マタイによる福音

 〔そのとき、〕13・36イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 

 イエスは「種をまく人」のたとえ、「毒麦のたとえ」、「からし種」と「パン種」の話を群衆にしました。

 弟子たちの求めに応じてイエスは「毒麦のたとえ」を説き明かします。

 良い種を蒔く者は人の子、イエスです。毒麦の種をまいたのは悪魔です。収穫の時が来て刈り入れるのは天使たちです。天使たちは毒麦、つまり、つまずきとなるものすべてと訃報を行う者どもを集めて、燃えさかる炉で焼きます。その時良い種から育った実である正しい人々は、父である神の国で太陽のように輝きます。

 畑の中には良い麦と毒麦が一緒に生えています。良い麦と毒麦をより分けるのは天使です。

 麦自身が自分はよい麦、他の麦を毒麦だと決めつけることはできません。そのことをわきまえて生きる必要があります。

マタイによる福音

 〔そのとき、〕13・31イエスは、別のたとえを持ち出して、人々に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

 

 「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」は詩編78編の2節からの引用です。

 「たとえ」はヘブライ語では「マシャール」です。日本語で「たとえ」と言えば、難しいことを分かり易く何かにたとえることだと思われますが、マシャールは、「なぞかけ」です。それは聞き手に決断を迫る力ある言葉です。

 天の国がからし種、パン種に似ているとイエスは謎かけをします。訊かれた人は、謎解きを迫られます。

 わたしたちはどのように答えるのでしょうか。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕13・44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」47「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。51あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

 

 本日のみ言葉は私たちに「あなたの宝は何か」と問いかけています。

 

 第一朗読は、ダビデの王位を継承したソロモンの夢枕に神が立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われると、ソロモンは「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」と答えます。すると神は、「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」とソロモンに答えます。ソロモンの宝は、自分の長寿や富、敵の滅びではなく、人々の訴えを聞き分けることのできる神の知恵でした。

ソロモンの知恵の名声は異国にまで届き、シェバの女王が贈り物を携えてソロモンを訪ねて来たと列王記に記されています。

 ソロモンの知恵は、神の恵みの賜物です。

 

 本日の福音で、イエスは三つのたとえを語ります。一つ目は畑に埋められた宝を発見した人のたとえ、二つ目は高価な真珠を見つけた商人のたとえ、三つ目は漁師が網を引き上げ中味のより分けるたとえです。

 最初の二つのたとえでは、宝や真珠を見つけた人がそれを手に入れるために持ち物をすっかり売り払ってしまいます。

 イエスはこのたとえを弟子たちに語られました。

 彼らはイエスと出会うことにより、自分の財産のすべてを捨ててイエスに付き従い、イエスによって使徒とされました。彼らにとって、イエスこそ宝であり真珠でした。

 三番目のたとえは漁師が仕掛けた網を引き上げ、網の中の獲物をより分けます。網を使った漁のたとえは、漁師だったペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネには分かり易かったのではないかと思います。

このたとえでは、獲物をより分けるのは天使ですが、イエスは「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」(25:31-33)と弟子たちに言います。

この場合の「より分ける」は神の最終的な裁きの有様ですが、使徒パウロは「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と自己紹介するときに同じ言葉を使っています。

イエスの弟子たちはラビの学校で学んだことはありませんが、知恵の教師であるイエスと寝起きを共にしながら学びました。その意味でイエスはご自分から学んだ彼らを「天の国のことを学んだ学者」と呼びます。

イエスは弟子たちをこのように力づけながら使徒としての使命を果たさせようとなさったのだと思います。

 第二朗読で使徒パウロは「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになった」と語ります。

 

 今日のみことばの問いかけは「あなたの宝は何か」です。わたしの宝、わたしが全財産をはたいても惜しくはない宝とは、本当にイエス・キリストでしょうか。

 更に、わたしが全財産をはたいても得たいと思う前に、イエス・キリストご自身が私たちを選んでくださったことを思い出す必要があります。

イエスは告別説教の中で弟子たちに次のように言っています。

 

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 

 イエスに選んでいただいた弟子として、「互いに愛し合いなさい」というイエスの命令を果たしましょう。