【英国王室】メーガン妃 2018年8月ミュージカル『ハミルトン』のチャリティガラ鑑賞 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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2018年8月28日(現地時間)、ハリー王子とメーガン妃(37)は夏休みを終えてロンドン・ウエストエンドで公演中のミュージカル『ハミルトン』のチャリティガラパフォーマンスを鑑賞

Meghan and Harry arrive for charity performance of Hamilton

えっと夏休みが長すぎたかな?なぜチャリティーイベントにミニスカート。

Judith and Charlesのタキシードドレスは £327

ハリー王子が自身の祖先に当たる英国王ジョージ3世役の歌の一節を披露して観客から拍手喝采を浴びる一幕があった。とか

ジョージ3世役の俳優はツイッターに「お株を奪われた」とおどけて投稿。作品の脚本などを担当したミランダ氏は記者団に「登場人物の直接の子孫を迎える機会はあまりない」と話しました。

ハミルトンは米国建国の父の一人として知られるアレクサンダー・ハミルトンを題材にしたミュージカルでロン・チャーナウ著『ハミルトン伝』をもとにした作品。 物語の舞台は18世紀後半から19世紀初頭のアメリカ。恵まれぬ境遇に生まれたアレグザンダー・ハミルトンは、移民としてアメリカに渡り、激動の時代の中を駆け抜ける。

 

アレクサンダー・ハミルトンはアメリカ10ドル札にもなりました。

 

ハミルトンに出てくるジョージ3世 (イギリス王)と面会。王冠重い?と質問したそうで、「もちろん重いよ」と演者はのちにツイート。

 

 

ジョージ3世は、15人もの子供に恵まれ、愛人も作らず、家族一筋の優しい国王でしたが、子供たちに悩まされた挙げ句、晩年は野外を駆け回ったり、独り言を連発したり、すでに亡くなった部下に命令を下したりと、常軌を逸したものであり、このような精神障害の末に退位を余儀なくされました。

 

ジョージ3世祖父ジョージ1世は54歳で思いがけず英国王位につき、英語も喋れず、英国が大嫌いだった何かにつけて故郷ハノーヴァー(現ドイツ)へ帰り不在が多かった為、英国議会政治が発展。

その息子でジョージ3世の父のジョージ2世は、英語は喋ったものの強烈なドイツ語訛り。国民から粗野で無能といわれます。

長男で王太子のジョージ4世は父の病状が悪くなってからもそれをいいことに、ロンドンのクラブを飲み歩き. 父の病状を詳しく言いふらし、挙げ句の果ては父を真似ては. 笑い者にしたりしたそうです。ジョージ4世は散財に愛人に階段を登れないほど贅沢三昧で太ったりと崩御後は新聞に「最低のゲス王だった」と書かれるレベル。

 

そんな中、イギリス・ハノーヴァー家でまともなのはジョージ3世のみでした。22才で即位すると最初の議会で 『私はこの国で生まれ、この国で教育を受けた。イギリス人であることを誇りに思う』と語り喝采を受け、シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ王女を妃として迎えると、彼女一人を愛し抜き、夫妻は9男6女に恵まれました。

【英国王室】シャーロット王妃 アフリカ系ムーア人の血を引くといわれるイギリス国王ジョージ3世妃→

 

 

ジョージ3世

イギリス・ハノーヴァー家第3代目のグレートブリテン国王兼アイルランド国王(即位:1760年10月25日)1801年1月1日に両国が合同して以降はグレートブリテン及びアイルランド連合王国国王。

質素で庶民的な趣味を愛し、国民に揶揄されるほど倹約に励んでおりました。しかし国民受けは良く、農業の発展に興味を示し、ウィンザーの土地に模範農家をしつらえて、異名は「百姓ジョージ」。

ジョージ3世の寿命と治世の長さはそれまでの全てのイギリス王よりも長く、ヨーロッパからアフリカ、アメリカ、アジアまで広がった多くの軍事紛争に彩られます。(のちに孫のヴィクトリア女王が1位に)治世初期にはグレートブリテン王国が七年戦争でフランスに勝利、北米とインドにおけるヨーロッパ諸国の勢力の間で支配的な勢力となった。しかし、アメリカ独立戦争では敗北してアメリカの多くの植民地を失いました。

