王族に嫁いだアメリカ人女性たち | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

1.アニータ・スチュアート 

アニータ・デ・ブラガンサAnita de Braganza

最初のアメリカン・プリンセス。1886年8月7日生まれ。ニュージャージー州生まれでポルトガル最後の王朝ヴィセウ公ミゲルPrince Miguel, Duke of Viseu(1878年 - 1923年) と1909年結婚。プリンスが亡くなる1923年まで過ごし、その後再婚。91歳で死去。いとこが貴族と結婚していたそうでヨーロッパの王族にもオープンに接していたそう。彼女は称号にこだわり婚約時代に「プリンセスに慣れないなら結婚しない」と言い放ったこともあるそうです。

ミゲルがギャンブルで作った借金を、アニータの母が肩代わりをすることを知った大叔父のオーストリア皇帝がフランツ・ヨーゼフ2世(シシイの夫)がアニタをプリンセスと認めおさまりました。

しかしミゲルの父はミゲル2世でポルトガルのミゲリスタ王位請求者。ポルトガル国王だったミゲル1世とその妃であるレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アデライデの嫡子。

ミゲル2世の長男ミゲルがアメリカ人女性アニタ・ステュワートと貴賤結婚したことにより不和となり、王位請求者の地位を、1920年当時12歳だった三男ドゥアルテ・ヌノへ譲った。王室の法律の違反にあると考られそう呼ばれることはなくなりました。

【3人の子供たち】

Isabel Maria "Nadejda" de Braganza (1910–1946)

, who married Wlodzimierz "Vadim" Dorozynski in Capri, Italy on August 16, 1930. They divorced in 1932 and in 1942, she married René Millet.

John de Braganza (1912–1991)

, who married Winifred Dodge Seyburn in 1948. They divorced in 1953 and in 1971, he was married to Katharine (née King) Bahnson (1921–2007).

Miguel de Braganza (1915–1996)

, a St. George School graduate who married Anne Hughson in 1946.

 

 

 

 

2.エレノア・マーガレット・グリーンEleanor Margaret Green

(エリナー・マーガレット・グリーン)

1985年11月生まれ、アメリカ人富豪令嬢。父はアメリカ合衆国の教員、弁護士、鉄工実業家、政治家。"Father of the New York City Subway System"と呼ばれるエイブラム・ヒューイットで母は娘のサラ・アメリア (Sarah Amelia)。

母方の祖父ピーター・クーパーはアメリカの実業家、発明家、慈善家で、アメリカ合衆国大統領候補者となったこともある人物。アメリカ合衆国において初めての蒸気機関車を設計、製造し、ニューヨークのマンハッタンに科学技術発展のためのクーパー・ユニオンを設立。

デンマークの王族ヴィゴ・ア・ローセンボー王子と結婚。

ヴィゴは1924年6月10日、王の許しを得ずにニューヨークでエリナー・マーガレット・グリーン(1895年 - 1966年)と結婚。平民女性と結婚した場合の慣習に従い、ヴィゴはデンマーク王位継承権およびデンマーク王族としての称号、敬称を放棄。その後、ヴィゴは王によって「ローセンボー伯爵ヴィゴ王子(Prins Viggo, Greve af Rosenborg)」の称号を改めて与えられた。ヴィゴ夫妻には子供がいませんでした。エレノアはいとこが貴族と結婚していたそうですが、生まれながらのお金持ちであるからか称号にこだわりはなかったそうですが、Her Highness Princess Viggo, Countess of Rosenborgとプリンセスに。

 

 

 

 

3.富豪ナンシー・スチュアート・ワシントン・リーズ 

Nonie "Nancy" May Stewart Worthington Leeds

Princess Anastasia of Greece and Denmark

1914年ギリシャ王室はクリストフォロス王子の結婚に公然と大反対。許可されるまで6年。

ナンシーはギリシャ・デンマーク王女アナスタシアと名乗りました。

バツ2(死別と離別)で平民でアメリカ人で4歳上だったことが理由で、何度も挙式を延期させられましたがその間に第1次世界大戦が勃発。王家は1920年代に亡命を余儀なくされたギリシャ王室はナンシーの財力を頼って生活(ナンシーが2度目の夫から莫大な遺産で助けられました。)婚約から結婚まで6年…富の力で王子を手に入れたと悪口を言われるも、王子は回顧録で「出会った瞬間に恋に落ちた、結婚するのが自然に思えた」のだそう。ナンシーの人懐っこい性格は、堅苦しい王家にはいない人柄で、さらにナンシーは困った人を見つけるとすぐに手を差し伸べるような女性だったとか。

結婚からわずか3年後、ナンシーは45歳の若さで癌のためにロンドンで死去。

クリストフォロスとの間に子はなかったが、彼はナンシーの先夫との子ウィリアムと養子縁組し、姪にあたるクセニヤ・ゲオルギエヴナ(クリストフォロスの姉マリアの娘)と結婚させました。

