渋谷には昔からインドカレーのお店がいろいろあったのですが、その中で2大勢力が「ラージ・マハール」と「サムラート」の二つの系統ですな。このところ元気があるのは「サムラート」系で、ハンズの向かいにあるカウンター形式の店が、朝11時から明け方5時ぐらいまでの営業をうたって、しかも全部定食形式のメニューにしたのが思い切った戦略でしたな。

味もかなり本格的で、品数のバリエーションもそこそこはあるので、下手したらマクドナルドよりは安上がり。これで人気が出ました。

そんなわけでずいぶん長いこと「ラージ・マハール」の方には行ってなかったのですが、久しぶりに職場の野郎どもばかり4人で行ってみました。「ラージ・マハール」は宇田川町の交番のすぐ近く、系列の「ラージ・パレス」はそこが人気が出た後にセンター街にできた後発店ですな。

で、久しぶりに食べてみて「あ、全然サムラートと味の傾向が違うんだ」と思った点は、ナンの脂っ気がかなり薄い、という点。それからカレーのルーが水気が少なく、具がたくさん入っている感じがある点。しばらく「サムラート」の汁気たっぷりのルーに慣らされていたのでこんなに違いがあったのか、と思いちょっと驚きました。

あと、タンドーリ・ゴビという、辛いカリフラワーはここの名物なので久々のご対面。かなり腹が膨れました。
ニュースで見て初めて知ったのですが、パイオニアの社長と会長が業績不振の責任をとって、辞任するんだそうですな。

個人的には今まで買ってきたパイオニア製品にはそれなりに満足してきたので、なにがそんなに悪かったのかな、と思ったりもするのですが、やはり商売となるとそれだけではすまないのでしょう。一時期の高級機路線に比べると、最近はDVDレコーダーなどでも手間ひまかけて作るのがばからしくなるくらい、低価格化の波が押し寄せてきていて、そういう流れに飲み込まれてしまった、という感もあります。

ほんとはもっとマニア心をくすぐる製品を期待しているのですが。これからの方向性はどうなるんでしょうか。

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最後に会ったのがいつだかわからない友人がいて、去年も誘われたんだけど、今年も合唱のコンサートがあるから来ないかと誘われて、今年はたまたま暇だったので、ちょっと足を伸ばして浦和まで行きました。

この友人は高校時代からの合唱仲間ですが、当時からピアノがうまく、連弾などもよくやったものです。文化祭で「惑星」の2台4手版などもやったりしたことがあります。これは一人片手ずつで4人がかりでやったのですが。今度のコンサートは創立6周年の合唱団なのですが、大宮高校の合唱部OBを中心に作られたらしく、奥さんがそこの出身だということで入ったのだとか。で、久々に1ステージでピアノを弾くというので、それを聞き逃しては元も子もない、とやや早めに家を出ました。

昔、南浦和に住んでいたことがありますが、会場は浦和。ちょっと見ない間に赤羽の乗り換えがずいぶん楽になっていました。昔は京浜東北線と埼京線の乗り換えが信じられないほど不便で、ホームがすごく高いところにあって、一度深く潜ってもう一度上らないと乗り換えができなかったものです。今回は南浦和には用がないので一気に浦和まで行ける高崎線を利用。あっという間についてしまいました。当時いったいどうやって南浦和から渋谷までたどり着いていたのか、思い出すことすら難しい。

埼玉会館というホールには、ずいぶん昔にたぶん一度だけいったことがありました。今はもう隣に立派なオーケストラホールができているので、昔ほどは出し物が目白押しというわけでもなさそうですが、それでも立派なホールです。

久々にあった友人は心なしか背が伸びたような。昔は一番ピアノがうまいのは初見の時で、あとは考えれば考えるほど切れがなくなっていく、妙な癖があったのですが、今は何となく安定感が出たような。リズム感の大事な曲をきっちりやっていました。若干右手の速いパッセージになるともたつく瞬間があり、一瞬ひやっとしたりもするのですが、まあそれは昔からだし…。

終演後に会いに行くと、息子さんが結構大きくなっていて驚きました。そうかー小6かー。

帰りは、浦和から蕨まで走ってみました。南浦和の昔住んでたあたりは全然変わってないのですが、河合塾ができてましたな。

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これはハードカバーで出たもののノベルス版で、若干の加筆訂正を加えたものだそうです。じゃあこっちから読んでよかったのかも。