1793年からは革命時期とナポレオンの帝政時期のフランスとの戦争に突入、1815年のワーテルローの戦いまで続くという頭の痛いことだらけ。

まじめな国王と不まじめな息子だらけでという家庭環境で、ジョージ2世の息子のなかでもまじめなのはジョージ3世のみ。弟エドワードもパーティアニマル。ウィリアムは未亡人と秘密結婚したりと複雑だったのに、自身の家庭でも、ハノーヴァー家特有と言われる、父と長男の不仲が展開。

王太子は離婚歴がある未亡人、マリア・フィッツハーバート夫人と極秘入籍したり、愛人が詐欺行為をしていたと発覚し、大スキャンダルに。ほかの王子も愛人三昧や暴力に不良王子ばかり。王女たちだけはと厳選した結果もし合わせに終わらず…時代は産業革命、マスメディアが急激に発達したために、ロイヤルファミリーのゴシップも大々的に報道されるようになり、王室は格好の餌食に。毎日兄弟や子供たちの常軌を逸した行動に毎度悩み、1810 年末、ジョージ3世の末娘アミーリア王女が死去すると、再び狂気に陥いりました。

 


このような心身障害を引き起こした原因としては、同王のかつらに含まれていたヒ素との説ありロンドン科学博物館に保管されているジョージ3世の毛髪を調査した結果、通常の300倍にも相当する量のヒ素が含まれていることを発見。この狂気を治療するため、ヒ素が有毒とは考えられていなかった当時の医師が、さらに多量のヒ素を含む薬を処方したことも症状の悪化を促進した原因との見解を発表。

 

すごく痩せたように見えますし、健康状態というか目が、、、大丈夫かな?

 

 

The Madness of King George (邦題:英国万歳!(1994))という映画

 

 

 

舞台はアメリカ合衆国が独立したばかりの1788年。国民から敬愛され、 あらゆる権力の中枢として機能する国王ジョージ3世(ナイジェル・ホーソーン)の突然の乱心。発作から国王は立っていられなくなり手の震えが止まらなくなってしまい非常に怒り狂い周りの者に悪口雑言を投げつける始末。狂気の発作で引き起こった「リージェンシー・クライシス(摂政危機)」と称される歴史のひとこま。

わーい

 

早朝から寝間着で野原を駆け巡ったり、狂気の病気と闘うジョージ3世と、王座に着きたい息子、プリンス・オブ・ウェールズこと後のジョージ4世(ルパート・エヴェレット)が父に会おうと一緒に食事に誘います。しかしこれは逆効果。
 『国王は食事中、終始王太子に悪口雑言を浴びせかけ、ついには皇太子の襟元をつかみ壁めがけて投げ飛ばした。王妃(ヘレン・ミレン)はヒステリックに騒ぎ出し皇太子は泣き出してしまいで、最悪の晩餐会になった。』

、王を支持する時の首相ウィリアム・ピットと、プリンスを持ち上げ摂政にし、政権獲得を狙う野党のチャールズ・フォックスの政権争いなど議会の様子がコミカルに描かれています。

ウォレン医師が国王の狂気を治すために立ち上がる・・・。発作が起きたら拘束したり拘束着を着させたりし国王の恢復の手助けをしました。一方議会では秘密だった国王の狂乱を堂々と宣伝。実は遺伝型の精神病代謝異常のポルフィリン症がスコットランド王女メアリからスチュアート朝を通じてジョージ3世に伝わってしまったとされています。(現在のウィンザー調にも)

内心では独立を認めたくないのでついついアメリカのことを「植民地は・・」と言ってしまう時代背景もあります

 

 

 

作品中でも「デブ、デブ」と父親に罵られる不肖の息子。

やる事もなく、お洒落とギャンブルと食べる事に日夜を明かすジョージ4世は
To be Prince of Wales is not a position - it is a predicament!プリンス・オブ・ウェールズというのは、地位なんかじゃない。苦境だ!

 

とつぶやきます。(散財のおかげでバッキンガム宮殿を建て、ブライトンにパビリオンを建設。)

カトリックのマリア・フィッツハーバート夫人と密かに結婚していたことが問題になったり...。

 

映画「英国万歳!」のラストでは、
 狂気と正気を揺れ動く国王が一時正気を取り戻し王と家族がセント・ポール寺院前で国民の歓声を受けながらポーズを取ります。

王妃はCome on, smile and wave. That's what you get paid for. Smile and wave.笑って!手を振って!我々はその為に存在するのだから。