マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・7あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。8彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。9だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。10御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。12わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。13わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

 14もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。15しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

 イエスが弟子に教えた祈りは、「主の祈り」と言われ、キリスト教会では最も大切にされ、あらゆる機会で祈られていると思います。

 わたしたちの祈りは神さまにお願いすることばかりが多いように思います。ひろさちやさんはそんな祈りを「請求書の祈り」と言っています。神さまに請求書を突きつけ、いつ叶えてくださるのかと口をとがらせたり、叶えられないと神はわたしの祈りを聞いてくださらないと落胆します。

 前段の「御名が崇められますように」、「御国が来ますように」、「御心が行われますように」という祈り、自分の願いよりも、父である神が讃えられ、神の国が到来し、神の御心が行われてこそ、後段の「わたしたちに必要な糧」が与えられ、「わたしたちの負い目が赦され」、「悪い者から救ってください」と祈ることができます。

 また、「わたしたち」とは、自分と同じ教会、教派の人たち、自分と利害が一致している人たちのことではなく、この地上に生きるすべての人、特に貧しく抑圧された人を含むと、わたしの師匠から教えられました。

 

祈り

主よ、わたしの心をあなたにまっすぐ向け続けることが、なぜこんなにも大変なのでしょうか。

なぜわたしの思いはあちこちとさまよい、あなたから離れてしまうのでしょうか。

なぜわたしの心は、迷わせるものへ強く引かれるのでしょうか。

この不安のただ中で、あなたがおられることに気づかせてください。

疲れた体と、混乱した気持ちと、安らぎのない魂を、どうか、あなたのみ腕の中に受けとめてください。

わたしを休ませてください。ただ静かに休ませてください。