島田荘司の名前を初めて知ったのは、実はそんなに早くなくて、「切り裂きジャック/百年の孤独」という、奇しくもこれも切り裂きジャックがらみのものでした。こっちの作品は、現代のドイツに起きた事件を解きながら、100年前の世紀末のイギリスで起きた事件にも合理的な解釈を加えるという、なかなかの離れ業で説得力もあり、かのパトリシア・コーンウェル先生にも読んで勉強していただきたいくらいの力作でした。

今度の「上高地の切り裂きジャック」は、完全に現代の日本を舞台にした物語で、日本にはいない御手洗潔が活躍する人気シリーズです。ただ、長編というよりは中編で、後ろ半分は「山手の幽霊」という同じぐらいのサイズの中編が収まっています。

女優がドラマのロケの最中に殺されて、犯人の精液まで残されていたのに、腹は切られて、内蔵が持ち去られていた、という猟奇的事件、しかもその犯人とおぼしき人間には絶対のアリバイがある、というお話です。最後の謎解きまで犯人は読めなかったですが、死亡推定時刻をめぐる豆知識はちょっと面白かったです。

後半の「山手の幽霊」の方が、どちらかというと人間ドラマ的な読みごたえはありました。代々人が住み替わるたびに奇妙な死に方をする家と、幽霊を見て精神を病んでしまう電車の運転士、その二つの事件の関係は?最後に残された犯人の手記も含めて、この作家が大切にしている、トリックの背景にある人間的動機が丁寧に描かれています。最近の若い作家の中には、動機なんてどうでもいい、という開き直りのようなものがあって、非常に刹那的な感覚が見られるときもあるのですが、さすが大御所はちがいますな。

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正直に言います。ぼくは鈴木光司という人は好きではありません。一度NHKのスタジオパークに出ていてしゃべるのを見たことがあるのですが、もうその時点で生理的に受け付けない感じの、「自分大好き」な饒舌ぶり。自分の書くものは何でも面白いぞ~、みたいな自信満々の態度はもう絶対ダメ。

にもかかわらず、結局「奇談」の後に小一時間「ロッテリア」で潰してから、当初の目的の「ダーク・ウォーター」を見ることにしたのです。ジェニファー・コネリーを見るのは、むかしむかし、LDで「ラビリンス」を見て以来かも。懐かしー。

でもそんなこと言っても、いつの間にか彼女はアカデミー賞受賞女優というどうどうたる存在になっていたのですね。ハリウッドのイザベル・アジャーニ的存在といったら言い過ぎでしょうか。アンディ・マクダウェルにもちょっと似てきたような気も。

アバウトな印象ですが、これはホラーはホラーでもちょっと普通のサイコ・スリラーとか、ゴースト物とかとはちょっと違う存在じゃないか、と直感しました。これはどちらかというと今までにあまりなかった「生活ホラー」とも言うべきジャンルではないかと。つまり、進行していく出来事一つ一つは、日常生活のありふれた一コマなのに、それが怖く見えてくる。それはキャラクターの精神状態がそう思わせるような日常的状況に追い込まれていくからなのです。一番怖いのは人間、というのは加害者としても、被害者的としても言えることなのです。

で、これは、ジェニファー演じる離婚調停中の母親が、一人娘をつれて安アパートに(それでも広さだけで言えば十分広い)に越してきたところから始まります。ダンナとの醜い言い争いとか、管理人のおっさんや不動産屋とのやりとりとか、自分がかつて体験した日常のひとこまをかなりフラッシュバックさせてきて、その辺の描き方がうまいなーと思いました。ちなみに管理人のおっさんは、「ユージュアル・サスペクツ」で全然日本人に見えない「Mr. Kobayashi」を演じた人です。

見ながら、普通のホラーとは違って、途中でえもいわれぬ悪寒と居心地の悪さを感じました。いままで映画で感じたことのない感覚です。それは何かというと、つい先だって、自分の部屋が水浸しになったことのPTSDそのものだと言うことに気付きました。朝目が覚めて部屋の半分が水没している光景、結構きてます。

