久しぶりにLDを引っ張り出した。前回使ったのは「ロスト・チルドレン」を見たときだったか。

Tくんに「吉本新喜劇・ギャグ100連発」をコピーしてあげようと思ったのだが、かけてみると音が出ない。

LD単体にすると音は出るのだが、DVDレコーダーにコピーしようとすると、音が行ってないみたい。可能性をいくつか考えてみた。

1)DVDレコーダーの入力端子がイカれた
2)DVDレコーダーとセレクターをつないでいるケーブルがイカれた。
3)セレクターの出力端子がイカれた
4)セレクターの使いこなしが間違っている/いらないスイッチが入っている。

で、調べてみるとこのどれでもなく。

一度セレクターの電源スイッチをオン/オフしたらそれだけで直ってしまった。

そんなんありかい。

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人に勧められて読んだ、重松清の最初の本。

新聞で読んだ、親子の交通事故死。最初は思わず笑ってしまうような他人事だったのに、いつの間にかその親子の車に乗せられて、八方ふさがりの自分の人生を振り返ることに。そして出会うのは現在の自分と同い年の過去の父親…。

いくつかの巧妙な設定をすることで、微妙によじれあった人間関係を解きほぐしながら、主人公のおかれたシチュエーションと、それを変えていこうと試みる再生を描いています。

要するに、現代版「クリスマス・キャロル」ですな。

設定・ストーリーがファンタジーの割に、主人公が直面している現実はかなりリアリティーがあり、奥さんの浮気絡みの話などはかなりなまなましい。これが狙った違和感なのか、ちょっとはかりかねる部分でもあります。

最終的には、結末部分ではなにも解決しない。「死んじゃおうかな」と思っていた主人公が「すべて受け入れよう」と開き直るだけの、わずかな違い。それが現実をすべてうまく変えるとは思わないけれども、何かが始まる、そんな期待感を持たせるラストです。

父親とのからみが現実を変える、そういう意味では、微妙に「フィールド・オブ・ドリームス」も入ってますな。
今日はいろいろと精神をすり減らす状況などもあり、こころのスタミナ的にしんどかったので、夜の11時前にメシを食ってかえろうと。で、同僚といつもの焼き肉屋さんに。

遅くなるのはいやだったので、網で焼かずに済むものだけを注文という弱気な姿勢。

でもサンチュムンチはうまいねぇ。

他に、もう季節は終わりも近かろうと、牡蠣チゲと、石焼きビビンバを頼んでいたら、あっという間にチゲの鍋がとどく。そんなに話に夢中だっけ?と思いながらも鍋をつつき始めると、ずいぶん肉の量が多い…。サービスかな、と思って食い進むと、食べても食べても肝心の牡蠣が見当たらない。

そのうちにお店のおばちゃんがデジャ・ヴュのようにチゲ鍋を持ってくる姿が。で、僕らが食ってる鍋を見て凍っている。。。

…勘のいい皆さんはおわかりかな。

僕らが食べたのは、他のお客さんが食べるはずだった、豆腐チゲだったのだ。どうりで早いと思った。

ぼくらもわるいなぁと思ったので、もうこれでいいよ、と言いかけたのだけど、向こうの人が牡蠣チゲを喜ぶわけでもなく、間違えたのはお店の方なので、ぼくらは棚ぼた式にチゲ鍋を2杯平らげることに。

それにしても、なんで牡蠣って、「海のミルク」なんですかねぇ。カルシウム多けりゃなんでもミルクって呼んでいいのかな。
撤退 TDKがCD/DVDのメディアからは撤退するんだそうですな。引く、ということは簡単なようでむずかしい。

職場では、ある仕事の世代交代、体制変更があったのだけど、なんとなく前の気分のまんま、好き放題言ってくる人がいて、その人にうまいこと撤収してもらうためにいろいろと考えていたんだけど、昨日、ちょっと腹にすえかねる干渉があったので、長文のメールを打ってしまった。

今日になってちょっと過敏なリアクションが帰って来て、直接面と向かってはなかったのだけど、別れ際のカップルみたいなやりとりを男同士で、しかも上司と部下という関係でしてしまった。

退くべきときに退くのはむずかしい。けど、人に退かせる、退きやすい環境を作るのはもっとむずかしい。

1勝1敗。

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ドアの前の蛍光灯が長らく切れていたのだけど、とうとう自分で管を買って交換した。長さもうろ覚えだったのにコンビニには2種類。一生懸命長さを自分の手の感覚で再現してみて、「エイヤーっ」という勢いで買ってかえって、当ててみると「正解」。ちょっとうれしい。

つけてみて気付いた。同じ20ワット蛍光灯なのに、
下(1階、2階)と、うち(3階)の蛍光灯は、色温度が違う。
下の方が色温度が低めでやや暖かみがあるのに、家の前まで階段をあがると、だんだん青白い光が見えてくる。

べつに、だから買い替えようとはおもわないけど、なんかヘコむ。
島田荘司の最近の作品『エデンの命題』で、ミステリーとしての切れについてはやや疑問もあるのだけど、魂を打たれた言葉があったので、やや長めに引用を。

