こんにちは。
そんなわけで、いつものようにこちらの記事では既に観た人向けに好き勝手に感想を書き散らしていこうと思います。
映画館で席を取って時間に合わせて観に行く…よりハードルは低いと思いますので、是非ご覧ください。
・竹取物語を底に敷いた「今」見られるべき物語
全国民が知っているであろう、竹取物語。
竹取の翁が竹脇って現れたのは、かわいらしい女の子。
女の子はすくすく育ち、超絶美人なお姫様に成長します。
多くのやんごとなき方々の求婚の受入条件にこの世になさそうなオタカラを提示して困らせ、そのうちに月から迎えが来てかぐや姫は月に帰ってしまったとさ。
というベースの話から、根本の部分をしっかり踏まえた上で今風に話をアレンジ。更にextraとして、ハッピーエンドに至る物語を描いています。
アレンジの方向が面白く、AIで配信者であるヤチヨ、その大ファンである彩葉、彩葉のために配信者となってヤチヨとのコラボ配信を目指す新進気鋭ライバーかぐや。
という、ここ数年の配信者文化隆盛を背景にした脚本になっていました。
YouTubeも投げ銭もlolもポケモンユナイトも知らない層はちんぷんかんぷんなのでは…?という冒険の部分はありますが、もうそういう前提の知識は「あって当然」というところが肝が座っています。
まあ、この時代にこれらを何も知らないでオタク文化に居られるとはとても思わないのですが、上の世代からしたらなかなか伝わらない文化…という点では人を選ぶ作品ではあります。
配信限定ということは立地による客層の差異をほとんど減らせるので、そこも環境含めて戦略的な判断を感じました。
また、後に述べますがヤチヨを軸にした永きサイクルは、描いていない部分を想像させるのに最高の要素でした。
最後の種明かしからの映画をもう一度頭から見たくなる作りは見事。
・ヤチヨ様について
彩葉、かぐや、ヤチヨ様と物語の中心人物はこの3人ですが、時間軸としての深みを与えてくれるのがヤチヨ様の存在だと思います。
ヤチヨ=八千代。
八千年の時を重ねて、令和にまた彩葉とかぐやと巡り会う時の為に名付けられた名前。
八千年の間、意識を持ちながら五感のうち触覚と味覚を持たずに生きてきた意識だけの存在。
そんな彼女が令和にツクヨミでかぐやを送り出すまでの物語。
そして、この八千年はヤチヨの知る物語で、かぐやが帰ったあとは未知の世界となるわけです。
だから、主題歌がex-otogibanashiとなるわけで、extraでありextendで、「超」えたかぐや姫になるというわけですね…。
彩葉が義体を開発する研究者になることは、ヤチヨも知らないことだから知っていることをなぞる旅路でもなくて。
彩葉との邂逅、かぐやとの邂逅、その悠久に積み上げた想いを考えると心にくるものがあります。
・タイムトラベルSFとしての描写
ちょっと表現が難しいのですが、今この時のAI、配信文化、Vtuberに対する解の持たせ方も面白く。
我々実体を持つ人間は、Vという外装を手に入れることで二次元に近い存在となり、実体を知らないままファンになったりしているわけです。
その極致として、「実体すら持たないVtuber」がヤチヨ様なわけです。
死すら超越した永遠の配信者にしてアイドルであるヤチヨ様ですが、その願いは「実体を持ち味を知り、彩葉と手を繋ぐこと」。
触れ合うことの大切さに帰ってくるところがとても美しい作りだと思います。
かぐやとヤチヨが共存できるのもすごく面白いところで、これまでのタイムリープものは自分と出会うことは基本的にNGだったわけです。
しかし、この二人は8000年の時を超えて別質の存在へと変質した。
別の作品でいうと、ちょっとfateを思い出したりしますが…「Vとして新しい姿を手に入れること」「八千年の時を経たこと」で同居出来ることにしたのは素晴らしい作りでした。
・行間の余白の妙
今回の作品、彩葉が家を出る理由の部分が明確に尺をとって説明はされていません。
家庭にどんな問題が発生して、なぜ彩葉が家を出て自分の学費を稼いでいるのか。
散々稼いでそうなお兄ちゃんはなんで妹に仕送りしてくれないのか。
一見普通そうなお母さんですが、そこのところはわからないまま。
けれど、そこが欠けていることはこの作品の中ではマイナスには感じませんでした。
考える余白が残っていることは、作品に深みを与えることができます。
「いや、説明不足でしょ」という映画もあるので、塩梅次第、客への信頼度合いの話ではありますが…私はあの行間は作品の奥行きが感じられて良かった部分です。
・楽曲について
主にワールドイズマインとrayについての言及です。
ワールドイズマインは初音ミクの代表曲の一つで、最早古典とも言える曲です。
特にいいなぁと思ったのは、イチゴの乗ったショートケーキとこだわり卵のとろけるプリンを我慢するところの歌詞。
これは本来の意味はダイエットのため、太らないために、お姫様であろうとするための努力としての我慢だと思うのですが、今作でヤチヨ様が選曲するにあたって別の文脈が発生します。
人格と意思を持ちながら実態を持たない存在として、かつて持っていた味覚に憧れる彼女。
そして今のかぐやはたくさんの美味しいものを食べることができて、料理も楽しんでいる。
だから、我慢するものとして食べ物がうたわれているのはとても意味のあることになります。
今作は味覚についての話が随所でキーワードとして散りばめられていて、AIがこれから人格として成長していく上でもテーマとして残っていく部分。
なので、最後のヤチヨ様受肉の際も味覚はまだ再現されていません。
この部分…「アンドロイドとして受肉をするけれど、味覚の再現が出来ない」という部分が、現実の地続きを想像させてくれてここも面白いところ。
そして、「ray」。
rayは2014年頃の曲で、ボカロが好きだった人になっては歴史的な曲でもあります。
BUMP OF CHICKENはこの世代に邦楽を聞いていた人ならまず知っている有名なバンドグループですが、サブカルの枠にいた初音ミクとメジャーシーンで交点を持った曲。
曲の切なさ、出逢いに感謝して別れを受け入れ前に進むための希望の歌、そういう曲のメッセージ性も相まって、今でも十年前とは思えない良い曲です。
そして、このボカロとメジャーの交点、三次元と二次元の交点、別れと出会いの曲というのが超かぐや姫の全体のテーマをぐっと引き締める効果がありました。
「ハッピーエンドのその先」というテーマが、この曲と繋がることで非常に爽やかな気持ちで見終えることが出来る…というわけですね。
・終わりに
配信業やAIといった旬のテーマを主軸に添えながら、古典の竹取物語を基本線として語らないところは語らないものとして語り過ぎない、というものすごく贅沢で洗練された作りの映像作品だったと思います。
アニメにもいろいろありますが、漫画やゲーム、ライトノベル原作だと元のフォーマットでの面白さや良さに引きずられることがあるので、やりたい放題一番いい方法が取れるのがアニオリ作品の良いところ。
配信が主戦場なので尺も制約が無い…というのがまた良かったです。
勧められてみたのもありますが、めっちゃ良き作品でしたので二度、三度みるのも良いでしょう。
というわけで、今回はこんなところで。