物語としては、ジェニファーが次第に自分がこども時代にいかに母親に愛されなかったか、をフラッシュバックで体験しながら、自分と娘を襲う異変の正体を突き止めようとする、というかすべてを疑いながら疑心暗鬼に陥っていくというのが縦軸です。やや予定調和的ですが、その中で、自分が母親であっていいのか、母親に必要な条件とはなんなのか、いままで何でもダンナに負けないようになりたい、と自分を追い込んでいたことに気付き、「ただ愛すること」のみが最も大事なのだ、と気付くまでの感動的な物語ではあります。演じるジェニファーも、スッピンじゃないにしても、生活臭をさらけ出した体当たりの演技。実際に身の回りに育児真っ最中の主婦がいると、余計に彼女の演技の迫真ぶりがわかります。

途中の彼女の壊れ方から、これは「ポゼッション」みたいに展開していくのかな、と思わせる部分もあるのですが、途中で有能な弁護士が登場したあたりから急転回、一気にエンディングまで見せてくれます。最後のどんでん返しはそう来たか、という感じ。ちなみに弁護士役は「レザボア・ドッグス」「フォー・ルームス」のティム・ロス。

音楽はまたしてもアンジェロ・バダラメンティ。いい仕事してます。映画としてもトータルでの演出力の勝利といってもいいでしょう。序盤で娘のセリアが一人で屋上に上っていくシーンや、こどもの目線になりきってのカメラワークなどが非常に利いています。

トータルで唯一の不満は、というと開演前にかかってたなぜか邦楽のタイアップ曲。Crystal Kayって全然歌がうまくなくって、とくにサビの締めくくり方が不安定な高音だから、聞いていて船酔いしそう。曲調もトータルのイメージと全然違う母性本能丸出しの曲だから、雰囲気もぶち壊しだし、予告編の時から、この曲が流れるたびにどっちらけてたものです。エンドタイトルでかからなかったのはよかったよかった。

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今日は都合で仕事が早く終わったので、早めに歌舞伎町にくりだしたのです。といっても9時台なのですが。最初は「ダーク・ウォーター」を真っ先に見るつもりでいたのですが、歌舞伎町のオールナイトでは、11時20分まで始まりません。モスバーガーで暇つぶしをしようと思ったものの、案外お客さんも多く、コーヒーだけで粘るのは気が引けたので、10時ごろには飛び出す羽目になってしまいました。それで目に付いたのがこの「奇談」。 諸星大二郎のまんがはいままでも結構読んでいたので、気になっていたのです。キャストは地味目だし、監督も知らない人だからなぁとは思っていましたが、飛び込んでみました。

最初の数分でちょっと後悔しました。先日「ノロイ」を見てさんざん後悔したのですが、プロデューサーが同じ一瀬隆重なのです。また間延びしたものを見せられるのかなぁと一瞬覚悟しましたが、さすが諸星大二郎原作つき、そこは心配する必要がありませんでした。阿部寛が先日の「姑獲鳥の夏」に引き続きおいしい役どころで出ています。主人公の藤澤恵麻は、いままで見たことがなかったのですが、なかなかモノローグの読みがうまく、トータルでは当たりでした。若い頃の伊藤麻衣子にちょっと似てるかも。常に美人に見えるわけではありませんが、ひたむきなキュートさがあって、よかったと思いました。

舞台設定はかつての隠れキリシタンの里を舞台にしていて、そこにある「ハナレ」という被差別集落のようなものが謎の中心として位置づけられています。諸星作品だと、普通に現れてくる異質な世界へのとびらなのですが、実写にしてしまうと、かなりベタに差別される、知的障害のある人々の集団のようになってしまって、変に生々しくなってしまった感は否めません。

かつて神隠しにあい、その記憶を失ってしまった藤澤演じる佐伯里美が、その謎を解き明かしながら、10年前の過去に忘れてきた「言葉」を発するまで、が無理なく縦軸として描かれていたと思います。

