①《この広大な宇宙で「生命体が住むのは地球だけ」と考える方に無理があろう。》
二間瀬敏史『宇宙人に、いつ、どこで会えるか? 地球外生命との遭遇』
http://kunota506.com/2017/07/10/post-14939/#comment-972
にて、ご紹介しました。
②《宇宙は神が作った??神の気まぐれで生命体を造ったり造らなかったり。。。
そんな事を信じていること自体、「お縋り」以外のなにものでもない。》
思想信条は自由です。ただし、世界人権宣言の精神を共有する人類共同体の一員として生きることは、「アウトロー」(← “unlawful” で『仁義なき戦い』に陥って、世代間PTSD負の連鎖を起こす加害者型PTSD)に成り下がらないためには外してはならない条件=「人間の条件」です。
③《宇宙生命そのものは本然的にあり、条件が整えば新しい生命体として生まれ、死すればまた宇宙へ。》
これは、「宇宙生物学」であり、「宇宙現象学」の一部です。
④《「神の名の元に」とか「神の思し召し??」》
実際に人類史において実現される流れになってきた「世界人権宣言の精神を共有する《人類共同体》」の原型は《カリタス=“the principle of charity” =思いやりの原理》を共有する《信仰共同体》です。その《信仰共同体》でいう《神》とは、
小坂井敏晶『責任という虚構』(2008年、東大出版会)
p. 159
「時代および文化によって人間観や世界観は異なり、それに応じてけじめのつけかたは変わる。しかし大切なのはけじめ自体」
p. 247から
「近代の超克を説くのでもなければ、宗教へ誘うのでもない。規範的思考で人間の世界を割り切ろうとする浅はかさを批判するだけだ。「神々を生みだす装置」(machine à faire des dieux)というベルクソンの美しい表現がある。むろんそれは社会に他ならない。デュルケムは言う。
無私無欲あるいは献身の心が生まれなければ道徳は始まらない。しかし我々が従う主体が我々個人より高い価値を体現しなければ、無私無欲の気持ちは意味をなさない。ところで現実の世界において我々以上に豊かで複雑な道徳的実在性を持つ主体は私には一つしか見つからない。それは集団だ。
註)ここでいう「集団」とは個人の線形重ね合わせではないないので「共同体」を意味する。
いや私はまちがっているかもしれない。同じ役割を果たしうる主体がもう一つある。つまり神だ。(…中略…)どちらを選ぶかに私はあまり関心がない。何故なら、社会が象徴的に把握され、変貌したものが神に他ならないからだ(強調引用者——傍点だった部分を下線に変更)。
神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける〈外部〉は生み出され続ける。虚構のない世界に人間は生きられない。
…というわけで、
註)人類社会の〈外部〉とは《人類共同体》のメンバーではない宇宙の静物/動物(無生物/宇宙生物)が構成する宇宙環境。宇宙生物=宇宙生命体と言えます。国際社会の一部を占める《部分集合》である日本社会の〈外部〉は、人類社会から日本社会を取り除いた部分です。
⑤ Q:それを言うなら自分自身が神であり、自分が望み願った通りに生きているだけ、と捉える方が自然ではないのか??
A:それだと、「アウトロー」(← “unlawful” で『仁義なき戦い』に陥って、世代間PTSD負の連鎖を起こす加害者型PTSD)に成り下がってしまうので、「人間の条件」を満たさねばならない…というわけで、話は②に戻ります。
⑥《生命は無限であり、それゆえに宇宙も無限。。》かどうかは不明です。因果関係が成立する範囲は無限ではないようです。宇宙現象学を進めましょう。
⑦ファンタジーやメルヘンで終わらないために、SDSSプロジェクトがありますので、宜しければ、ご参加ください。
元記事:
”★Qアノン 「UFO・宇宙の真実」に関する情報暴露!”
「無我なのにトラウマがある」状態については、
『PTSDの不思議「無我なのにトラウマとはこれ如何に❓」』
| 翠雨PTSD予防&治療研究所
決行前に…
『Linkin Parkボーカルも
| 翠雨PTSD予防&治療研究所
https://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/d1e1b05716bffe93c534cd6126ec6fce
『反時代的考察を深めるために碩学たちの声に耳を傾ける ― リークル vs カストリアディス、レヴィ・ストロース、ノルベルト・エリアス』
- 内的自己対話-川の畔のささめごと
読書はどうか、先日「静かな黄泉の国」というブログを書きました→
https://ameblo.jp/minshushugi/entry-12403914019.html
一言で言えば、高齢夫婦が放射性廃棄物の上に暮らさざるを得ない話です。命は3年しか存続しないが、その間は一応満足な生活ができる。
読書の秋
皆さまも、お大事に。