金型職人のみならず、微細加工を必要とする職人は、指で触れただけでわずかな狂いが解ると言います。

技術で補える部分は、知恵と工夫で対応しています。しかし、市場が大きくない場合、または費用対効果を考えた場合、まだまだ、人の感覚に頼る世界は残す必要があるようです。


脳は発達しすぎたため、全てが利用されないで、寿命を迎えると言う話を読んだことがあります。


つまり、脳は私たちの現在の生活水準では一生かかっても使いきれないほど、能力を秘めているということです。


また、脳は、各人の環境に合わせ構築されるとも。


外国人が日本人の感覚を理解できないのも、逆に我々が外国人のことを理解できないのも当然なんですね。



例えば、子供の頃からずっと竹刀を振り回していると、それが体の一部として組み込まれ、使い慣れている竹刀にわずかな変化があっても、その違いがわかり、まるで、自分の手足の如くなるそうです。


私たちの脳は、自分の五体だけではなく、道具も自らの身体と同じレベルで感覚の一部として取り込み、使いこなすことができるということです。



そう言った観点から見ると、何十年も職人を実直にこなして来た人が、常人が感知できないミクロン単位の微細な違いや変化に気づく能力を身に着けるのは、我々凡人からすると超人的に見えても、生物学的には意外なことでは無いようです。



脳は学習し、記憶し、そして、思考し、判断するのですが、五感というセンサーに偏りがあれば、自ずと結果は異なってくるでしょう。



情報過多やストレスにより、五感というセンサーが偏って機能している場合、軌道修正はままならないかも知れません。


それ故に、自分の感覚を改めて見直し、触れて、感じることで、より精緻な情報を取り入れます。



握手一つで、その人が感覚として掴めるように、視て、聞いて、そして触れることを他人に対して行うように、自分自身に対しても行うことは可能です。


視ること、音を聞くことだけではなく、触れることでメッセージを発信し、また受け取ることで、私たちはもっと潜在力を活かすことが出来るはずです。
セルフセラピーに必要なモチベーションは、本人の動機付けです。対面セラピーと異なり、自らが明確な目標(問題の明確化とそれを乗り越えるメリット)を持たない限り、三日坊主にも成りかねません。



著名な心理学者の中には、セルフ・セラピーに対して、「自らの髪の毛を引っ張って、自分自身を吊り上げようとするようなものだ」という見解を出されています。


その意味するところは、自分のビリーフ(信じ込み)で自分を見るのだから、曇ったレンズで、自分の問題点を正しく見ることはできないということです。



一見、「なるほど!」と思えるのですが、そのように考えている人は、それまでです。「できるのではないだろうか?」と考えている人は、それを見出すことができます。


その理由の一つは、釈迦や達磨、その他、様々な人々が見事に達成している歴史があるからです。現代の心理療法家の中にもそう言った人は存在します。



「何を感じ、どのように想うか?」は、人の意識であり、気づきや修正も自分自身が行なっているのであり、セラピストは、それを補助しているに過ぎません。


自分の人生を決めているのは、所詮自分自身です。



人に依存するのも、結局は自分が決めいることに変わりはありません。


何時も、依存していると、無意識に依存するようになります。


考えることをやめ、自分の考えは二の次になり、支配されて行きます。



マインドコントロールという言葉があります。


マインドコントロールした人が悪いように世間では受け止めます。



確かに、成人になっていない子供はそうかも知れません。
しかし、ひとかどの大人であれば、マインドコントロールされる方にも問題があるのは確かです。自分の虚栄心や恐れ、不安様々な執着がマインドコントロールの遠因にあるからです。


自信を喪失(自分を疑っている)している時、恐怖心が芽生えている時などは、どんな人間でも、人の信条を受け入れてしまいます。(自ら、考えることを放棄し、本人不在の状態で、他人への依存状態になっているのですが。)


TVのコマーシャルや番組は、視覚と聴覚を効果的に活用し、目的のイメージに誘導します。


至る所に、無意識にリーチする手法が此処かしこにあり、意識が汚染されることさえ気づくことは、難しい昨今です。


自分が何を気にしているのか、どんな行動をしているのか?


