中米に行ってる間に印象深く残ったことのひとつは、若くして何人も子どもを育ててるママたちの多さ。
24歳で子ども3人とか、あたりまえすぎるほどどんどん生まれる。
そこには色んな背景があれど、父親違いの兄弟もいくらでもいるだろう。

私はこれまで、自分が生まれてきた意味とか、役割とか、そういうことを探し求めてきた気がする。
けど、こうもどんどん生まれてもらうと、なんだかもう、人は生まれてくのが自然の成り行きで、生まれては死んで、ぐるぐる世代が入れ替わる様は、単なる動物的なサイクルのように思えてきた。
人間が、動物とは違う生活をつくっていくために、この世界に生まれた意味に洗脳され、何かを追いかけて生きる。
自分はその洗脳の中にいて、そこからふと解放されると、もう本能以外何もする事はなくなり、ある意味楽になるように思う。

なんだか衝撃なのか何なのか…
あれ以来なかなかやる気が出ないのはこういう事のせいもあるんだろう。

これまで信じてきた色々なものたちが、まだ、誰かの頭の真似だったように思える
素の自分を感じて、そこにただ存在して、いまを感じていたいのだろう。

何も登っていないし、何も立ち止まってもいない。
ただ、そこに存在している。

やっぱり英語上手くなったぞぉニコニコ
英語圏でない国に行くと、英語が唯一の命綱になるから、それを実感する。
去年の旅より、ずっと英語で話すのが楽になってる。通じない事なんてほとんどないし、英語を話せる人に会えたらすごく安心する。
英語圏に住んでると気付かないうちに沢山吸収してるんだと思う。

同じように、一ヶ月弱中米にいただけで、スペイン語もだいぶ覚えた。
スペイン語は英語に似てるし発音も簡単だから、今回2日しか行かなかった語学学校を一ヶ月も行けば、もうペラペラになれそうな気がする。

スペイン語をマスターすれば、ポルトガル語もイタリア語もすぐ覚えられるだろうし、フランス語やドイツ語も簡単に感じられるだろう。
大学の時やってた中国語は、中国に少しいただけでかなり思い出したし、これがあれば東南アジアではかなり活用できる。

ニューヨークでの半年の生活で、ある程度の環境が整っていれば、そこでお金を稼ぎながら生きていく事は、無理ではない事を体感した。
タイでもシンガポールでもグァテマラでも、居心地のいい街には住み着いてしまっている日本人にたくさん出会った。
それぞれに自分らしい暮らし方を見つけ、自分の居場所を形づくっている。

世界のどこで生きていこうか。
刺激を受けながら、癒されながら、そして考えながら、創作しながら。
私は少しずつ、世界のどこでだって生きていける自分になる準備をしているかのようだ。

もっともっと、行ってみたい世界がいっぱいある[みんな:01]

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いまでも一番印象深いのは、こんなにも子どもって可愛いのか!と思ったこと。
マヤの民族がそうなのか、目がくりっとしてて、顔がはっきりしてて、もうめちゃくちゃ可愛い。
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今回の訪問がプロジェクトであったおかげで、一人では行けないところに沢山行けたし、知れなかっただろうことを知れたと思う。

ポアキルという農村の村では、貧しくて働かなくてはならず平日の昼間に学校へ行けない子どもや、学校へ行けてもスペイン語が話せずついていけない子どものために、先住民の言葉で開かれた土曜学校が、日本のRecomというNGOの支援で開講されている。今年二年目になり、三年目までしか支援は決まっていない。
可愛いくりっとした目に、栄養失調のような顔をした女の子が何人かいた。
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日本からの支援金から昼食も出るので、そこへ通う子どもたちは少なくとも週に一度は栄養のある食事を取ることができるという。
そこへ来ていた五歳の女の子を、別の日に市場の露店で店番をしていたのに出くわした。
恥ずかしそうに隠れたりしながら、一緒に店番をしている姉と兄を紹介してくれた。
見るからに小さくて12歳くらいに見える姉は15歳、8歳くらいにしか見えない兄は13歳らしい。栄養が足りてないのか、身体がとても小さかった。
五歳の彼女はまだ身体は普通の大きさで、すくすく育っているように見えた。このまま日本からの支援が続き、すくすく育ってほしいと思った。
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無邪気にはしゃぐ子どもたちの顔をみているだけで、嬉しくなる。ワクワクしてくる。
この子どもたちが子どもらしく、素直で元気に育てる環境であってほしいと、祈るような気持ちで願った。
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変な夢をみた。
大好きな友だちのお父さんが、新しい会社を作って、それがグァテマラを拠点にした商売だという。
新入社員を新しく1000人ぐらい採用して、しかも全員新卒の女の子ばかり。
真っ黒なスーツの新入社員がぞろりと並ぶ入社式に私も呼ばれた。
こんなに沢山の新入社員にいきなり資本を投入してグァテマラで一体どんな商売をするというの?
友だちの家族に向かって、グァテマラでみた貧困や内戦後の深い傷などについて、写真を見せながら話そうとするけど、なかなか声が届かない。