『生きるとは、反響なのだ。自分という存在が、誰かの体に鏡像のように映ったり、自分の存在や言うことに影響される相手がいて、この人が怒ったり、笑ったり、それから時には、ぼくの思いもしなかった思考の発展をもたらしてくれたりもする。それを受けてぼくもまた考える。そうやってぼくは、自分がここに生きて存在していることを確認するのだ。人の社会は、そういうからくりになっていた。ようやく解った。』

ここだけ読んでも、ピンと来ませんかね?
なかなか素直になれない自分にとっては、大切な言葉になりました。

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ロマン・ポランスキーという監督、先日「オリバー・ツイスト」を見たのが久しぶりだなと思っていて、他に何を撮ってたっけ…、なんて思っていたのですが、改めてみると「フランティック」「死と処女」「チャイナタウン」など、いくつか記憶に残る作品もありました」。一時は「ポゼッション」のアンジェイ・ズラウスキー監督と勘違いしていたこともあるんですが。


これが実話かどうかも確認せずに見始めたのですが、驚くほど人が簡単に殺され、それにみんなが慣らされてゆく、という描写がつぎつぎと畳みかけられてゆき、その重さに緊張しました。そして自らの社会の中でユダヤ人を迫害せざるを得なかったポーランド人の屈折と、いずれは自分たちも同じ目に遭う、という覚悟での抵抗。崩壊を間近に迎えたドイツ軍やドイツ兵の野戦病院などを見つめる視点すらも、窓からのぞいた時に見えるわずかな情報。

隠れ住むものだけに見える、「弱きもの」の視点で一貫して描かれています。

実はこの映画でもっとも印象づけられるのは「人はパンのみにて生くるにあらず、しかしパンなしでは生きられず」というきわめて生物学的な原理原則なのだと思います。

実はピアノがうまいかどうか、主人公シュピールマンが才能あるピアニストであったかどうかは、どうでもいいことではないかとさえ、ぼくは思ったりするのです。ポーランド人も、ドイツ人も、彼にかかわった人々は、彼に協力したり、彼を見逃したりすることで、この戦争における自分の「立ち位置」を確認しているのだ、と。事実、シュピールマンは多少は放送を通じて名前を知られたかもしれないが、演奏旅行で世界中を飛び回るよりは、放送局付きでスタジオにこもって作業をする、どちらかというと地味な存在です。レストランで彼が弾いたからといって、みんなが聞きほれて食事を忘れるというわけでもなく、偽造コインの音を聞き分けるためならちょっと演奏をやめさせられる程度の存在です。

ただ、この映画で描かれているのは、恐ろしいまでの皮肉。そして、状況というのは時間とともにいかようにでも変わってしまい、人はそれに合わせて生きてゆくのだ、という冷徹とも楽観的ともとれる人間観なのではないでしょうか。

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高校時代の後輩がやっている合唱団があって、誘われていたのだけど、仕事の帰りにちょうど時間が合ったので寄ってみました。

千駄ケ谷の駅の真ん前にある「津田ホール」。いつのまにかこんなきれいなホールができていたとは。どうも津田塾大学と関係があるようなないような。

で、コンサート自体は、その後輩の合唱団「新しい合唱団」のステージだけではなくて、日本現代音楽協会が主催の、「現代音楽展2006」というイベントの一環で、現代音楽の中の合唱曲の新しい作品を紹介する、ということだったらしい。

いかにも現代音楽、という抽象的なものから、老子・荘子・李白の漢詩に曲をつけたものとか、源氏物語に曲をつけてみたりと、それぞれに違うベクトルを向いていて、けっこう楽しかった。

ただ、「現代音楽」というあり方をどうとらえたらいいんだろう、という根本問題に対しては「これ!」という解決策は見えなかったような気もする。

難しい詞に、難しい曲をつけても、そこに人を自然に誘うものにはならないというか。みんな自分の表現に一生懸命なんだけど、自然に耳に言葉が飛び込んでくるような積み重ね方や、言葉の意味に対して音が別な意味を付け加える、というような奇跡的な瞬間はあまり訪れなかったなぁと。

作曲家が、昔の作曲家ほど素直になれない、というか、なんて言うんだろう。「芸術のための芸術」と思った瞬間に、作曲家が演出することをやめてしまったのかな。

「新しい合唱団」の指揮者の田中信昭先生は、見るのが20年ぶりぐらい。だいぶ縮んだようにも見受けられるし、さすがにお歳を召されたけど、相変わらずの元気な指揮ぶり。最後に作曲家を立てて挨拶する謙虚さは相変わらずだった。

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ダイ・ハードのアラン・リックマンて、すごくうまくて渋い俳優さんなんだけど、シガニー・ウィーバーとともに、コメディを非常に楽しく演じています。

宇宙もののパロディー満載ながら、「演じる(嘘)」という概念を持たない宇宙人や、真似ることから本質が作られる文明論など、ものを思わせる設定がたくさん導入されている。性格の違う多くの出演者のジレンマや愛すべき長所/欠点が最後にはすべて大きな世界の一部を形成する、みごとなカタルシス。バランスよく作られています。

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今日は遅くなったので家まで走って帰ったのだけど、途中に気になるネオンが。

「真相/我が子の歯並びの成り立ち」って、なんのこっちゃ。

どうも歯医者さんらしいんだけど、こんな脅迫まがいのことしなくても。