生物の生存を不可能にしていることが、その名の由来です。

この塩分濃度の高さから人が自然に浮くのです。

 

大陸というものが、裂けたり、移動したり、ぶつかってヒマラヤのような山ができることは、読者もご存じだろう。裂け目はふつう海になるのだが、死海の周辺は、たまたま海とつながっていない部分に深い裂け目ができた。雨が少ないので流れ込んだ水は蒸発してしまう。そこで海面よりも四〇〇メートルも低い空間がさらされているという特異な状況が生じるのだ。

 

死海はただの塩水湖ではありません。

 

旧約聖書の時代、ソドムとゴモラのエピソードでロトの妻が塩の柱となります。日本にいたらこんなエピソードは生まれないほど、死海が地の果てであることが分かります。

 

参考文献 ユダの謎 キリスト謎 三田誠広