後にイギリス国王ジョージ6世となるアルバートは、のちのイギリス国王ジョージ5世と王妃メアリーとの次男として生まれ、王太子として育てられた長兄エドワードの陰に隠れた存在であり、王位を継承することを期待されていませんでした。曽祖母にあたるイギリス女王ヴィクトリア治世下でした。
(1895年12月14日 - 1952年2月6日)
1936年12月11日 - 1952年2月6日(連合王国国王)
1936年12月11日 - 1947年6月22日(インド皇帝)
12月14日は女王ヴィクトリアの夫、アルバート王配の命日でもあった(1861年12月14日没)ため、当時未亡人だったヴィクトリアは、曾孫アルバート誕生の報せを聞いたときに「あまりいいニュースとは思えないわね」と漏らしたともいわれています。
女王の息子である王太子エドワードはジョージに対して「生まれた子供に(ヴィクトリアの王配にちなんで)アルバートと名付けることを提案したら、女王を喜ばせることが出来るだろう」と提案。
ヴィクトリア女王は、アルバートと名付けるという申し出に態度を和らげ、母親のヨーク公夫人メアリーに「「新しい」子供に早く会わせてくださいな。この日(12月14日)は私にとってとても悲しい出来事が起こった日ですが、これからはとても大切な日になるかもしれません。何よりも私が愛する人の名前でその子供が呼ばれることは、私にとってもこの上ない喜びになるでしょう」という内容の書簡を送ったとか。
アルバートの正式な称号は「ヨーク公爵王子アルバート (His Highness Prince Albert of York)」ですが「バーティ」と呼ばれるように。母方の祖母にあたるテック公夫人メアリー・アデレードは、孫に与えられたアルバートという名前を気に入っておらず、最後の名前であるジョージで「呼ばれるようになってもらいたい」という予言めいた記録を残しているのだとか。
病弱で大きな悩みとなる吃音を患うようになりましたが、スポーツに取り組み、のちにイギリス王室に対する国民の信頼が極めて低いときに、王位に就かねばならなかったにもかかわらず、戦争に耐え抜き、誠実な家庭人であり、個人的な勇気を示すことによって、イギリス王座の信頼感を取り戻すことに成功。
戦時中の心労がジョージ6世の健康を損ねたといわれいわれており、ジョージ6世に代わって、推定王位継承者である長女のエリザベス王女が、さらに多くの公務をこなすようになっていました。
1952年1月31日に、周囲の反対を押し切って、ジョージ6世は、ロンドン・ヒースロー空港まで足を運び、ケニア経由でオーストラリアへと旅立つエリザベス王女を見送り、2月6日の朝に、サンドリンガム・ハウスのベッドで息を引き取ったジョージ6世が発見されました。56歳でした。
当時の王族は、他国の王族と婚姻関係を結ぶことを求められていましたが、アルバートは自由恋愛で将来の妻を娶りたいという大きな望みを持っていた。1920年に、第14代ストラスモア・キングホーン伯クロード・ボーズ=ライアンの末娘エリザベスと出会いました。
エリザベスはアルバートからの求婚を、1921年、1922年の二度にわたって断わるも1923年に結婚。
結婚後はエリザベスは様々な公務を引き受け、その温和な仕草から「微笑みの公爵夫人 (Smiling Duchess)」と呼ばれるようになっていきました。
第二次世界大戦の直前にフランスと北米へ外遊している。第二次世界大戦中にエリザベスは不屈の意思を見せて、イギリス国民の精神的支柱となりました。
イギリス国民の士気を鼓舞する役割を果たすエリザベスを知ったアドルフ・ヒトラーは、エリザベスを「ヨーロッパでもっとも危険な女性」と評しました。第二次世界大戦終結後、体調を崩しがちになったジョージ6世は1952年2月6日に崩御し、エリザベスは51歳で未亡人となりました。
エリザベスは崩御する数カ月前まで公務をこなし続けていたが、次女マーガレットが薨去した7週間後の2002年3月30日に、101歳でその生涯を閉じました。
エリザベス女王の赤ちゃん時代はこんな感じです。
king george vi-Queen Elizabeth II Her Majesty
1952年2 月、ジョージ6世が崩御し、母・エリザベスが25歳という若さでイギリス女王に即位しましたが、1926年ヨーク公夫妻(国王ジョージ5世の次男となる父アルバートと母エリザベス)の長女として生まれた頃、王位継承順位では第3位でした。
King George VI -Albert and Elizabeth, Duke and Duchess of York, and their daughter Princess Elizabeth in June 1927.
若きエリザベス王女(エリザベス女王)と祖父の国王と祖母と
Princess Elizabeth, Queen Elizabeth, Princess Margaret 1944
エリザベス王女の叔父エドワード8世は離婚経験がある米国人女性ウォリス・シンプソンと交際し、首相から退位を強く迫られ、在位日数わずか325日で国王の座を渡しました)王位を放棄した後、父がジョージ6世と即位。
King George VI, his wife Queen Elizabeth, and their daughter, Princess Elizabeth, are seen in this photo taken in 1929
king george vi-Albert, Duke of York, and his daughter, Princess Elizabeth, in July 1929.
King George VI
エリザベス皇太后(クイーン・マザー)の王冠に
国王の次男であったジョージ6世は映画『英国王のスピーチ』の主人公になりました。
The Royal Family in the 1950s
フィリップ殿下、エリザベス女王、クイーンマザー、ジョージ6世、マーガレット王女
美しいマーガレット王女と、父ジョージ6世(イギリス国王ジョージ5世と王妃メアリーとの次男)
〔左前〕国王の母メアリー前王妃、〔中〕エリザベス王女、〔中央右〕チャールズ皇太子、〔前右〕クイーン・マザー(第14代ストラスモア伯爵クロードの四女エリザベス・ボーズ=ライアン)
〔後列左〕ジョージ6世、〔後列右〕フィリップ殿下
1951年11月、エリザベス女王の父である英国王ジョージ6世と孫のチャールズ皇太子(かわいい)。
King George VI sits with Prince Charles of Wales. 14 Nov 1951, London
幼いころのチャールズ皇太子 ハリー王子そっくり
【英国王室】ジョージ6世「Us Four」エリザベス女王とコーギー フィリップ殿下「あまり好きじゃない」→●
※エリザベス女王の父ジョージ6世は、国王の二男として親の愛をあまり受けずに育ったためか、何よりも自分の家族を大事にしていました。家族について言及する時は、常に「私たち4人(Us four、妻と2人の娘、そして自分自身)」と呼んでいました。
The King referred to his family as "us four": his wife Queen Elizabeth(the Queen Mother), and his daughters Princess Elizabeth (Queen Elizabeth II) and Princess Margaret(Countess of Snowdon).
そんな豊かな愛情を与えられたエリザベス女王は10歳までは英国のプリンセスでした。叔父が王位を退位していきなり王位継承者になった彼女の信頼できる相手は本当にわずか。フィリップ殿下は唯一心から笑わせてくれる相手だとか。今は高齢になり、よき相談相手も少なくなってきたことでしょう。
エリザベス女王は、まだ父のジョージ6世が在位中の1947年、滞在先の南アフリカで21歳の誕生日を迎えるにあたり、「私はみなさまの前で宣言します。私の命のすべてを、長かろうと短かろうと、みなさまと帝国の家族への奉仕に捧げます」と宣言、1953年の戴冠式でもこれを確認しました。
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looking stunning.!!
【英国王室】エリザベス女王とフィリップ殿下写真集(女王の初恋「私だけの写真」、結婚の秘訣など)→ 1 ・2 ・3 ・4