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オーディオにまつわるあれこれ。

最近仏教や認知症の本を読んで勉強しています。

 

特に仏教にはドハマりしてます。

 

仏教からは様々なことを学びます。

 

さて、先日イオンに買い物に行きました。

 

何気に店内を歩いていると、通路正面から一人の女性が歩いてきました。

 

僕は歩いていてフトその女性に目がいったのですが、

 

高校生か大学生ぐらいで細身のロングヘアーの女性でした。

 

胸の高さで手を音が出ない程度に叩きながら、

 

とても機嫌よく歩いていました。

 

後ろからは高齢に両親が付いてきてました。

 

たぶん、娘さん合わしていっしょに買い物にきていたのだろうと思います。

 

その女性はマスクをしていたので顔全体は見えませんでしたが、

 

ノーメイクでボーイッシュな印象でした。

 

仏教を学んでいる僕はその女性から感ずるものがありました。

 

それは「機嫌よく軽快に生きていればいいんだ」というメッセージでした。

 

仏教を学ぶあまりに僕はそれに執着して頭が硬くなっていました。

 

その女性を見た瞬間自分が

 

仏教に執着していて

 

頭が硬くなり身動きが取れなくなっていることに気が付きました。

 

・・・・あ~もっと肩の力抜いて気楽にしていていいのかな。

 

ちょっと力んでいたかなと感じました。

 

その後に僕はトイレに行きましたが、

 

その女性が多目的トイレの扉の前で立っていたんですよね。

 

高齢な両親の父か母か介護をしているのだなとわかりました。

 

女性は手を後ろで組んでジッと待っている印象で

 

決してイラついている様子ではありませんでした。

 

その印象が実に自然で穏やかで肩の力が抜けている印象でした。

 

僕は何をそんなに必死になって生きているのか?

 

このままでいいのかな?

 

と思いました。

 

その女性を見てから一週間が過ぎましたが、まだ鮮明に記憶しています。

 

仏教の勉強はしますが、そのことに執着せず気楽に生きていきたいなと思いました。

仏教を学んでいると、つい、真面目でカチコチな頭になりそうに思えました。

 

心療内科の性格検査で真面目と出ていたのですが、

 

これが20代~30代の頃は融通のきかない頑固者でした。

 

それが、認知症の母の介護を通じて、あと年齢的なものも含めて、

 

真面目さのなかにも柔軟さが出てきました。

 

話しは変わりますが、自分に厳しく他人に優しくが良くないという話しを本で読んだことがあります。

 

自分に優しく出来ない人は他人にも優しく出来ないからだというのが理由のようです。

 

しかし、僕は仏教を学んで厳しいことも時には必要であることを学びました。

 

デパートの清掃員やマンションの清掃員の仕事をしていた頃は、

 

先輩・上司がすごく厳しい方で、よく厳しく注意されていました。

 

当時の僕が未熟なのですが、そうして厳しく注意されると、怒っていました。

 

なんでそんなに怒るんだ!全く腹立つな!と。

 

しかし、いまの僕はこうした厳しい上司には感謝しています。

 

デパートの清掃員は軽度知的障害があることがわかるまで7年間働きました。

 

本当に厳しい上司で怒り方もはんぱではありませんでした。

 

この仕事では、軽度知的障害があるとわかり、ストレスで鬱状態になるまで働きました。

 

なぜ上司がそんなに厳しいのか今はわかります。

 

それは、期待されていたからなのですね。

 

期待されていたからこそ厳しく指導して成長を促していたのだと思います。

 

その厳しさはいまではパワハラと言われるものでした。

 

しかし、そのパワハラには当時腹を立てていた自分ですが、

 

そのパワハラがあったから現在の自分がいるのだと、

 

そのパワハラ行為をしてくれた上司には今では感謝しています。

 

父も厳しい親でした。

 

その厳しさには泣いたり怒ったりして反発していましたが、

 

その厳しい子育てがあったからこその今の自分なのです。

 

人生には優しさだけではなくて、厳しさも必要です。

 

しかし、厳しい注意は良いのですが、単純に怒るのはダメです。

 

それは個人的な感情をぶつけているだけですね。

 

いまはちょっと厳しくキツイ口調になるとパワハラだと言われたり、

 

新卒で入社してもすぐ辞めたり、退職するのにも退職代行業者に依頼したりする。

 

これは、ちょっとどうなのかなと思います。

 

いまの若い人が甘やかされて育てられたとは言いませんが、

 

ストレス耐性が低いですし、打たれ弱いと思います。

 

若いうちに苦労をすると、将来それが必ず役に立ちます。

 

最近は、根性・努力・苦労が悪いことのように、自己啓発本などで言われますが、

 

簡単・ラク・時短・手軽・優しく、では人間性が育たないように思います。

 

時には苦労したり厳しい現実に直面したり、困難に立ち向かうことも必要だと思います。

 

なぜならそれは人格がそれらを通じて育つからです。

 

 

 

 

仏教や介護・認知症のことを学ぶなかで、将来何をしようかなと考えることがあります。

 

色々とやりたいことはあるのです。

 

夢や希望が無いわけではありません。

 

軽度知的障害があるので現在無職ですが、

 

障がい者雇用枠で介護か掃除の仕事があれば、

 

チャレンジしてみたいなという気持ちはあります。

 

掃除の仕事は今までの職歴の中でも一番長く働いた職種です。

 

当時は仕事だというのでお金のために仕方なくしていましたが、

 

掃除は仏教的な意味で、大切な行為で、掃除を通じて心清らかにすることが出来るのです。

 

毎日自分の部屋とオーディオの部屋に雑巾がけをしていますが、

 

終ったあとは達成感とスッキリとした気持ちになります。

 

そのようなこともあり、掃除の仕事を再度もう一度やってみたいなと思います。

 

こんどはお金のためではなくて、自分磨きの為としての掃除の仕事の気でいます。

 

あともう一つは介護の仕事ですが、

 

これは認知症の母の介護をしていると、これを仕事にすると向いていると思うのです。

 

心療内科の性格検査では、明るくて優しい、と結果が出ていて、

 

この性格は介護の仕事に向いているようです。

 

母の介護は尿のついたオムツを交換したり、

 

便のついた服を脱がせてお尻についた便をシャワーで流す作業があり、

 

あと、散歩の付き添いがあります。

 

これらの母の介護を通じて、しんどくないと言うと嘘になりますが、

 

怒ったことは一度もありません。

 

自分の中で介護の仕事はやりがいがあって、自分に向いているのだろうなと思います。

 

介護職は未経験ですが、母の介護をやったという介護経験はあるわけです。

 

さて、掃除の仕事と介護の仕事どちらにしようか楽しく考え中です。

 

働くといっても、すぐというのは難しいです。

 

なぜかと言うと、母の介護があるからです。

 

僕が働きに出てしまうと、父が介護することになり、老々介護になります。

 

父と母どちらが先に亡くなるかわかりませんが、タイミングが来れば働きたいです。