そして、何が遣りたいのか?



自分自身に目を向けることで、そんな意識の汚染から逃れ、何時もの自分であり続けることができます。


無条件に委ねるのは、時として役立ちますが、拘りとは違う目覚めた感覚が重要です。
アドラー心理学、その影響を受けているTAWでは、被害者意識というキーワードを多く活用しますが、被害者意識が存在すると何がまずいのでしょうか?


自分は悪くないという立ち位置にいる限り、自分を変えようとはしません。そのような人は、人を変えようとします。時には、攻撃的になり、落ち込み、悲しんでみたり、理解できなくなったり、情動や無意識に絡む行動により、人をコントロールしようとします。


望む結果を得る方法は様々です。




絶対的に人をコントロールできる環境は、子育て時に現れます。


子供は、本能や情動、無意識に絡む行動により、親をコントロールします。特に、人間の赤ちゃんは、無力で生きるために必要な行動です。(赤ちゃんが、親をコントロールすることが悪いわけではありません。人は、無力で生まれます。これは、動物と異なり、適応環境を後天的に整える能力を有する為の結果です。)



しかし、大人になった時点で、それは通用しません。子供時分には、通用した方法が大人になるに従って、通用しなくなります。(親が子供の自立に向けて、上手く育てた場合、大人になって苦しむことが少なくなります。)望む結果を得ることが難しくなり、それは、自立と対極に存在するものです。

※自立とは環境適応能力


心理や意識学を魔法のように考える人も居ますが、当たり前のことを遣ってるだけなのがお分かりになると思います。


人の心は、信念(執着)に左右されており、当たり前のことが解らなくなる(幻想の中に居る)のです。


親から甘やかされた人(甘やかされた人とは何かに依存する人です。共生の関係ではない。)は、自分は特別な存在であると勘違いします。



大人になっても、それを掴んで離さない人は意外に多いのです。
(褒めてくれる人だけを好きになる。好き嫌いが激しい。煽てると別人格が現れる。他人は駄目な人であると信じる。常に、自分は間違っていないと信じている。自分が出来る範囲はこれだけだと信じている。などなど)


それら執着をなくす方法の一つがパナシアです。



パナシアは、例えば、

 【対象物】     【波動】

 「悪いもの」 = 「悪い気分」


 「良いもの」 = 「良い気分」


と考えて説明したと思います。(表現が正確ではありません。良い悪いという表現は適切ではありません。ゼロ化とは、良い悪いの中庸であり、反応を消し去るものです。)


悪い気分が減れば、その分、良い気分に使えます。


悪いと思っていたものが、単なる幻想だと気づいたとき、また、悪いと思えたものが、良いものとして活用できると気づくことは、マイナスが減り、プラスが拡大することを容易に想像できます。
(アークの遊行禅という技は、プラスを容易に増幅させることを目的としています。「良いものが増える」という技でもあります。)


 常に良い気分 ⇒ 雲門禅師の『日々是好日』となる

※良い気分とは居心地の良い状態(アドレナリン全開とは違います)



スポーツ選手であれば、目の前の競技に集中することが自然にできるようになる。(余計なことは一切考えない状態。気負いもなく、心地よく「いま、ここ」になる。)


物事や自分自身をありのままに観る能力

 正しく見る、正しく思う、正しく話す、正しく行なう・・・八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)です。



そして、同じ波動は、同じものと共鳴し、類は友を呼びます。(共鳴の法則)


昨今は、環境(情報)がめまぐるしく変化するため、ストレスは発生しやすい状況です。

人は、過去を背負い生きています。時代の変化が乏しいときは、役立つのですが、過去の経験が通用しにくい変化の激しい現在では、成功体験や失敗体験、教育、世間とのシガラミ等が、環境適応能力の妨げになっています。


