『プリズナーNo.6』を観終えました。
大雑把なお話は前にも綴ったので割愛しますが、数多の手段を講じて口を割らせようとする敵の作戦に、主人公No.6が拮抗するのが全編を通したお話。
No.6の持っている情報とは何か?
No.1とは何者なのか?
本作には多分の謎が含まれますが、最も気になるのはこの二つでしょう。
少なくとも当ブログでは、これらに関するネタバレはありません。
だって、分かんないんだもん(笑)。
ヒントらしきものはあるけど、分かんないんだもん。
そんな作風の作品は今でこそゴマンとあるけど、これが1960年代末=おおよそ半世紀も前に作られていたと思うと、軽く震えますね。
おそらく本作の結末に関しては、満場一致の解釈はありません。
散りばめられたヒントを組み合わせて、自分なりの答えを導き出すのが本作の楽しみ方なのかもしれませんね。
自分なりの解釈を言及しているサイトは多々ありますが、サラッと斜め読みしただけでも勘が鋭い、もしくはそこまで拡大解釈できる豊かな想像力が羨ましいなーと感じます。オフィシャルな正解ではないだろうけど、それでいいんじゃないかと。
…そんな俺ッチの解釈としては……えっ、そんなスケールの大きな話だったの?ってとこかな?
中盤くらいで、登場キャラで唯一ナンバリングされていない執事が実はNo.1なのかなーとか、クソ寒みぃ妄想をしていた自分の感性が恥ずかちぃ…(笑)。
風呂敷を広げるだけ広げて、広げっ放しで終わる作品は、これまでのテレビドラマでは少なくありません。
…が、近年のその手のドラマにおいては、謎を克明に解明・解決してキチンと終わる作品が多いようです。
その理由の大きな理由として、それらを曖昧にするのが許せないからと、安易に製作陣を糾弾する、いわゆる“(ネット)炎上”が背景にあるからだと思います。
ハッキリ言ってしまえば、自分の感受性に問う事を放棄し、目に映ったものしか理解しようとしない視聴者が増殖しているという事です。バカな自分を他人のせいにするような。
それ故に、今という時代に本作(の作風)を勧めるという行為は無粋の極みなのかもしれません。
基本的に当ブログの感想文は、同じ楽しみを共有する人が増えて欲しいなという思いを以て、しょーもねー駄文をダラダラと綴っています。
そのついでとして、普段なら嫌らしくもアフィリエイトとして、ソフトの販売サイトへのリンクを貼るところですが、↑のような理由から、今回は潔く何もナシ!