仏教を学んでいると、つい、真面目でカチコチな頭になりそうに思えました。
心療内科の性格検査で真面目と出ていたのですが、
これが20代~30代の頃は融通のきかない頑固者でした。
それが、認知症の母の介護を通じて、あと年齢的なものも含めて、
真面目さのなかにも柔軟さが出てきました。
話しは変わりますが、自分に厳しく他人に優しくが良くないという話しを本で読んだことがあります。
自分に優しく出来ない人は他人にも優しく出来ないからだというのが理由のようです。
しかし、僕は仏教を学んで厳しいことも時には必要であることを学びました。
デパートの清掃員やマンションの清掃員の仕事をしていた頃は、
先輩・上司がすごく厳しい方で、よく厳しく注意されていました。
当時の僕が未熟なのですが、そうして厳しく注意されると、怒っていました。
なんでそんなに怒るんだ!全く腹立つな!と。
しかし、いまの僕はこうした厳しい上司には感謝しています。
デパートの清掃員は軽度知的障害があることがわかるまで7年間働きました。
本当に厳しい上司で怒り方もはんぱではありませんでした。
この仕事では、軽度知的障害があるとわかり、ストレスで鬱状態になるまで働きました。
なぜ上司がそんなに厳しいのか今はわかります。
それは、期待されていたからなのですね。
期待されていたからこそ厳しく指導して成長を促していたのだと思います。
その厳しさはいまではパワハラと言われるものでした。
しかし、そのパワハラには当時腹を立てていた自分ですが、
そのパワハラがあったから現在の自分がいるのだと、
そのパワハラ行為をしてくれた上司には今では感謝しています。
父も厳しい親でした。
その厳しさには泣いたり怒ったりして反発していましたが、
その厳しい子育てがあったからこその今の自分なのです。
人生には優しさだけではなくて、厳しさも必要です。
しかし、厳しい注意は良いのですが、単純に怒るのはダメです。
それは個人的な感情をぶつけているだけですね。
いまはちょっと厳しくキツイ口調になるとパワハラだと言われたり、
新卒で入社してもすぐ辞めたり、退職するのにも退職代行業者に依頼したりする。
これは、ちょっとどうなのかなと思います。
いまの若い人が甘やかされて育てられたとは言いませんが、
ストレス耐性が低いですし、打たれ弱いと思います。
若いうちに苦労をすると、将来それが必ず役に立ちます。
最近は、根性・努力・苦労が悪いことのように、自己啓発本などで言われますが、
簡単・ラク・時短・手軽・優しく、では人間性が育たないように思います。
時には苦労したり厳しい現実に直面したり、困難に立ち向かうことも必要だと思います。
なぜならそれは人格がそれらを通じて育つからです。