行動パターンに変化を及ぼすには、その元になる自分自身を変えていくことが結局は、近道です。ただ、それには、苦痛やコストが必要です。


それを正面から受け止める自らの決意がなければ、その道は閉ざされていると考えても良いでしょう。



(おわり)
-------後半--------
また、TAWの話に戻りますが、TAWでは、360度自分、相手は鏡という概念がありますが、鏡の中の人を変えたければ、自分を変えれば良いというふうに解釈していますが、間違ってはいませんか?間違いがないとして、話を進めますが。この仕組みは、理解ができるのですが、パナシアでは、問題意識をゼロ化にする事で、悪い物が減り、良い物が増えていく、という表現をどこかでみました。この辺りは、何故そうなるのか、その仕組みを知りたいのですが、よろしくお願いします。(パナシアについてまだまだ、理解できていないかもしれませんので、的外れな質問でしたらすみません)。
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TAWは、自分が全てを創っているという考えが基本です。

そこから生まれるドグマは、「この世は自分一人」という思想です。
(一元から生まれた個という考えであれ、それは言葉の遊びです。)


アークは、自と他の調和によりこの世は成り立っているという考えです。
従って、自分が変わることで、再秩序化が起こると説明します。(自然の摂理)


また、アークでは、

 「自分が変わる」 = 「波動が変化する」

と考えます。


難しく考えることはなく、同じ人物でも、機嫌が悪いとき、機嫌が良いとき、声を掛けたくなるのは、後者だと思いますが、微細な変化も人は同調し共鳴し、行動に変化を及ぼすのです。(自分の行動(波動)が変われば、他も自然と変わります。空気を読むという言葉は良い例です。)


自分も他も存在し、その調和の中で生きている。そして、調和が乱れれば、それに従って他が適応する。(自分が存在するのは、他があり、他と分離しているからこそ自分が存在する。生命は、細胞膜を作り外界との分離から始まりました。)


従って、TAWのような、この世は自分一人という考えでは、導けない考え方です。この考え方の違いが、大きな違いを生み出します。現象化論の内容も当然違ってきます。



どちらの考え方を選ぶかは自由です。私は、再秩序化を支持します。それ故、再秩序を前提として話を進めます。



多くの心理本で言う、相手は鏡というのはメタファです。


相手の嫌な部分を見るとき、それは、自分の中にある意識が動いていることは、お分かりになると思います。


自分の中にある意識が外界の対象に反応している訳です。


それ故、相手に映っているもの(観ているもの)は、自分の意識の中に反応するプログラムが存在し、鏡のように映しているようなものだということです。(外界から己の内なる姿を観る。)


そして、360度自分というの言葉は、メタファとして使われるべきです。


自分が認識できないものは、無いものと同じですから、自分の意識(五感)が認識できるものしか、人は解釈(反応)ができません。


しかし、自分が認識できないものは、存在しないということにはなりえません。



ところが執着がなくなると、視野が広くなり、観ていなかったもの(無意識に避けていたもの)が見えるようになります。(人であれば相手の無意識の考えが見えてくるようになる。一見ネガティブな行動でも、深い意識には肯定的な意図が存在します。)


これらは、意識の仕組みが肌で解るようになると理解できるようになります。



上記の内容を十分に知ることができれば、対人のみならず、モノ、環境、全てに応用できることになり、現象化のヒントを得ることができるでしょう。




(つづく)
刺激に対して、ネガティブな反応をしないのは、その人のメンタル面を支える条件によって変化します。


自分に自信があるときで、所謂、絶好調のときは、何をやっても、放っておいても、問題にならないでしょう。


しかし、一度スランプになると、何もかも上手くいかず、どんなアドバイスもマインドに変化を与えることができなくなります。


私の提案ですが、まず、以前ブログに紹介した小出監督の記事を再度ご覧ください。


『フェルト・センス』


ここで、重要なのは、「信頼関係」です。


仕事が出来る人の特徴の一つは、「信頼関係」の構築の上手さです。


これは、先生、生徒の間でも同様です。



優秀なセラピストは、クライアントと短時間で「信頼関係」を構築することがとても上手です。(つまりクライアントは、心がオープン状態になっている。傾聴、ペーシングなどの手法は、心(クリティカル・ファクター)を開かせる為のメソッドです。)


