ひさしぶりのブログ投稿です。
ロンドンオリンピックたけなわですね。
脱原発デモ、消費税増税法案は通るか、オスプレイ配備は受け入れられるか、etc.
暑気当たりに息絶え絶えのわたしでも世情のあれこれは自然に耳目に入ってきます。
そのひとつに、いじめ、いじめに起因すると思われる自殺(自死)の話も大きく取り上げられています。 調査委員会の設置などなされるようですが、結局、警察の捜査と裁判が行われなければ実態はどうであったかのかは明らかにならないのでしょう。
多くの人たちが述べておられるように、近年の急速な「ネット社会化」も事態をさらにややこしいものにするのでしょうね。
いじめ、嫌がらせ、意地悪などというものは人間社会には不可避なものだと思うが、時にそれが常軌を逸したところまで行き着き、悲劇的破綻を迎えるまで止まらないことがあるのがこわい。 犯罪としか言えない事態にまでエスカレートしても、加虐者(集団)も、場合によっては被虐者自身でさえ、それを認識できない場合があるようだ。
こういう事象や心性も現代社会の有様の反映かもしれませんね。
こいつ、まだまいらない、まだ死なない・・・・と徹底的に追い詰めるまで気が済まない。
こういうことが、子どもの世界にまで起こっているのだというのは言い過ぎだろうか?
家族のきずなだの人とのつながりだのとかまびすしい一方で、異質・異物を作り出して排除・攻撃しようとする心性が私たちにないと言えるだろうか。
他人が苦しみ困っているのを見て、カラカラケラケラ笑っている人たちを昨年の大災害以後、何度か見たものだ。
「憎まれっ子、世にはばかる」、または「生きているうちこそ花なのよ、死んだらそれまでよ」、または 「死ね、などとほざくてめえが豆腐の角に頭ぶつけてくたばっちまえ」
ってなところ肝心です。