ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕9・22「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」23それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。25人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。」

 

 四旬節の歩みは昨日から始まりました。この歩みを進めるわたしたちに今日のみことば、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」はまことに適切だと思います。

 イエスに付き従うと決めて洗礼を受けたわたしたちが、その決意を新たにする時が四旬節の意義の一つです。

 今日のみことばにインスパイアーされて多くの殉教者が信仰の証しをしました。

 

ヘンリ・ナウエン『イエスの示す道 受難節の黙想』(YOBEL,Inc)には、40日間、毎日の黙想があります。

毎日、最後に祈りがあります。その祈りをご紹介します。

 

祈り

神よ、あなたはわたしたちの誰からも遠く離れてはおられません。

あなたの中に、わたしたちは生き、動き、存在しているからです。

あなたは、無知な時代を大目に見てくださいましたが、今は、どこにいる人でも、

皆悔い改めるようにと、命じておられます。

使徒言行録17:27-28,30より

 

 

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。5祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。16断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

 

 今日は灰の水曜日です。イエスの復活を祝う「復活祭」に向けた40日間の準備期間である「四旬節」が今日から始まります。

今日の典礼の中で、司祭は前年の枝の主日に使われた「枝」を燃やして作った灰を、信者の額に十字の形にしるします。これには二つの大きな意味があります。

 

1.灰を授ける際、司祭は「あなたはちりであり、ちりに帰るのです」(創世記3:19)と唱えます。これは、人間が神によってちりから造られた存在であることをわきまえ、その「死すべき定め」を受けいれる行為です。

2.旧約聖書の時代から、灰をかぶることは深い悲しみと「悔い改め」のしるしでした。これまでの自己中心的な歩みを離れ、神の方へ向き直る決意を表します。

 

ヘンリ・ナウエンと「ちりの中の愛」

ヘンリ・ナウエンは、この「ちり(灰)」という存在について、非常に美しい黙想を残しています。

 私たちは確かに「ちり」に過ぎませんが、神によって「愛されているちり」なのだとナウエンは説きました。自分の無力さを認めることは、絶望ではなく、むしろ「神の助けなしには生きられない」という真理に根ざした、深い安らぎの始まりです。

 灰は燃え尽きた跡ですが、それは同時に「新しい芽吹き」のための肥料でもあります。自分のエゴを燃やし尽くし、灰にすることで、復活祭において新しい命が芽吹く準備を整えるのです。

 

 飽食と情報の洪水の中に生きる私たちにとって、あえて「断食」をし、自分の「死」を想い、額に「灰」を受ける行為は、この世の価値観に逆行するものです。

 「もっと持て、もっと高く登れ」という世俗のパン種を捨て、「土に帰り、神の愛という根源に繋がれ」という、神への回帰を促しています。

 

祈り

まことの神よ、あなたを信じつつ、

回心と悔い改めの四十日を始めます。

キリスト者としての修練に耐える力を与えてください。

悪を退け、決意をもって、良き業をなすことができますように。

イエス・キリストのみ名によってお願いします。。

マルコによる福音

 〔そのとき、〕8・14弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。15そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。16弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。17イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。18目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。19わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。20「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、21イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。

 

 パン種はパン生地全体を膨らませる力を持っていますが、それが「悪意」や「誤った価値観」であった場合、知らぬ間に魂全体を腐敗させてしまいます。

 ファリサイ派の人々のパン種とは、自分たちを正しい者とし、それ以外の者を罪人と断罪する高慢です。

 ヘロデのパン種とは「保身と妥協」です。ヘロデはイエスを「死んだヨハネのよみがえり」ではないかと恐れました。ヘロデの疑心暗鬼はパン種のように人の心を蝕みます。