昨今の体罰の議論も、生徒との信頼関係がある教師であれば、問題になる頻度は低いでしょう。
しかし、信頼関係が構築できていない場合は、先生からすれば愛の鞭なのでしょうが、生徒から見ると単なる暴力となり、問題化する確立は高くなります。(暴力を肯定しているわけではありませんので誤解なきようお願いします。)




まずは、信頼関係を作り(「やま」さんの話を受け容れる関係を作り)その上で、「禅と弓」などメタファを利用します。

生徒にメンタル面の強化について、問題意識とその解決に向けて、モチベーションを高めるプロセスに誘導できれば、切っ掛けを掴むことができるかもしれません。

多少手法が奇抜であっても、結果と実績を踏まえ役立つことを明確に証明します。



上記は、あくまで例ですが、信頼関係構築には、これが良いというものはありません。
(NLPなどで紹介されている、信頼関係を構築する技術ペーシングは、モデリングであり、一般の方が現場で即座に役立てることは難しいでしょう。それよりも、声を掛ける、時間の共有、選手の目線になる、スポーツ以外の悩みを聞く、同じ釜の飯を食う、共通の話題で盛り上がる、お風呂に一緒に入る・・・心を通わせ、信頼関係を構築する術は、日常の中に隠されています。)


小出監督は、一日の殆どを選手との時間に費やすそうです。


寝食を共にする関係が、信頼関係を作る上で果たす役割は見過ごせません。




前半の質問に対して、気になることがあるので、付け加えさせて頂きます。


「やま」さんは、メンタル面が強くなったということですが、自分自身では、未だ未だだと思われているようです。


つまり、深い意識で、自分自身のメンタル面の弱さが残っていることをご存知だということです。(完全に克服されていない)


そのため、生徒のメンタル面の弱さが露呈したとき、生徒との関係はギクシャクしたものになります。


何故なら、かつての自分自身をそこに観るからです。




信頼関係を築く上で、それは障害になります。


人に強要して、人は変わりません。同調(共感)したとき、人は自ら変化を見せ始めます。(共感の重要性)


人は、自分が変わろう、変わりたいと、意識のどこかで想い始めると切っ掛けがあれば、変わります。(動機の重要性)


結論として、私は、「やま」さん自身が変わることなく、望みのものは、容易に手に入らないと考えています。


既にお分かりのことと思いますが、深い意識で、生徒と共感し導くことを妨げる意識が存在するからです。


※この辺りは、ヒプノや意識の原理を学ばなければ、理屈を理解するのは難しいかも知れません。



(つづく)
話を戻します。


「弓と禅」をご覧になったのですね。


以前、ブログに「日本の弓術」(弓と禅の姉妹版)について、内容をそのまま引用し、紹介させて頂きました。


『悪い射に腹を立てないことはもうご存知のはず、良い射に喜ばないことを付け足しなさい』


ゼロ化すると、悪い射、良い射に対して、妙な情動が働かなくなります。


それが、ゼロ化の威力です。


余談ですが、現在のアーク(レガリア)は、「日本の弓道」に出てくる以下の行(くだり)にある内容を実行してると受け止めています。
(補足ですが、人によって、解釈が異なりますから、必ずしも、私と同じように感じているとは限りません。)


『仏陀が瞑想にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。
的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は有と非有の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。』