クセニヤ・ゲオルギエヴナ

 

夫妻は大富豪として、ニューヨーク社交界に強い影響力を持っていた。リーズ夫妻はナンシー・ヘレン・マリー(1925年 - 2006年)という娘を1人もうけた。

 

 

ナンシーの夫クリストフォロス王子はゲオルギオス1世とその王妃オルガ(ロシア帝国出身)の末子として、ロシア帝国のパヴロフスクで生まれた。ギリシャ軍に入隊するが、彼は兄弟たちとは違って王族の義務よりもピアノを弾くのを好む性質であった。青年時代、ポルトガル、リトアニア、アルバニアの3ヶ国から国王にと打診されたが、責務を嫌うクリストフォロスはどれも辞退している。

1910年従姉であるイギリス王女ルイーズの長女アレクサンドラと結婚の約束をするも公爵の反対にあい、1920年  アメリカ人富豪メイ・リーズと死別後、ギーズ公女フランソワーズと再婚し、一人息子ミハイルがいます。

クリストフォロス王子のすぐ上の兄アンドレアス王子は(1882年 - 1944年) - アリス・オブ・バッテンバーグと結婚。エリザベス女王の夫であるエディンバラ公フィリップの父。

 

 

 

 

 

4.ネヴァダ・ストッドリー・ヘイズ

Nevada Stoody Hayes

Nevada, Duchess of Porto

1885年10月生まれ、オハイオ州出身でとても野心家。4度目の結婚でポルトガル王朝の王子ポルト公アルフォンソと結婚。王家の一員としては認められなかったけれどポルトガルの法律では夫妻なので妃となるそうです。

自身を王妃とみなすも周りや王政復古派からも総スカンを食っていたとか。ポルト公が54歳で死去すると王族相手に遺産を巡る争いを行いました。

食事に美容と熱心で10-15歳年齢をごまかしていたとか。55歳で死去。

 ポルトガル王国 第二王子 アフォンソ( ポルト公爵)(1865.7.31-1920.2.21)

 夫人:ネヴァダ(1885.10.21-1941.1.11)
子: 男子死産(1866.11.27)

 

父: ポルトガル国王 ルイス1世(1838.10.31-1889.10.19)(在位:1861-1889)

母: イタリア王女 マリア・ピア(1847.2.14-1911.7.5)

兄;ポルトガル国王カルロス1世(1863年 - 1908年)

祖父: ザクセン=コーブルク=ゴータ公子 フェルナンド(1816.10.29-1885.12.15)

祖母: ポルトガル女王 マリア2世(1819.4.4-1853.11.15)(在位:1826-1853)

 

 

 

1、 ウォリス・シンプソン。

36歳で不倫関係となり、1937年に元英国王エドワード8世と結婚。離婚歴があるシンプソンさんとの結婚に王室や政府は難色を示し、国民も不道徳だと、エドワード8世は「私の愛する人」と結婚するため、36年1月に即位したが同じ年の12月に退位。2人の物語は近年、「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」として映画化されました。

 


2.女優リタ・ヘイワース

1940年代のセックスシンボルとして人気を博した女優。1949年、英領インド(当時)出身のイスラム教・地域の指導者アガ・ハーン3世の王子Prince Aly Khanと結ばれました。ヘイワースさんにとって3度目の結婚で1女をもうけたが、すぐに離婚。さらに2回、別の男性と結婚。

 

 

3.グレース・ケリー

ハリウッドのトップ女優からモナコ公妃に。アカデミー賞主演女優賞を受賞するなど人気絶頂にあった56年、レーニエ3世の求婚を受けて「グレース妃」となり、3人の子供に恵まれました。1982年に交通事故で死去。現アルベール2世母。

 

 

4.ホープ・クック

インド北東部にあったシッキム王国(75年、インドへ編入)の皇太子と63年に結婚。出会いは学生時代のインド旅行で妻と死別した22歳年上の皇太子にひとめぼれされたことから。1980年に離婚。

 

 

5.リサ・ナジブ・ハラビー

アラブ系米国人の家庭に生まれたさんは1978年、フセイン・ヨルダン国王の4人目の妻「ヌール王妃」として迎えられました。

パンアメリカン航空の最高責任者などを歴任した父を持つハラビーさんは、プリンストン大学を卒業した後、ヨルダンで仕事をしていた時に国王に見初められます。99年の国王死去後、慈善事業や核不拡散の分野で活動。現ヨルダン王国国王の義理の母(国王の母は、前国王の2度目の結婚相手で英国人アントワネット・アヴリル・ガーディナー)

 

【ヨルダン王室】ヌール王妃 Memoris of an Unexpected Life→

 

 

6.メーガン・マークル

離婚歴のある女優、英国王室ハリー王子妃。