ただ、謎として引っ張るべき隠れキリシタンの変質した宗教の展開については、あまり伏線として見るべきものはなかったかもしれません。

クライマックスは、ちょっと映像としてはややちゃちに終わってしまったかもしれませんが、諸星ワールドにはなっていたかな、と思います。現代人が失ってしまったものへの問い掛けで終わるのはまあ、ちょっと月並みかも。
 北陸先端科学技術大学院大(石川県能美市)で開かれていたらしい、世界最強のコンピューター将棋プログラム決定戦は、勝負がついたらしいですな。やっぱり実力の差がある場合は、計算によって結果が出るのも早いんでしょうか。で、結局主催者側だったこの大学の飯田研究室のソフトが2敗で最下位…。残った2強の対決のうち、東大の研究者たちが作った「激指」を下して、フリーのプログラマー山下宏さん(33)のソフト「YSS」が優勝したんだそうです。

 これは何を意味してるんでしょうか。毛利元就の3本の矢ですかね、いやその逆か。大勢の人間が多角的に検証したプログラムよりも、個人の感性に基づく一貫性の方がプログラムに命を吹き込むことに成功した、ということでしょうか、それとも単純にこの山下さんの方が東大の研究者よりも賢かったのか。すくなくともバランスのとれたプログラムだった、ということなんでしょうな。

 じゃあ、この山下さんの他のプログラム、というのはどういうものなんでしょうかね。そういう意味で将棋以外のところにも興味が広がるできごとだったように思いました。
ずっと機嫌のわるいiMacのカルロス君。とりあえず一発お尻にiHatのファンをくっつけてCPUをじかに冷やしていま31度。そのすきに寝起きばなにOS10.4.3で立ち上げてみたら、なんと!アップデート後初めて起動できました。このまま調子をたもってくれよ!
テレビの世界も買収騒動に揺れていますが、もっと深刻な話は広告収入の減少でしょう。いままでは、なんだかんだ言ってもテレビでCMをうつことが一番の PRと信じて疑ってこなかった企業が、次第にネットの方に乗り換え始めているらしく、日本テレビ、TBS、テレビ東京の3社でCM収入が前年度を下回ったのだ、とか。

確かに個人的に問われると、テレビで観たCMの商品を買う、という消費行動自体をしなくなっている、そもそもテレビをあまり見なくなっているので、テレビのCMでものが売れるという感覚自体、幻影ではないかと思ってきたのですが、とうとうそのからくりも崩れるのかも知れません。

かといって、僕はネットの世界が万万歳だともおもってないのですがね。要するにソフトを作って、流す場所がテレビか、ネットか、ということの比較はあまり意味がなくて、本気で気にしなきゃいけないのは、テレビとか、アンテナとかを作っている家電業界の各部署の方でしょう。面白いコンテンツができたら、どこで流そうとそれは人気が出るでしょうからね。

ちょっと民放に勤めている知り合いに聞いたら、民放のテレビ番組、というのは、別にどうでもいいのだそうです。言うことが極端ですが、ようするに民放というテレビ局は、CMを流すのが一義的な目的であって、ドラマとか、バラエティーとかの番組は、言ってみれば「次のCMまでのつなぎ」でしかないのだそうです。もちろん、ずいぶん手間ひまかけた「つなぎ」ではありますが。

何年か前まで、スカイポート、というアナログCSもあり、あれは通信衛星だったからテレビではない、とか言われていたのですが、まあ、見る側にとっては、そんなことはどうでもいいですからね。四角い画面を眺めることにかわりはなし、あんまり難しく考えても無意味な気がしてきました。
最強の将棋ソフト世界一の座をかけて、3つのソフトが文字通り三つ巴の戦いを繰り広げるらしいですな。北陸先端科学大学院で16日から対局が始まったらしいです。

リーグ戦だからそれぞれが1勝ずつすれば引き分け、ということなんでしょうが、最強が決まってしまったらどういうことになるんでしょう。それは、プログラマーが将棋が強い、ということを意味するのか、それとももっと違う意味合いを持つのか。

・プログラマーが自分の思想をより上手にプログラムにつぎ込むことに成功した、という指標
・プログラマーが将棋というゲームの精神をより効率的に抽出した、という指標
・プログラマーがソフトそのもののプログラムを精密に設計した、という指標

になるんでしょうか。それは、あたかも将棋指しを生み出した、「神」を評価するようなものなんでしょうな。

もしも人間という種がいずれ他の生物に地球の座を譲るときがきても、それは「神」同士の代理戦争の様相を呈するのかもしれませんぞ。