唐突ながら、自宅で観る映画を選ぶ際、時間や天気に左右される事ってありませんか?
映画なんて画面を眺めるだけなんだから、いつ観たっていーじゃん?と思う人もいるでしょうが(むしろこれが正常な意見かも)、例えば、冬の夜に『地獄の黙示録』、夏の晴れた昼間に『サイコ』を観ても、チト興醒めな感じがするんですよ。
今夜は久々にガッツリ雨も降ってるので、そんなタイミングにはほぼ一択である『ブレードランナー』を観ました(『ブラック・レイン』でも良かったけど…)。
以前に観たのは最新版である『~ファイナルカット』でしたが、今回観たのは一番最初の、何も手を入れていないオリジナル版とも言える劇場公開版です。
試写での反応が良くなかったため、不本意ながらも大衆に向けた作りに変更した、監督であるリドリー・スコットさん大っぴらに好きじゃないと公言するバージョンです(笑)。
リドリー監督や主人公デッカードを演じるハリソン・フォードさんは、当時からナレーションを不要と感じていたようです。
ナレーションのある『~完全版』を繰り返し観ていた俺ッチとしては、ナレーションがないとどこか物足りないと感じたものですが、久々にこの劇場版を観ると、確かに要らないなと感じるシーンも少なくありませんでした。あったらあったで、ちょっとクドいんですよ。
ナレーションを全廃するのではなく、要所要所で残しておくのが正解だったんだろうな~と思いますが……どーでしょ?
本作は熱心どころか熱狂的なファンが多い事でも有名ですが、そんなファンの間では“デッカードはレプリカントなのでは?”というお題で討論する事が多かったようです。
『~最終版』あたりになると、そんな疑問に対するアンサーを提示していますが、この劇場版ではそこまで重要視すべき問題ではなかったようです。まず劇場版が完成しなければ討論もできませんしね。
けど、DVDの頃になると映像の解像度も上がり、それらしきヒントが既に表れている事が確認できるようになりました。レプリカント(である事が明確なキャラ)は薄暗い場所で瞳がうっすら赤く光るのが特徴ですが、時折この現象がデッカードにも…!
他にも、レプリカントが写真を持っているのは記憶を欲しがる表れとされていますが、デッカードの部屋(のピアノ)には多めに写真が置いてある点も、その根拠としては有力かもしれません。
別にデッカードがレプリカントかどうかを追いかける話ではないけど、仮にレプリだったとすれば、それまでのデッカードの行動に対する解釈が変わってきます。
その辺も含めて、ボーッと眺めているだけで終わるような作品ではないし、そこが魅力なんでしょう。
久々に再見すると、つくづく本作はアクションヒーロー作品ではない事に気付かされますね。
敵のボスとの決闘をクライマックスに持って行くのがその手の作品のセオリーだし、本作にもそれがあるものの、人によってはモヤッとする決着の付け方かもしれません(笑)。
逆に、これを良しと思えるほど、本作への理解度が高い人だと感じます。
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『~最終版』や『~ファイナルカット』はあるけど、それ以外のバージョンは配信されていないようです。
↑のBlu-ray版は、『(劇場版)』『~完全版』『~最終版』の3バージョンが収録されています。一つの作品でこれだけのバージョンがあるという意味でも稀有な例だと思います。