漢方薬のメリット | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

漢方薬の長所はいろいろあるでしょうが、その1つは、服用者とその身近な人たちが官能(=感覚器官の機能)的に部分的にであれ受け止められるところ——たとえば匂いがあったりすること——だと思います。

そのお蔭で、我が家の場合、だいいちにツレがあまり神経質にならないというのがあります。ツレは中がどうなっているか分からない、錠剤になった薬物は大嫌いです。たいがいの抗うつ剤(西洋薬)はツレにとってはブラックボックスで不気味なものなのです。つるっとした錠剤で、配偶者である私の脳の機能が左右されて断続的な亜昏迷を脱して寝たきり状態から起きてADLが上がっていくのを見て、こんなことでは人間まで変わってしまう危険さえあるのではないか?というふうに思うと、拒否反応が出るようです。

ところが、エゾウコギを煎じるときも四物湯(ツムラ71)や桂枝加芍薬湯(ツムラ60)を白湯に溶くときも、よい香りがするので、そういったものを飲むことには、ツレは抵抗を感じないのです。それは、こういうふうに匂いも味もよいものが、体に悪いわけがないというツレの「実感」なのです。そうして、体にいいものを服用して健康を取り戻して動けるようになるのであれば、「治った」と思えるのだそうで、トレドミンを服用して起き上がれたというのでは「治った」感じがしないそうです。

実感は、合理性に対して優位に立ってしまうわけですねぇ。これは、当然と言えば当然のことです。どのような哲学も、ず~っとほじくって行けば最後は何らかの「私は見た」(実感)に行き着くわけですから。

西洋薬の錠剤にえらく不信感を抱いているツレも、kyupin先生のブログで学習させ、お蔭様で少しマシにはなってきました。しかし、まだまだ、合理的な思考が、ツレの「実感」による薬物治療への嫌悪に勝つところまでは行っていません。しかし、将来は違ってくる可能性があります。kyupin先生がエゾウコギの推薦者ということも、ツレの脳内ではポイントが高いからです。私はツレとは違うタイプで、どんなに信頼されている偉い先生が仰ったことでも、できるかぎりのクロスチェックをかけないと気が済みませんが、ツレは「それを誰が言ったか」を重視するタイプなのです(ツレは「普通の人」ですから)。

何かと言うと「あの人が言っていたので確かだ」とか言うので、人間は間違うこともあるのだ~鵜呑みにするな~自分の脳みそも使え~と注意してあげています。「あの人が言っていたので確かだ」というのは、そう考えて言ってくださった「あの人」という
他人様の脳みそを活用した結果であり、それはそれで結構なのですが、他人様の脳みそだけでなく自分の脳みそも使ったほうがよいということです。これは、お医者様という専門性の高い他人様の脳みそを活用させていただくときにも言えることではないでしょうか。先生の仰ることに従うだけ(他人様の脳みその活用)で終わらず、たとえば処方を受けたら使用実感をフィードバックする(自分の脳みその活用)ことは重要だと思います。また、受けた処方の使用実感をフィードバックしていくうちに、患者側の「あれを試してみたい」というのも聞いていただける可能性が開けるように思います。

こういった医師—患者関係について考えるのに、昨日やっと届いた本
神田橋先生ほか(著)『精神科薬物治療を語ろう——精神科医からみた官能的評価』(日本評論社、2007年)p.14
参考になりました。服薬体験は、患者がしているので、「身体の持ち主でない精神科医が、患者さんの主観的体験に即応することには限界」があるわけですけれども、できるかぎり患者の主観的体験に即して対応していただくには、患者側の言語化が鍵になるということです。私個人の場合は、感情的な信頼感(たとえば「いい先生」と感じること)よりも、精確な言語表現、精確とは言えなくても「言い得て妙」(上掲書p.15)と感じる言語表現にウェイトがあります。そういうことを通して「お主(ぬし)、なかなかやるな」と思えるようになった医師であれば、ちょっと嫌なヤツだって構わないのです。顔も見たくないくらい、会うのがストレスになるような、ものすごく嫌なヤツだと困りますけど……(笑)。主体性の乏しい従順なばかりの患者を好むお医者様も確かにおいでですが、特に精神科に関する疾患では、それは好ましいことではないと思われます。最悪なのは、患者の言うことを頭ごなしに否定するタイプ。たとえば、私はトレドミンの血中濃度を体感するのですが、もしお医者さまが「作用機序を考えると、そんな筈はない」と仰ったとしたら、そんな医者は私は金輪際、信用しません。
「患者の気のせい」かも知れないが、作用機序に関する仮説のほうが間違っている可能性もある——と態度を保留するのが科学的な態度ですから、そういう態度の保留ができない精神科医は科学的な精神医学を推進できません。そして、8時間おきの服薬にしても別に現実的な支障はないので、患者の希望に添って15mg錠を3錠/日で処方してあげよう——というのが合理的かつ思いやりのある態度でしょう。そういう点から見ても、今の主治医は合格です。

ちなみに、こうしたトレドミンの使用実感は私には再現性のあるものですが、私の主観で再現性があるからと言って、私の「気のせいではない」と言うことは当然できません。これは、やはり症例を集めてみるしかないのです。kyupin先生の患者さんにも、そういう人がいらしたそうです(参考:拙ブログ『薬物療法:トレドミンの使用実感』)。kyupin先生も「患者の気のせい」かも知れないが、作用機序に関する仮説のほうが間違っている可能性もある——と考えることができる精神科医でいらっしゃるということです。もし、「作用機序を考えると、そんな筈はない」と一笑に付して「あなたの気のせいですよ」で終わらせたとすれば、先生の記憶には残らないでしょうし、ブログにお書きになることもなかったでしょうから。

