ルカによる福音

 〔そのとき、〕11・29群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。30つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。31南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。32また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」

 

 本日の第一朗読はヨナの預言でした。ヨナ書は4章しかありません。全文を読んでみるといろいろと考えるポイントがあります。ご一読ください。

 イエスは、「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。」と言います。

 

「ヨナのしるし」とは何なのでしょうか。

 ヨナの書では、ヨナは不本意ながらもニネベの町(異邦人で、イスラエルの敵対者の町)へ行き、滅びを告げました。

 告げながらヨナ自身はニネベの人々が回心するするはずはないと思っていました。ところが異邦人のニネベの人々は、ヨナのたった一言の警告を聞いて、王から家畜に至るまで灰をかぶり、断食をして悔い改めました。

 イエスは、「ヨナよりも勝る者がここにいる」と言います。イエスの言葉を拒む律法学者やファリサイ派の人々に対し、警告だけで悔い改めたニネベの人々の「素直な信仰」を対置させたのです。

 ヘンリ・ナウエンは、この「ヨナのしるし」を、私たちの内面的な旅路として捉えました。

 ヨナにとって魚の腹の中は、逃げ場のない絶望の場所であると同時に、神と一対一で向き合う「祈りの聖域」でもありました。ナウエンによれば、私たちもまた、自分の弱さや孤独という「魚の腹」に飲み込まれる時期を経験します。

 ヨナが自分の計画を諦め、神の計画に「はい」と答えたとき、彼は新しい場所へと吐き出されました。「ヨナのしるし」とは、「自分の力を手放し、神の憐れみに沈み込むことで、新しい命へと引き上げられる」という霊的な法則の実践なのです。

 

祈り

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ

主に申し上げよ「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」と。

あなたは主を避けどころとし……

あなたには災難も降りかかることがなく

天幕には疫病も触れることがない。

主はあなたのために御使いに命じて

あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。

──詩編91:1-2, 9, 10-11

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・7あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。8彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。9だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。10御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。12わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。13わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

 14もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。15しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

 イエスが弟子に教えた祈りは、「主の祈り」と言われ、キリスト教会では最も大切にされ、あらゆる機会で祈られていると思います。

 わたしたちの祈りは神さまにお願いすることばかりが多いように思います。ひろさちやさんはそんな祈りを「請求書の祈り」と言っています。神さまに請求書を突きつけ、いつ叶えてくださるのかと口をとがらせたり、叶えられないと神はわたしの祈りを聞いてくださらないと落胆します。

 前段の「御名が崇められますように」、「御国が来ますように」、「御心が行われますように」という祈り、自分の願いよりも、父である神が讃えられ、神の国が到来し、神の御心が行われてこそ、後段の「わたしたちに必要な糧」が与えられ、「わたしたちの負い目が赦され」、「悪い者から救ってください」と祈ることができます。

 また、「わたしたち」とは、自分と同じ教会、教派の人たち、自分と利害が一致している人たちのことではなく、この地上に生きるすべての人、特に貧しく抑圧された人を含むと、わたしの師匠から教えられました。

 

祈り

主よ、わたしの心をあなたにまっすぐ向け続けることが、なぜこんなにも大変なのでしょうか。

なぜわたしの思いはあちこちとさまよい、あなたから離れてしまうのでしょうか。

なぜわたしの心は、迷わせるものへ強く引かれるのでしょうか。

この不安のただ中で、あなたがおられることに気づかせてください。

疲れた体と、混乱した気持ちと、安らぎのない魂を、どうか、あなたのみ腕の中に受けとめてください。

わたしを休ませてください。ただ静かに休ませてください。

 

 

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕25・31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

 41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 

 この箇所を読むたびにキリシタン時代のコンフラリア(兄弟会)、ミゼリコルジアの組が思い浮かびます。ミゼリコルジアはポルトガル語で慈悲という意味です。

当時キリシタンたちの間で組織されたコンフラリアは、組あるいは講と訳されます。この講は隣人愛を実践するためのものであり、その世話役を慈悲役と呼んだことから後になって、キリシタンの爺役に変化したという説もあるようです。長崎のミゼリコルジアの組は、創立2年で、会員100名、ハンセン病院2,養老院男女各1、孤児院1、墓地1を持っていました。

 このミゼリコルジアの組には7つの身体的な慈善のわざと、7つの精神的な慈善のわざがありました。

共に唱える祈り(おらしょ)とミゼリコルジアの組の活動が厳しい迫害の中でも信仰を絶やさなかった理由だと言われます。

 

○色身にあたる七〔つ〕のこと。

一には、飢えたるものに食を与ること。

二には、渇したるものに〔のみ〕物を飲ますること。

三には、膚(はだえ)をかくしかぬるものに衣類を与ること。

四には、病人〔と牢者〕をいたはり見舞うこと。

五には、行脚のものに宿を貸すこと。

六には、とらはれ人の身を請くること。

七には、〔人の〕死骸を納むること是なり。

○スピリツにあたる七〔つ〕のこと。

一には、人によき異見を加ゆること。

二には、無知なるものに道を教ること。

三には、悲みあるもの〔の心〕をなだむること。

四には、折檻すべきもの〔科あるものをいさむること〕を折檻すること。

五には、恥辱を堪忍いたすこと。

六には、ポロシモ〔隣人〕の〔誤り〕不足を赦すこと。

七には、生死の人と、また我〔ら〕に仇をなすもののためにデウスを頼みまつること

是なり。

 

 コンフラリアの起源はヨーロッパにあります。いつの時代、どんな場所でも、共に祈り、慈しみを実践する活動がキリスト教会の原動力です。

 

 聖ポリカルポについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=022302

 

祈り

愛する主よ、

あなたの思いやりと優しさをわたしにお示し下さい。

あなたは、柔和で心のへりくだったお方です。

よくわたしは、「主はわたしを愛してくださっている」とひとり言をいいます。

しかし、この真実のみ言葉は、あまりわたしの心の奥まで届きません。

この受難節が、わたしがあなたの愛に対して、

すべての抵抗を捨てることができる機会となりますように。

また、わたしをあなたのみ許近く呼び寄せてくださるときとなりますように。

アーメン。