ひさしぶりのブログ投稿です。


ロンドンオリンピックたけなわですね。

脱原発デモ、消費税増税法案は通るか、オスプレイ配備は受け入れられるか、etc.

暑気当たりに息絶え絶えのわたしでも世情のあれこれは自然に耳目に入ってきます。


そのひとつに、いじめ、いじめに起因すると思われる自殺(自死)の話も大きく取り上げられています。 調査委員会の設置などなされるようですが、結局、警察の捜査と裁判が行われなければ実態はどうであったかのかは明らかにならないのでしょう。


多くの人たちが述べておられるように、近年の急速な「ネット社会化」も事態をさらにややこしいものにするのでしょうね。


いじめ、嫌がらせ、意地悪などというものは人間社会には不可避なものだと思うが、時にそれが常軌を逸したところまで行き着き、悲劇的破綻を迎えるまで止まらないことがあるのがこわい。 犯罪としか言えない事態にまでエスカレートしても、加虐者(集団)も、場合によっては被虐者自身でさえ、それを認識できない場合があるようだ。


こういう事象や心性も現代社会の有様の反映かもしれませんね。

こいつ、まだまいらない、まだ死なない・・・・と徹底的に追い詰めるまで気が済まない。

こういうことが、子どもの世界にまで起こっているのだというのは言い過ぎだろうか?


家族のきずなだの人とのつながりだのとかまびすしい一方で、異質・異物を作り出して排除・攻撃しようとする心性が私たちにないと言えるだろうか。

他人が苦しみ困っているのを見て、カラカラケラケラ笑っている人たちを昨年の大災害以後、何度か見たものだ。


「憎まれっ子、世にはばかる」、または「生きているうちこそ花なのよ、死んだらそれまでよ」、または 「死ね、などとほざくてめえが豆腐の角に頭ぶつけてくたばっちまえ」


ってなところ肝心です。












  気が向いたときしかブログアップしていませんので、

その点はご容赦ください。


昨年の大震災、原発大事故から一年が経ちました。

ある人たちには服喪の一年であり、またある人たちには生活基盤の再建に苦闘した一年だったかもしれません。

為すすべもなくただ日々埋没するしかなかった方々もいたかもしれません。

私自身も、この一年は間接的な形でいろいろな経験をしたような気がします。


「自助」という言葉があり、「天は自ら助くる者を助く」というこわざがありますが、これは英語の


Heaven helps those who help themselves.


のほぼ直訳です。

自分でなんとかしようと頑張る人には天(社会や周囲の人たち)も手を貸そうとするものだ、くらいの意味合いでしょうか。


ただ、この度の災厄では自力で立ち上がろうとする気力も折れてしまったり、どうすれば生活再建の方途が見つけられるかわからない方もおられるのではないかと思います。

私自身も経験がありますが、「先の見通しが立たない」というのは非常に辛い、厳しいことなのです。


それにしても、この間の国、政府の対応の遅さは何なんでしょうか。

個人や小規模自治体でできることには限界があり、こういう時に力を発揮すべきが、まさに「政治」でしょう。

海外の新聞に「日本は復興を遂げた」などと寄稿する神経はどこから来るのでしょうか。








  今年、2012年は「日活」創業から100年になるそうだ。

「日活」と言われてもピンとこない若者もいるかもしれませんね。

1912年(大正元年)9月に四つの活動写真会社が合併して、「日本活動写真株式会社」(略称・日活)という日本初の大手映画会社が誕生した。

(この年の7月末に明治天皇が崩御して明治45年から大正元年に変わった)

初代社長には四社のひとつ、M・パテー商会の社長だった「梅屋庄吉」氏が就任した。


  この辺の事情は佐藤忠男氏の労作

  「日本映画史」(全4巻・岩波書店)に記述されている。


 梅屋庄吉氏については近年大きく取り上げられている。

長崎出身の実業家で写真業と活動写真で財を成し、孫文たちの中国近代化運動を資金的に援助したり、孫文の日本亡命時には自宅に匿い、孫文はそこで宋慶齢と結婚している。

孫文は中国(大陸でも台湾でも)では「国父」と称されていて、宋慶齢は後に中国共産党副主席にまでなっているのだ。

昨年2011年は1911年の「辛亥革命」から100年ということで、ジャッキー・チェンが「1911」という映画を公開して話題になった。

ジャッキー・チェンが演じたのは中国近代化闘争で主に軍事部門を指導した「黄興」(日本語読みではコウコウ)であった。

蒋介石も一時梅屋邸に身を寄せていたらしい。


梅屋氏については、

「盟約ニテ成セル 梅屋庄吉と孫文」

     読売新聞西部本社  2002年 2,000円

「革命をプロデュースした日本人」 小坂文乃・著

          講談社  2009年 1,785円

の他、最近、類書が多く出版されている。


この梅屋氏はほどなく日活社長を退任したらしい。


「日活」という社名だけは続いているが、経営主体、企業活動内容変化の連続であったようだ。

現在の中高年世代が頭に浮かぶのは、石原裕次郎や吉永小百合を売り出した青春物路線と、日活ロマンポルノであろうか。

どちらも窮余の策として生まれたものらしい。これは多少とも邦画に関心を持っていた人なら何となく知っていることだと思う。

先に挙げた「日本映画史」にも記述があるし、いろいろな映画本にも書かれたことである。


さて、私に限って言えば前者についてはリアルタイムでは経験していない。後にテレビで放映されたり、レンタルビデオの時代になってから観ただけである。この俳優さんや監督の若い頃はこうだったのね、という観方である。

70年代初頭から80年代半ばにかけてのロマンポルノの時代はちょうど青年期と重なる。どこかの高校の文化祭で上映しようとして学校当局に電源を切られたとか、同級生が年齢を偽って観てきたとか・・・・・

その頃、ロマンポルノにロマンはあるか?などといっぱしの口をきいていた悪ガキ(高校生)もいた。

日活100年と聞いて、少々の追憶の披露というわけだ。


よく言われることだが、映画館のあの暗闇の心地よさ。

実演公演と違って、客席に黙って身を委ねているだけでいい。

演者とコミュニケーションを取らなくちゃとか、反応しなくちゃなどと気を使う必要もないし。

シネマコンプレックスの小奇麗さもそれはそれでよいが、従来の映画館やいわゆるミニ・シアターも捨てがたいと思う。 まぁ、あまり足を運ぶわけではないから、したり顔もできないけれど。

  このあたりの話について味わい深い本

 「ミニシアター巡礼」 代島治彦・著 大月書店 2011年9月・刊


 現在の「日活」のサイト

 http://www.nikkatsu.com/  

 
ことわっておきますが、わたしは「日活」の回し者ではありません。

しいて言えば、映画の歴史はたかだか百年余くらいのものだと言いたかったのです。