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オーディオにまつわるあれこれ。

最近クラシックを聴くことが増えました。

 

アイドルやポップスも好きですが、クラシックも好きです。

 



今日はアルトゥール・ルービンシュタイン/ピアノ、ダニエルバレンボイム/指揮

 

ロンドンフィルハーモニー管弦楽団による、

 

ベートーヴェンピアノ協奏曲5番皇帝を聴きました。

 

ルービンシュタインは好きなピアニストの一人で、バレンボイムも好きです。

 

明るくて艶やかな潤いのあるピアノで

 

特に2楽章での美しい間とゆったりとしたメロディーが印象的です。

 

バレンボイム指揮のオケもイギリスのオケにしては、

 

厚みのある印象で1楽章では軽快な軽やかなテンポ感ですが、

 

3楽章になると堂々としたスケールの大きさとベートーヴェンらしい重厚感です。

 

若々しくてイキイキとしたオケでヴァイオリンの渋みのある音色感が味わい深いです。

 

この録音を聴かれた方で僕とは異なる印象を持たれる方も沢山おられると思いますが、

 

クラシックの奥の深いのは、聴く人鳴らす装置によって印象が変わってくるところです。

 

それだけクラシック音楽が豊かな表現力を内包しているからだと思います。

 

クラシックを聴いてその音楽の中に入りこめることもありますが、

 

退屈して気が散ることもあります。

 

しかし、クラシックは好きになると幸せです。

 

要介護3で認知症の母の介護をしていると、

 

介護の合間に休憩に聴きたいのは、クラシックです。

 

介護でしんどいときの休憩にジャズやポップスはちょっとしんどいです。

 

時々こうして、聴いてよかったクラシックの録音を紹介しようと思います。

 

 

 

 

 

 




僕は音楽鑑賞が好きです。

 

その好きな音楽鑑賞を頭で理解しようとする所があります。

 

例えば、「趣味は読書、ならば音楽鑑賞はクラシック音楽だとオシャレだな」とか、

 

「ジャズは中学の頃から聴いているから、聴こうかな」などなど。

 

恥ずかしい話しですよね。

 

これこれ、こうだから、この音楽を聴こうという頭のようです。

 

音楽を聴こうと思ったとき、色々と考えるんですよね。

 

音楽はフィーリングであり心で感じるものだと思います。

 

心が楽しいとか、ワクワクする、ウキウキする・・・など、

 

気持を優先して聴きたい音楽を聴けばいいのに、

 

ポップスを聴いていても、いやいやジャズは昔から好きだから、ジャズを聴こうと、

 

頭で理解して聴きたい音楽を決めます。

 

実は本音を言うと、女性アイドルやポップスも好きなんです(笑)

 

NMB48なんかはラジオ番組を欠かさず聴いていたりして、

 

その番組の中で流れるアイドルの音楽を聴いて「おお~いいかも」と感じていたりします。

 

でも、いざ音楽鑑賞をしようとすると、見栄を張っているのかカッコつけているのか、

 

ジャズやクラシックを聴くんですよね。本当はポップスやアイドルも好きなのに。

 

それで、なんかつまんないな~退屈だな~シックリ来ないな~って不満を感じています。

 

それを反省して、これからは自分の気持ちやフィーリングなどを大切にして、

 

本当に自分が楽しいと感じる音楽を聴いていきたいと思います。




スマホが普及してからというもの、

 

自転車・自動車・歩いている最中にスマホを見る人が増えましたね。

 

僕は歩きスマホをしている人や自転車を運転しながらスマホを見ている人を見ると、

 

イラッとします。

 

その心は「自分はあんなことしない!なんでするんだ!おかしいじゃないか!」

 

そんな感じです。

 

つまりそれは、「許せない」ということなのです。

 

歩きスマホをしている人を見ても「あ~自分はあんなことしないでおこう」

 

と反面教師のように感じたら良いのですが、

 

「自分はあんなことしない!」と腹を立てるのは、

 

まだまだ人格が育っていないのだなと反省しました。

 

認知症の母に対して父が怒るのを見ていても、

 

僕は「自分はあんなことでは怒らない!どうしてそんなことで怒るんだ!」

 

と言葉には出しませんが、心の中で怒っています。

 

それは「自分はそんなことしない」ということをぎゅっと握りしめて執着しているからです。

 

ある考えを持ち、自分はやらないということを決めて、それに執着すると、

 

それとは反対のことを見ると腹が立ちます。

 

簡単に考えれば「自分はあんなことやめとこ」と考えていればいいのに、

 

腹を立てるのは自分が裁判官になって、相手を裁いているんですよね。

 

これではしんどいです。

 

僕は仏教を勉強するようになりこの罠にはまりました。

 

仏教を勉強している人は一度は経験するのではないでしょうか。

 

僕はこのことで最近イライラすることが増えました。

 

特に父が認知症の母に酷い言葉を浴びせているときにイライラします。

 

自分はあんなことしない!って。

 

どうしてそのことに自分が執着してこだわっているのかわかりません。

 

しかし、自分の中に「これが正しい人の在り方だ」という考えが強くあるようです。

 

それに反する人を言葉には出しませんが、心の中でプンプンして裁いています。

 

まだまだ、修行が足りませんね。まだまだ、執着心が強いようです。