高校生に試してみるということですが、「やま」さんと同じ学習(経験)をしてきた人には、同じような効き目があるかも知れませんが、そう簡単ではないと思います。


刺激に対して、ネガティブな反応をしないのは、その人のメンタル面を支える条件によって変化します。



『悪い射に腹を立てないことはもうご存知のはず、良い射に喜ばないことを付け足しなさい』


の言葉は、人によって捕らえ方が違うからです。


そして、そもそも『悪い射に腹を立てない』ことが出来る方は、実際のところそう多くないでしょう。


表面的には、繕っても、意識の奥底では、悔しく想い、怒りを感じているかも知れません。


『良い射に喜ばない』も同じことです。


心の底から、「あぁ!そうか!」と言う想いが出てこない限り、容易に人は変わりません。


(つづく)
以下の質問に回答させて頂きます。

-------前半--------
刺激 → 反応 → 結果と言う点では、実力を発揮する人も、発揮出来ない人も同じ見方ができると言う点に、目から鱗でした。 この二つの現象は全く違うと思っていましたので。でも、本当にそうだなと思いました。この視点にとても興味深く感じています。実は私も全日本の試合で、勝ち上がって行ったことがあるのですが、メンタル面がとても弱く、何とかしたいと思い、自分なりに本を読んだりしていました。ある日、弓と禅の本に出会いました。その中で印象に残っていることは、『悪い射に腹を立てないことはもうご存知のはず、良い射に喜ばないことを付け足しなさい』と言うくだりに、大変感動し、その後はこの言葉を心がけて試合したのを思い出します。それからはメンタル面がとても強くなったのを思い出しています。
今思えば、刺激に対して、反応がマイナスに働かなくなったのかもしれないと思いますが、いかがでしょうか。もしそうなら、現在指導している高校生あたりに、試したらどうなのかとも思うのですが、どう思われますか?
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 刺激 → 反応 → 結果

この「反応」の部分がプログラムということです。

人は、学習を通して、このプログラムを作り上げます。学習とは、学校で習うことも含まれますが、経験や習慣なども含まれるのは、ご理解頂けると思います。


心理セラピーは、この「反応」の部分にアプローチし、変化を起こし、今までとは違うプログラムを構築するという見方をするとわかりやすいでしょう。



アレルギーや病状も「結果」と捉えると、「反応」を制御することで、望ましい結果に変えることが可能だということになります。


病気でも、スポーツでも、ビジネスでも、この公理の視点から見ると同類となります。


もっと言うと、生活上の「問題」、「願望」さえも、同じ公理の中に存在します。



「やま」さんのメンタル面が改善したのは、脳に対して、ある変化を起こさせたと考えてください。


きっと、「腑に落ちた」感覚があったかと思います。


腑に落ちた結果(全脳一致)により、メンタル面に変化がありました。



脳は、三層構造で、大雑把ですが、脳幹、大脳辺縁系、新皮質(右脳、左脳)の計4つの部位を持っています。(各部位のプログラムはそれぞれ特徴があります。そして、海馬を含め小脳等の詳細については、未知数で此処では取り上げることはできません。それは、私がその分野では無知だからです。その点は、ご配慮ください。)


脳の各部位は、連携しています。それぞれが影響しているが故に、リーチの仕方で、良い結果もでれば、予想外に悪い結果を導くこともあります。


それでも、同じ環境下で結果が変わったと言うことは、何かしらプログラムに変化が起こったと言うことになります。



4つの部位のどこにリーチし、修正を行なうか(プログラムの変化)により、セラピーの手法が異なると理解することで、心理セラピーや心理コーチングが何をしようとしているのかが明確になります。


従って、同じ目的を達成するには、様々な手法があることが解ります。


それ故、手法に拘るのではなく、自分に合う手法を見つけるという訳です。




何故、自分に見合う手法が必要なのでしょうか?


人は、判で押したような同じ素養の人間は、多くないでしょう。


各人の脳はそれぞれ共通した部分もあれば、過去の五感による学習により、ビリーフ(信念)を通して反応します。


その結果、脳が受け入れやすい反応パターン(逆に拒否する反応パターンも存在)を作り上げます。



一億人居れば、一億通りの人が存在するという訳ですが、それでは、セラピーが大変なので、一定のパターンに分けて、モデリングを行ないます。


その機軸の一つは、優位感覚によるアプローチです。


簡単に言うと、その人の癖のようなものです。


視覚(Visual)、聴覚(Auditory)、身体感覚(Kinesthetic)、嗅覚(Olfactory)、味覚(Gustatory)は、V、A、K、O、Gとして表されます。


