ヨハネによる福音

 〔そのとき、弟子たちはイエスに言った。〕16・29「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。30あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」31イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。32だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。33これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

 

 ヨハネ福音書13章半ばから始まったイエスの告別説教の終わりの部分です。

 イエスは「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言いますが、この言葉は迫害を受けるキリスト教徒たちにとってどれほど大きな慰めになったでしょうか。

 弟子たちは苦難の中で、「わたしはひとりではない。世に打ち勝ったイエスが共にいてくださる」と信じました。

マタイによる福音

 28・16そのとき、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

 今日は主の昇天の祭日です。

第一朗読の使徒言行録では、復活後イエスは使徒たちに四十日にわたって現れ、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」と命じた後、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられ」る様子が語られました。

 

 第二朗読の使徒パウロのエフェソの教会への手紙では、「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」と使徒パウロは説きます。

異なる文化、言語、政治体制、主義主張があったとしても、私たちはその違いを超えてキリストを主であると信じ、たたえることができます。

 

 マタイ福音書ではイエスが弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束します。

 

 イエスは天に昇られる前に、弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されます。イエスは、弟子たちのみている前で天に上げられ、「雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」のに、どうして世の終わりまで、弟子たちと共にいることができるのでしょうか。

 

 私たちが住むこの地球には国境があって、今でも戦争が行われています。しかし、天に国境はありません。そして坂本九さんの「上を向いて歩こう」という歌にもあるようにように、だれでも、ひとりぼっちで辛い時、かなしい時には天を仰ぐことができます。

 

 天で父なる神と共におられるイエス様は、いつでも、誰でとも、共におられます。そして天を独り占めできないように、誰も天に昇られたイエス様は誰にも独り占めできないのです。

 イエス様は弟子たちに「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」と教えて下さいました。

 同じ天の下にわたしたちはイエス様の兄弟や姉妹として生きているのです。

 

 新約聖書のヘブライ書には信仰を抱いて死んだ人たちのことが書かれています。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」と書かれています。

 

 そしてイエス様は弟子たちに、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」と言われました。

 

 パウロは「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」と言います。

 わたしたちは死んでも、消滅するのではなく、天の本国に帰ることができると信じています。。

 

ひとこと

 イエス様は、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」と言います。

 天の父は、ロシア人、ウクライナ人、イスラエル人、パレスチナ人、イランの人、アメリカ人にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださいます。どんな人の上にも、天が広がっています。誰でも天を仰いでお祈りすることができますが、誰も天を自分のものにすることはできません。

 

 天におられるわたしたちの父よ、みこころが天に行われるとおり、地にも行われ、世界に平和をお与えください。

アーメン。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・23「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。24今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」

 25「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。26その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。27父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。28わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

 

 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」とイエスは弟子たちに約束します。

 カトリック教会では、祈りの後に必ずと言ってよいほど、「わたしたちの主イエス・キリストによって」と結びます。

 プロテスタント教会では「主イエス・キリストのお名前によってお祈りします」と結びます。

 「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」というイエスの約束に信頼してわたしたちは祈ります。