マタイによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。5祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。16断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
今日は灰の水曜日です。イエスの復活を祝う「復活祭」に向けた40日間の準備期間である「四旬節」が今日から始まります。
今日の典礼の中で、司祭は前年の枝の主日に使われた「枝」を燃やして作った灰を、信者の額に十字の形にしるします。これには二つの大きな意味があります。
1.灰を授ける際、司祭は「あなたはちりであり、ちりに帰るのです」(創世記3:19)と唱えます。これは、人間が神によってちりから造られた存在であることをわきまえ、その「死すべき定め」を受けいれる行為です。
2.旧約聖書の時代から、灰をかぶることは深い悲しみと「悔い改め」のしるしでした。これまでの自己中心的な歩みを離れ、神の方へ向き直る決意を表します。
ヘンリ・ナウエンと「ちりの中の愛」
ヘンリ・ナウエンは、この「ちり(灰)」という存在について、非常に美しい黙想を残しています。
私たちは確かに「ちり」に過ぎませんが、神によって「愛されているちり」なのだとナウエンは説きました。自分の無力さを認めることは、絶望ではなく、むしろ「神の助けなしには生きられない」という真理に根ざした、深い安らぎの始まりです。
灰は燃え尽きた跡ですが、それは同時に「新しい芽吹き」のための肥料でもあります。自分のエゴを燃やし尽くし、灰にすることで、復活祭において新しい命が芽吹く準備を整えるのです。
飽食と情報の洪水の中に生きる私たちにとって、あえて「断食」をし、自分の「死」を想い、額に「灰」を受ける行為は、この世の価値観に逆行するものです。
「もっと持て、もっと高く登れ」という世俗のパン種を捨て、「土に帰り、神の愛という根源に繋がれ」という、神への回帰を促しています。
祈り
まことの神よ、あなたを信じつつ、
回心と悔い改めの四十日を始めます。
キリスト者としての修練に耐える力を与えてください。
悪を退け、決意をもって、良き業をなすことができますように。
イエス・キリストのみ名によってお願いします。。