Vは、意識に与える影響を50~60%を占め、Aは、10~20%と言われます。Vを含め、その他は、合計で10~20%前後です。


そのため、V、A、Kが優位感覚の識別方法として、NLP等で取り上げられます。


印象操作に於ける優位感覚は、


 V > A > K

しかし、脳の進化の歴史から実際の身体的影響力は、


 V < A < K

となります。


例えば、実際に温泉に入ったところをイメージしてください。


見た目が良くても、お湯の肌触りがNGだと・・・

見た目が良くても、騒がしいと・・・


逆に、見た目は今ひとつでも、心地よいぬくもりと滑らかな湯ざわりがあると・・・

見た目は今ひとつでも、清流の流れる音が遠くから聞こえると・・・


優位感覚は、後天的学習と先天的な進化の過程に連動しますが、その優位性のバイアスは人によってマチマチです。


それにしても、体感覚の記憶は強力であり、ポジティブな身体を創り上げる上で、とても重要な要素なのです。(身体の癖は、心の癖でもある訳です。)


赤ん坊や小さな子供は、言葉や表現ではなく、身体感覚(波動)で「愛情」を理解し記憶します。


自信の無い子の背中をやさしく押してやる。

勇気付ける為に肩を抱く。

手を握って、相手に期待を伝える。


言葉や表情や文字ではなく、そういった小さなケアに、コミュニケーションの極意があります。


(つづく)
先日の質問者の方から、以下の問合せを頂きました。


引き続き、回答させて頂きます。


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(前半省略)

何かの機会に体験できればと思っています。
また、私はスポーツ指導を行っている者ですが、今後、スポーツの結果を出す事に応用出来ないかと考えているところです。

例えば、メンタルが弱く、力を発揮出来ず、負けて行く選手をたくさん見て来ましたが、巷のメンタルトレーニングは、何か実用的ではない様な気がしています。精神的に弱い選手や怪我をする選手もいろんな手法で改善の余地があるのかと…

ただ、どんな時にどんな手法が効果的なのか、見当がつきません。

スポーツとは無縁でしたら、的外れな質問になりますが、もし応用できそうなら、何かヒントを頂ければ幸いです。

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選手に十分な成果を出して欲しいということですね。


ご尤もなことです。


結論からお話します。


メンタル面のトレーニングは可能です。これは、パナシアが得意とする部分です。


参考に、エクスポージャー(暴露療法)を調べられると良いかと思います。


パナシアの方法については、アーク関連のサイトに掲載されていますので、既にご覧頂いているかと思いますので割愛します。



エクスポージャーにせよ、パナシアにせよ、自らの認知の歪み(認識の逃避)があるため、セルフセラピーを行う上で、最も難しく乗り越えなければならない壁の一つが存在します。


単に技法を知りえただけでは、乗り越えられない方が居るのは確かです。



以前、私のブログで「縁なき衆生」の話を書きましたが、この方は私よりも知識は豊富ですし、アーク在籍暦も長いのですが、長く結果を出せないでいます。


理由は簡単で、解決すべきターゲットがズレているからです。過去の無用な成功体験や様々な精神世界の知識が邪魔をし、無明に陥っているため空回りをします。また、ターゲットは場合によっては、変化しますので、それに惑わされること無く対応する力が必要です。


迷いが迷いを呼ぶようになると、恐れが増幅し、混乱を招き自滅します。人によって様々ですが、疑心暗鬼にもなります。



私の場合は、変化が明確に解る自分の身体の問題(アレルギーなど)の解決から取り組みました。次に、身近な子育ての問題に取り組み、仕事に関わる人たちへと広げ、一つ一つエビデンスを造る事に注力しました。


迷ったときの対応方法は、波動干渉をマスターしていた経験が随分と助けてくれました。


恐らく、新田さんなどは、他のセミナーや修行経験がパナシアを活かす結果へと繋がったと思います。


さて、スポーツマンのメンタル面のトレーニングですが、平素、才能がある選手が本番になると、実力以下の結果しか出せないという場合と、才能に恵まれていなくとも、本番になると、実力以上の能力を発揮する選手が稀にいます。