こういう細かいところを見て、その知見を蓄積するのが私のやり方です。それは、天文学で行なう全天のディープスキャンのような感じです。望遠鏡なので限られた視野ですが、その観測点一点、一点を深く観測して、それに隣接するところに視野を移動させてまた観測します。気の長い話ですが、そうして観測された視野が全天を覆うようにスキャンすれば、全天のディープスキャンが完成するわけです。それと似たような感じで、私は、人間も他の社会現象も全体像をぱっと直観的に捉えられませんが、全体像が得られるまで態度を保留してディープスキャンを行なっているのです。私は「木を見て森を見ず」と誤解されることがありますが、私は森の木ばかりか足下のダニまでディープスキャンを行なってから、その森についての自分の観察を総括しているのです。これは、私の認知特性です。私は、全体像を私なりのやり方で捉えているのです。



話は戻って、口にいれる物に関するツレの実感——こういうふうに匂いも味もよいものが、体に悪いわけがないという実感——に合うエゾウコギの煎じ茶、四物湯(ツムラ71)、桂枝加芍薬湯(ツムラ60)は、私にとっても飲みやすいものです。家族の誰も嫌な顔をしませんからね!

さて、四物湯(ツムラ71)、桂枝加芍薬湯(ツムラ60)の飲み心地は、甘い香りと味で、美味しくいただけます(拙ブログ『四物湯と桂枝加芍薬湯の味見』)。飲み始め3日目ですが、脳の或る部分が温まってきたような気がします。これは「のぼせ」とは違う感覚で、たとえれば、冷やしてしまって痛くなったお腹に湯たんぽを当てるみたいな気持ちのよさです。こういう変なことを体感する人、ほかにもいませんかねぇ……? 脳の或る部分とは、頭の真ん中よりも上、つまり頭頂に近いほうに寄っていて、頭頂からだと頭の四分の一くらい下がったところです(笑)。気のせいかな?


漢方は、上掲書p.94の神田橋先生の発言によれば、5つくらいの生薬で成り立ち、めちゃくちゃいろんなアルカロイドが入っていて、しかもそれが効くのではなく、それを腸内細菌が食べて、そのウンコが効くんだ、という話まであるというので、笑いました。笑いましたが、真面目な話、腸内細菌の様子が変わるところまでいくには、何か月かかかりそうというのは納得できますし、アルカロイドを腸内細菌が食べてウンコを出してくれるには2、3日待てばいいかなと思うと、興味深いことです。私も、四物湯(ツムラ71)、桂枝加芍薬湯(ツムラ60)を飲み始めて3日経ちました。私は毎朝、いわゆるバナナうんちを排便していて、腸内環境は比較的良いほうだと思います。だから元気な腸内細菌がせっせとアルカロイドを食べてウンコを出してくれているのではないかと想像します(笑)。

あ~薬理作用とか作用機序とか言っても、それだけでは手が届かないところがある経験論の世界ですね……。だから官能(=感覚器官の機能)的評価なわけですね。これは、「感覚的評価」と言い換えることはできないんです。ここで「感覚的評価」と言ってしまうと、「投薬した精神科医の感覚的評価」という意味になってしまいますから。そうではなくて、
投薬を受ける「身体の持ち主」の官能(=感覚器官の機能)が問われるのです。服薬する患者が能動的に表現すること、患者が能動的に表現していなくても医者が患者を診て感受すること、自主服薬をして精神科医が自分の身体の官能(=感覚器官の機能)も活用すること、その3つから成立させられるのが「官能的評価」というわけですね(上掲書p.14)。

付記(2011/04/16):拝読ブログのエントリ
薬の試供品
http://usmletoer.exblog.jp/14560211/
> 「患者さんに飲ませる薬は、医師も一
> 度は飲むべきだ」
> と主張する人もいるが、健康な状態で
> 薬を飲むべきとは思えないし、
> その心意気は素晴らしいのかもしれな
> いが、人に押し付けず自分だけで実行
> して欲しい。
> 人は、「病気によって不快な状態」と
> 「薬によって引き起こされる不快な状
> 態」を天秤にかけて、
> 後者の方がマシだと考えたときに薬を
> 飲むのであって、
> 健康なのにわざわざ薬を飲んで不快な
> 状態になる必要はない。
> まぁ、要するに、医師に配る試供品の
> 目的がいまいちよく分からない、とい
> う話。

今は私、通院しておりませんが、もし主治医があれこれ「自主服薬」をなさって、具合が悪くなって診療に差し支えたら、そのほうが患者としては困るな~と思いました。

付記(2011/05/16):「毒味(毒見)」で具合が悪くなった実例。
拝読ブログのエントリ
体験・ジェイゾロフト
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10062660191.html
> ゾロフトのおかげで2泊3日で2~3kg
> 体重が減ってしまった。
>
> ところが、いざ患者さんに使ってみる
> と、みんなケロリとしていた。下痢の
> 副作用ですら、普段、便秘が酷い患者
> さんにはあまりみられないのである。
> あれから時間は流れ、ジェイゾロフト
> と名前を変え日本でも発売になった。
> 現在までかなりの人数に処方している
> が、僕のように激しい副作用に襲われ
> た人は全然いない。いったいどうなっ
> てんの? 僕の体が特殊というか、弱
> すぎただけであった。
>
> 人間の体は不公平にできてる。


ちなみに、上掲書p.94、神田橋先生の発言中に、
エビリファイがフラッシュバックに効くのを見つけた——と一言出てきます。エビリファイがぱっと目に入って頭に残ったのは、今拝読しているブログの主さんのなかに、エビリファイの処方を受けている若い人がいるからです。ご参考までに。