アドラー心理学、その影響を受けているTAWでは、被害者意識というキーワードを多く活用しますが、被害者意識が存在すると何がまずいのでしょうか?


自分は悪くないという立ち位置にいる限り、自分を変えようとはしません。そのような人は、人を変えようとします。時には、攻撃的になり、落ち込み、悲しんでみたり、理解できなくなったり、情動や無意識に絡む行動により、人をコントロールしようとします。


望む結果を得る方法は様々です。




絶対的に人をコントロールできる環境は、子育て時に現れます。


子供は、本能や情動、無意識に絡む行動により、親をコントロールします。特に、人間の赤ちゃんは、無力で生きるために必要な行動です。(赤ちゃんが、親をコントロールすることが悪いわけではありません。人は、無力で生まれます。これは、動物と異なり、適応環境を後天的に整える能力を有する為の結果です。)



しかし、大人になった時点で、それは通用しません。子供時分には、通用した方法が大人になるに従って、通用しなくなります。(親が子供の自立に向けて、上手く育てた場合、大人になって苦しむことが少なくなります。)望む結果を得ることが難しくなり、それは、自立と対極に存在するものです。

※自立とは環境適応能力


心理や意識学を魔法のように考える人も居ますが、当たり前のことを遣ってるだけなのがお分かりになると思います。


人の心は、信念(執着)に左右されており、当たり前のことが解らなくなる(幻想の中に居る)のです。


親から甘やかされた人(甘やかされた人とは何かに依存する人です。共生の関係ではない。)は、自分は特別な存在であると勘違いします。



大人になっても、それを掴んで離さない人は意外に多いのです。
(褒めてくれる人だけを好きになる。好き嫌いが激しい。煽てると別人格が現れる。他人は駄目な人であると信じる。常に、自分は間違っていないと信じている。自分が出来る範囲はこれだけだと信じている。などなど)


それら執着をなくす方法の一つがパナシアです。



パナシアは、例えば、

 【対象物】     【波動】

 「悪いもの」 = 「悪い気分」


 「良いもの」 = 「良い気分」


と考えて説明したと思います。(表現が正確ではありません。良い悪いという表現は適切ではありません。ゼロ化とは、良い悪いの中庸であり、反応を消し去るものです。)


悪い気分が減れば、その分、良い気分に使えます。


悪いと思っていたものが、単なる幻想だと気づいたとき、また、悪いと思えたものが、良いものとして活用できると気づくことは、マイナスが減り、プラスが拡大することを容易に想像できます。
(アークの遊行禅という技は、プラスを容易に増幅させることを目的としています。「良いものが増える」という技でもあります。)


 常に良い気分 ⇒ 雲門禅師の『日々是好日』となる

※良い気分とは居心地の良い状態(アドレナリン全開とは違います)



スポーツ選手であれば、目の前の競技に集中することが自然にできるようになる。(余計なことは一切考えない状態。気負いもなく、心地よく「いま、ここ」になる。)


物事や自分自身をありのままに観る能力

 正しく見る、正しく思う、正しく話す、正しく行なう・・・八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)です。



そして、同じ波動は、同じものと共鳴し、類は友を呼びます。(共鳴の法則)


昨今は、環境(情報)がめまぐるしく変化するため、ストレスは発生しやすい状況です。

人は、過去を背負い生きています。時代の変化が乏しいときは、役立つのですが、過去の経験が通用しにくい変化の激しい現在では、成功体験や失敗体験、教育、世間とのシガラミ等が、環境適応能力の妨げになっています。


行動パターンに変化を及ぼすには、その元になる自分自身を変えていくことが結局は、近道です。ただ、それには、苦痛やコストが必要です。


それを正面から受け止める自らの決意がなければ、その道は閉ざされていると考えても良いでしょう。



(おわり)