前者も後者も環境が変ったことによる変化という面では同じ見方が可能です。


 刺激 → 反応 → 結果


環境が変ることによる刺激が、いつもとは異なる反応を示し、問題の結果を生み出したと考えることができます。


つまり、本人の反応がいつもとは変ったということです。

前者の選手の場合は、マイナスに変化し、後者の選手の場合はプラスに変化した。


この反応の部分にメスを入れることが、今回の問題の解決のポイントとなります。



瞑想をやっても、お経を読んでも、ヘミシンクを聞いても、全く効果が無いとは言えませんが、火事になっている家の隣の家に放水しているようなものです。


怪我をする選手は、実力以上のことを行ったか、実力以下、または応分のことをやっているにも関わらず、怪我をしてしまうのは、何かしらの負担(歪み)があるのかもしれません。(本来の目的が違う可能性もあり、一言では片付けられません。)


メンタル面に関わることが原因であれば、それを予防し、改善することは可能です。



何れにしても、「やま」さんが自分自身で実体験し、スポーツに対応する方法へと落とし込むことです。様々な選手に対応するとなれば、ご自身にとって平坦な道ではありませんが、チャレンジしてみる価値はあります。


そして、自分の経験が糧となり、様々な選手の問題点を見分けることができるようになると思います。


オールマイティに開発されたものでも、専門分野を深く知りえる人は、些細な部分でも取り組み方が異なりますし、選手とのラポール(信頼)や意識の共鳴は自ずと深くなります。


まして、セルフセラピーに取り組む余裕がない選手には、コーチングで取り組む方が時間と即効性では有益なように思います。(適正のある選手をピックアップし、成功事例をつくることも重要です。)



安田先生に見学や率直な意見をお聞きになりたいとのことでしたらご一報ください。
(誰でも対応する訳ではありません。場合によってはお断りさせて頂く場合があります。また、可否は安田先生の判断となります。)

僭越ですが、簡単で構いません。先生宛に簡単な自己紹介と目的等(対処したい問題)主旨と連絡先をまとめてご連絡ください。

「アメーバブログ」の「メッセージを送る」からご連絡ください。
(新田さんや、安田先生に直接相談されても宜しいかと思います。自分でやり易い方法を選んでください。)

【どんなときに、どの技を使うのか?】
身体的な問題。人間関係。願望実現。などなど、自分が解決したいと思う内容に対して利用します。


現在、私は、波動干渉とパナシアのみ使っています。TAW的な原因を分析する手法やインナーチャイルドセラピーは、今や興味がありません。(原因を分析やインナーチャイルドセラピーを否定している訳ではありません。)なぜなら、望む結果に導くために殆どの事例で不必要だからです。

ただし、波動干渉は、広義の意味も含まれます。(広義という意味は、様々な心理メソッドは波動干渉の応用だからです。)


例外としては、どんな技を使っても、症状が一向に改善されないとき、自ら誘導瞑想を行い原因を明確にし対処方法を練り直します。



波動干渉をマスターしてからは、他者に対面セラピーを行なうとき、相手からの問題の提示を求めなくとも対処できるようになりました。

理由は、その人の波動を利用すれば対応できるからです。利点は、コミュニケーションが不得手な子供でも対処できることです。(但し、波動を体感できない方には、この限りではありません。)


誤解なきよう、お伝えしておきますが、分析系セラピーを利用することで、簡単にカタルシスを起こすことができる場合もあり、どんなメソッドも適材適所で行えば、大変有効に作用します。



話は戻り、願望があった場合、現在と達成した未来との差異は、波動干渉を使えば即座に体感できます。


その差が解れば、目的が明確になり、対処可能となります。



上記、波動をパナシアでゼロ化することも多々あります。

また、ネガティブな想いは、その場か、余裕があるときに別途波動を再現してゼロ化しています。


ポジティブな想いにもネガティブな想いが裏側に潜む場合もありますので、その点も留意しています。(慣れれば直ぐに解るようになります。)


波動干渉もパナシアも深い意識に恒常的に落とし込むまで、やりぬくことが重要なことです。

その説明はご容赦ください。



どんなセミナーにしても、受ける方がその目的に合わせ取捨選択をするのは当然のことですが、実際には受講して見なければ、自分がイメージしていたものと合致しているかは、解りません。



