【英国王室】シャーロット王妃 アフリカ系ムーア人の血を引くといわれるイギリス国王ジョージ3世妃 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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イギリス国王ジョージ3世の妃シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(Charlotte of Mecklenburg-Strelitz1744 –1818))はポーランドの王家出身でドイツ 生まれ。ヴィクトリア女王の祖母にあたります。

(息子ジョージ4世とフレデリック)

 

王妃の肌が白かったためアフリカ系の祖先がいることは生前知られていなかったそうですが、彼女が亡くなった後、歴史家によって明らかに。

ムラートの外見的顔の特徴を持つとヴィクトリア朝のイギリスで様々な事件に関わり重要な役割を果たした19世紀のドイツ人医師のクリスティアン・フリードリヒ・フォン・シュトックマー(王妃の医師でもあった)が残しています。

 

シャーロット王妃はポーランドの王家出身でドイツ生まれ。アフリカ系の血を引く王妃と言われる彼女のルーツの祖先にはムーア人(アフリカ系)のマラドガーナMadragana(c. 1230–?).がいるといわれています。

 

13世紀のポルトガル国王アルフォンソ3世(1210–1279)の13世紀のポルトガル周辺にはイスラム勢力が支配していましたが、アルフォンソ3世が奪還。彼はイスラム勢力の総督の娘でムーア人のマラドガーナMadragana(c. 1230–?).をキリスト教として改宗させ愛人にしました。生まれた子供は貴族となり、彼女のちょうど16台後が英国王妃となるシャーロット王女になります。

マラドガーナから15世紀に7台下ったマルガリータ・デ・カストロ・スーザがブルゴーニュのヌフシャテルのジャン2世と結婚。それから9代後がイギリスのシャーロット王妃。

 

 

シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(英国王妃)はイギリス国王ジョージ3世の王妃。メクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒの末娘で、ドイツ名はゾフィー・シャルロッテ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ(Sophie Charlotte von Mecklenburg-Strelitz)。

兄にメクレンブルク=シュトレーリッツ公(のち大公)アドルフ・フリードリヒ4世、カール2世がいる。

兄のカール2世

 

 

17歳で結婚し王との家庭生活は円満で、ジョージ4世、ヨーク公フレデリック、ウィリアム4世、ケント公エドワード(ヴィクトリア女王の父)、ハノーファー王エルンスト・アウグストら9男6女の母となり、夫の女性関係では苦労することも全くなかったものの子供たちの不品行には心の安まる時がなかったそうです。

ヴィクトリア女王は現在のエリザベス女王から見ると高祖母(曾祖父母の母)。

 

ちなみに英国王室らしいロングフェイスは、ジョージ3世の妃シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(モーツァルトの後援者)を彷彿させるとも→

Long face- George III's consort Charlotte (1744-1818), and four times great-granddaughter Lady Gabriella Windsor.

 

 

 

2017年12月20日、ガーディアンの報道によれば、エリザベス2世の従弟であり、また女王の夫エディンバラ公フィリップの従甥であるマイケル・オブ・ケント王子(75)の妻マリー=クリスティーヌ妃(72)が「ブラックムーア」のブローチを付けて登場。

過去13世紀にヴェネツイア共和国は、コンスタンティノープル(イスタンブール)を十字軍の一員として陥落。その時代以降、北アフリカの文化が流入し、ムーア人のモチーフが大流行。
ヴェネツィア独自の宝飾文化として、装飾も見事で価値あるジュエリーでしたが今は歴史的に黒い肌をしたムーア人が召使として仕えていたことを示すレイシストであるものという意見もあるのだとか。ムーア人とは北西アフリカの民族で、イスラム教を信仰している人を総称した言い方です。

 

女王のクリスマス会に婚約者として出席者したヘンリー王子の婚約者のメーガン・マークルを侮辱したととらえる人もいたため(マークルさんの母親はアフリカ系米国人)マリー=クリスティーヌ妃のスポークスマンは「ブローチはプレゼントされたもので、今までも何度もつけている。妃は非常に残念に思っており、これが人を傷つけたことを悲しんでいる」と発表しているそうです。妃はドイツ系の父ギュンター・フォン・ライプニッツ男爵と、ハンガリー貴族の娘の母マリアとの間の娘として誕生。母方の祖先には、フランス王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスおよび愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ、また画家のピーテル・パウル・ルーベンスがいるそうです。

 

 

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マイケル・オブ・ケント王子妃

 

Blackamoor broach

イスラム教の位の高いことを示すターバンを巻いているようにみえるブローチ

 

 

 

マイケル・オブ・ケント一家

 

 

パパ トーマス・マークル72才とメーガン

娘を私立に通わせ、宝くじで8000万当たるも6年の結婚生活の後、1987年に「妥協できない相違」を理由にメーガンの母親と離婚した後、財政面での混乱で破産。

 

メーガン・マークルの異母姉、サマンサ・マークル(53) 元女優、現在宝石を販売

2回の離婚歴があり、3人の子供がいます。2003年には2番目の夫一緒に破産。

2017年12月12日(現地時間)、米TLC局に放送された『When Harry Met Meghan: A Royal Engagement』に出演

2008年以来、妹に一度も会っていないというサマンサは同年、サマンサは動脈硬化症と診断され、車椅子生活を送るように。

「私たちはサンフェルナンド・バレーにある、アッパーミドルクラスの家で育ったの。タブロイドの言うスラム街には住んでいなかった」『The Diary of Princess Pushy's Sister』という本を書いたがメーガンを攻撃するような暴露本ではない。それよりも私たち家族の生活やエピソードが綴られている」「そして公民権法の成立から現在に至るまで、私の視点から見たアメリカの異人種間結婚にもクロースアップ。それが私たち姉妹にどう影響したかについても書いているわ」

 

メーガンの異母兄 Thomas Markle Jr.50才

破産しており、2回の離婚、銃犯罪で告発されています。

姉サマンサによると「メーガンは弟と話をしないわ。彼に我慢がならないの。私たちの父親も彼のことを嫌っているから、話をしないの。」

Tom with son Tyler メーガンの兄とメーガンの甥

 

ただサマンサとトーマスの母ロズリン・マークル(Roslyn Markle) 71才は、娘サマンサとの仲は悪く、「サマンサはお金の亡者で、過去に何度もメーガンに集っているわ。メーガンとハリー王子が順調なのを見て、メーガンによく思われて、自身も注目を浴びたいと願っているの。メーガンは可愛くてとてもいい子よ。息子のトーマスは、いつもメーガンをほめているわ。メーガンには傷ついてほしくない。サマンサの嘘に惑わされないでね」とコメント。

 

 

 

元旦那さんとメーガンの結婚式