リブログ記事「幸せ」の勘違い ③存在する目的
この記事の中で、私たちが存在する(生きる)目的というか、意義というか、意味って、なんだろう?と問いました。私たち人間に限らず、ありとあらゆるものが存在する(生き物の場合は、生きる)目的って、何なのでしょうか?目的や意味というと、言葉がニュートラルでなくて、語弊があるかもしれません。目的や意味をよりニュートラルに捉えたものとしての、要点、といったところでしょうか。こんな問いかけをしたのは、存在と非存在の違いこそが存在の要点を指し示す一つの切り口になると思うからです。存在することとしないことの違い。つまり、「存在すること」に固有で、「存在しないこと」では得られないものごと。それは、存在そのもの(物理的なボディ)と、それをを通した経験です。生き物だったらそこに在ること、そのことで周辺環境と触れ合い、感覚器官を通して感じるあらゆる感覚だったり、変化していく過程。無生物の場合もそこに在ることと、そのことで周辺環境と触れ合い、変化していく過程。たとえば人間だったら肉体そのもの、気持ち、思考、五感を通した感覚、体や気持ちや考えの変化など、●その人(肉体という物質)が●その時●その場所に存在するからこそ起こる、全ての経験・体験。つまり、人生(生まれてから死ぬまでの時間)を構成する、全ての現象です。たとえば木だったらその物質的な成長と衰退枝に小鳥が止まること太陽の光を浴びて光合成をすること雨水を吸収することなど、●その特定の木が●その特定の時に●特定の場所に存在するからこそ起こる、つまりその木の一生の中で起こる、全ての経験・体験(現象)。無生物、石の場合はその物質的な変遷過程の全て。たとえば、火山の噴火と共に噴出され、海岸に転がり、一つの石となり、長い時間、波に洗われて段々と丸くなりといった、●その石と呼ばれる物質が●その時●その場所に在るからこそ起こった、様々な現象の全て。存在することとしないことの違い。「存在すること」に固有で「存在すること」により立ち現れ、「存在しないこと」によってでは不可能なこと「存在しないこと」を通してでは起こり得ない・体験し得ないこと。それは私が、今、ここにいることで現れる、全ての経験。つまり、存在すること生きることの要点は、人生で起こること・感じることの、すべて。これが「存在の目的とは」という途方もない問いに対する、あまたある答えの中の一つの可能性なのではと思います。関係ないですが、クリスマスに焼いたチキン。左上のルビー色のものは、フィンランドでロソリと呼ばれるサラダ。ビーツと野菜をさいの目に切って、ピクルスのような甘酸っぱい汁に漬けられています。冬のこってりしたお料理に、さっぱりした風味がさわやか。この深紅の色が大だーい好きこの考察に少し自信がついたのは、サイケデリック(注)で軽度の幻覚状態を体験した友人に「そう、存在の目的は、存在そのものなんだよ。その考察、オレが見たビジョンと一緒!」と言われた時です。"The purpose of existence is existence itself."アフリカ系カナダ人の友人で、リモートワークができるソフトウェアエンジニア。年に数カ月か、日本にワーケーションをしに来ます(注)サイケデリック 元はアメリカ大陸などの原住民族が儀式に使っていた、薬草やキノコ類から成る精神薬で、現在はトラウマやうつ病などの精神疾患を含む、医療への応用が研究されています。人生を俯瞰する経験ができると、マインドフルネスを学ぶ人々の間でも関心が高まっています。 こちらはサイケデリックに関する日経ビジネスの記事 →世界で進む、科学とビジネスの「サイケデリック・ルネサンス」そう言われたとき、私が思索で辿り着いた場所がサイケデリックで見えるビジョンと一致しているなら、全く的外れなわけじゃないかもしれない・・・と、嬉しくなりました。そして先ほど書いた存在すること、生きることの要点は私が、今(この時代に)、ここにいるからこそ立ち現れる、全ての経験。つまり、人生で起こること・感じることの全て。このことが、藤本さきこさんが「全て喜び」「全部幸せ」と表現するものと、とても似ているのです。「出会い・別れ嬉しさ・悲しさ生まれること・消えること見えるもの・見えないもの良いこと・悪いこと好きなこと・嫌なことこの世で真逆に見える様々な出来事。『幸せ』っていうのは、表面的な『そのどちらか』にあるものではなく、その『どちらにも流れる同じもの』に、宿っている。」引用:本シリーズの次回の記事では、この類似について、もう少し説明します。