セミナーは、受けた方が満足すれば、100点を出す人もいるでしょう。同じセミナーを受けても、自分が欲しいものがそこに無ければ、20点かも知れません。


よって、人によって評価はまちまちでしょう。



自己啓発系の書籍は、誇大なキャッチコピーを掲載し人の期待を煽ります。


自分の意識や心の世界は、知っているようで、知らない世界です。


自分自身を見つめることで、他人をより深く理解でようになります。



見えなかったものが見えるようになるのですが鶏卵の関係です。


その手段は、一様ではありません。



アークは、本来の面目、つまり、本当の自己に出会い、その人生を生きることを一つの目的としていますが、それには理由があります。

その応えは、私から述べるものではなく、各人が見出すことができるものです。



シンプルな回答ではなく、つい余計な内容も多くなりました。


体で考えるという表現が正しいかは別として、文字で伝えることができなことも多々あります。その点は、ご配慮をお願いします。



勝手な解釈と表現があり、読みづらい箇所もあったように思います。

その中でも、ご理解頂ける部分もあったのではないでしょうか?


長くなりましたが以上です。


(おわり)
【パナシア】
パナシアは、上記問題点を考慮し、万人向けに考案された技法です。


シンプルですが、根気が必要な分、その人のやる気に依存しているとも言えます。


シンプルな分、疑問が出てくるのは当然です。


それを如何に消化するかも課題です。私が友人等に伝えるときも、面白い質問が沢山でてきますので敢えて記述しました。



波動干渉は、慣れてしまえばどこでも出来ますが、パナシアの方が慣れてしまえば、より自由度は高いと思います。


歩きながら、電車の中、仕事中でもどこでも使えます。

従って、量をこなすことが可能となり、軌道に乗れば、不要な自我を簡単に処理できるようになります。


波動干渉がポジティブな成功体験等本人の資質を利用する場合がありますが、パナシアの特徴は、人間本来が生来持っている本能的な機能を利用し問題解決を図るところです。


パナシアのセミナーが始まってから、「ゼロ化」という言葉が飛び交うようになりました。

解りやすく言うと「ネガティブな情動を取り除く」ということです。


パナシアの効果は、この点にあります。


パナシアの目的は、全脳一致状態を日常的に作り出すことです。



そして、パナシアをより深く役立てるには、「受動的集中(拡散的集中法)」「能動的集中」「禅定」をマスターする必要があります。


【パナシアの更なる発展系】
これは、昨年から今年に掛けて開発中のものです。


どこから、どこまでパナシア?と呼ぶのか今は明確な定義はありません。


故に、技法は松竹梅とありますが、本質的なパナシアは、未だ進化の途中と認識しています。

今は案内できる時期ではなく、許可も必要ですから割愛します。詳しくはアークのサイトをご覧ください。


【波動干渉、パナシアの問題点】
先にも述べましたが、シンプルが故の難しさがあります。

アークの特徴は、米国系のセミナーに見られるような、ぎっしりと記述された教科書的なものはなく、技(メソッド)中心としたものです。


それ故、学ぶ(真似る)、やってみる(経験する)、その中から芽生える疑問や質問や経過に対して、アドバイスを個々人に対して行なうという手法を採っています。


自らが求めていくことで、スキルがアップするという点では、受身教育慣れしている方にとっては、得るものが少ないでしょう。



そもそも安田隆氏が、この世界に関わる切っ掛けとなったのは、ドラマー時代に神掛かった経験を論理的に解き明かし、何時でもその状態を再現できるようになるという目的から始まったと本人から聞いています。



宮崎氏とは、動機の部分で異なり、同じような分野にカテゴライズされそうですが、辿った道や視点、考え方には大な違いがあります。


「悟り」の定義については、TAWの指す悟りとアークの指す悟りは異なります。


定義が異なるため、両者の「悟り」を比較することはできません。


一つ言えるのは、アークの「悟り」が昔から言うところの「悟り」を示しているのは間違いありません。



安田氏の「本質」を捉える視点は一品です。

心理分析も表情以外からセラピーなしで読み取る力があります。


アークは一朝一夕に理解できるものではなく奥が深いです。


(つづく)