この記事の中で、私たちが存在する(生きる)目的というか、意義というか、意味って、なんだろう?と問いました。
私たち人間に限らず、ありとあらゆるものが存在する(生き物の場合は、生きる)目的って、何なのでしょうか?
目的や意味というと、言葉がニュートラルでなくて、語弊があるかもしれません。
目的や意味をよりニュートラルに捉えたものとしての、要点、といったところでしょうか。
こんな問いかけをしたのは、
存在と非存在の違いこそが
存在の要点を指し示す
一つの切り口になると思うからです。
存在することとしないことの違い。
つまり、「存在すること」に固有で、
「存在しないこと」では得られないものごと。
それは、存在そのもの(物理的なボディ)と、それをを通した経験です。
生き物だったら
そこに在ること、
そのことで周辺環境と触れ合い、
感覚器官を通して感じるあらゆる感覚だったり、
変化していく過程。
無生物の場合も
そこに在ることと、
そのことで周辺環境と触れ合い、
変化していく過程。
たとえば人間だったら
肉体そのもの、気持ち、思考、五感を通した感覚、体や気持ちや考えの変化など、
●その人(肉体という物質)が
●その時
●その場所
に存在するからこそ起こる、
全ての経験・体験。
つまり、人生(生まれてから死ぬまでの時間)を構成する、全ての現象です。
たとえば木だったら
その物質的な成長と衰退
枝に小鳥が止まること
太陽の光を浴びて光合成をすること
雨水を吸収することなど、
●その特定の木が
●その特定の時に
●特定の場所に存在するからこそ起こる、
つまりその木の一生の中で起こる、
全ての経験・体験(現象)。
無生物、石の場合は
その物質的な変遷過程の全て。
たとえば、火山の噴火と共に噴出され、
海岸に転がり、
一つの石となり、
長い時間、波に洗われて段々と丸くなりといった、
●その石と呼ばれる物質が
●その時
●その場所に在るからこそ起こった、
様々な現象の全て。
存在することとしないことの違い。
「存在すること」に固有で
「存在すること」により立ち現れ、
「存在しないこと」によってでは不可能なこと
「存在しないこと」を通してでは起こり得ない・体験し得ないこと。
それは
私が、今、ここにいることで現れる、全ての経験。
つまり、
存在すること
生きることの要点は、
人生で起こること・感じることの、すべて。
これが
「存在の目的とは」という
途方もない問いに対する、
あまたある答えの中の
一つの可能性なのではと思います。
関係ないですが、クリスマスに焼いたチキン。
左上のルビー色のものは、フィンランドでロソリと呼ばれるサラダ。ビーツと野菜をさいの目に切って、ピクルスのような甘酸っぱい汁に漬けられています。冬のこってりしたお料理に、さっぱりした風味がさわやか。
この深紅の色が大だーい好き
この考察に少し自信がついたのは、
サイケデリック(注)で軽度の幻覚状態を体験した友人に
「そう、存在の目的は、存在そのものなんだよ。
その考察、オレが見たビジョンと一緒!」
と言われた時です。
"The purpose of existence is existence itself."
アフリカ系カナダ人の友人で、
リモートワークができるソフトウェアエンジニア。
年に数カ月か、日本にワーケーションをしに来ます
(注)サイケデリック
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元はアメリカ大陸などの原住民族が儀式に使っていた、薬草やキノコ類から成る精神薬で、現在はトラウマやうつ病などの精神疾患を含む、医療への応用が研究されています。人生を俯瞰する経験ができると、マインドフルネスを学ぶ人々の間でも関心が高まっています。
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こちらはサイケデリックに関する日経ビジネスの記事 → 世界で進む、科学とビジネスの「サイケデリック・ルネサンス」
そう言われたとき、
私が思索で辿り着いた場所が
サイケデリックで見えるビジョンと一致しているなら、
全く的外れなわけじゃないかもしれない・・・
と、嬉しくなりました。
そして先ほど書いた
存在すること、生きることの要点は
私が、今(この時代に)、ここにいるからこそ立ち現れる、全ての経験。
つまり、人生で起こること・感じることの全て。
このことが、藤本さきこさんが「全て喜び」「全部幸せ」と表現するものと、
とても似ているのです。
「出会い・別れ
嬉しさ・悲しさ
生まれること・消えること
見えるもの・見えないもの
良いこと・悪いこと
好きなこと・嫌なこと
この世で真逆に見える様々な出来事。
『幸せ』っていうのは、表面的な『そのどちらか』にあるものではなく、その『どちらにも流れる同じもの』に、宿っている。」
引用:
本シリーズの次回の記事では、この類似について、もう少し説明します。