君はちょっとよくわからないからとにかく並びなさい。
友だちのお父さんの一声で新入社員たちの列の真ん中に入れられる。
そのうちアイスブレーキング的なゲームが始まった。レコーディングゲーム、というのが始まり、私にまわってきた。
訳がわからないけど、まわりの人がやってる通りに真似をしてやり通す。
みんなはとても慣れていて上手にゲームを楽しむけど、回ってくるのが怖いだけで自分は全然楽しめない。
罰ゲームは大きな津波や台風。流されないように必死で息を止め泳ぎ、生き残る。
津波の水は、海より少し薄い塩味がした。

グァテマラで一体どんな商売をしようというのだろう。
先進国の企業が入ってきたことで環境汚染が広がり、先進国の安いコーヒーを売るためにコーヒー栽培で非人道的な労働をさせられるグァテマラの人たちが生まれ…
そんな中、先進国日本で、一体また、何の儲けを始めようというのか。
大好きな友だちの家族だからこそ、ちゃんと知らなければ、ちゃんと伝えなければ…そう思うのに、沢山の社員に埋れて声は全く届かない。

変な夢だった。
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中米での忙しかった日々が終わり、最後の数日間をグァテマラの観光地アンティグアにて、スペイン語学校など行きながら過ごしています。
お腹も何度か壊して寝込んだし、いまは風邪が長引いてたまに熱がでるけど、ホームステイしているMimaおばぁさんの手料理が美味しくて美味しくて、幸せな気持ちを取り戻しつつあります。
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Mimaさんは西洋系の、アンティグアーニャ(アンティグア生まれのアンティグア人)。
熱心なカトリック教徒だからか、とてもおおらかで優しく、チャーミングなおばあちゃん。
おうちはスペイン風でとっても素敵。
これまで見てきた、貧しくて学校にいけない栄養失調の子どもたちが同じ国の人だとは信じられないようなメルヘンな暮らしをしています。
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近所ですれ違い立ち話する人たちも、西洋系の顔をした人ばかり。
そのわきで、重たい荷物を頭に乗せてせっせと歩き去っていく先住民系の人たちがいて。
この国の貧富の差、支配層と被支配層の差を、まざまざと見せられているような生活です。

それでも、これまで、言うほど美味しくないと思ってたグァテマラ料理がめちゃくちゃ美味しく感じられたのは、やっぱり料理の素材にお金をかけられるからこそなのかもな、とも思ったり。
どちらにせよ、両面のグァテマラ人の生活を知れたことはいい経験かもな、と思ったりしています。

しわしわの手でかき混ぜる姿も何だか絵になっちゃうMimaおばぁさん。
帰ったら真似したいお料理がいっぱい!
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日本でいう小中学生の女の子たちが指導員に群がるのに紛れて、赤ん坊が2人、抱かれていた。
小さくて少しか弱くて、生まれたばかりのようだった。
その少し向こうで、赤ん坊と手をつなぎ歩く少女がいた。12歳ぐらいの少女が、面倒見よく赤ん坊を歩かせていた。

ここは、性虐待を受け、なんらかの形で通報され保護された少女たちの生活の場。
それぞれの心の中に、想像し得ない記憶が封印されている。

親によって個人へ売り飛ばされる少女もいれば、親族による性暴力を受け続けた子も少なくない。
12歳や13歳で強姦され妊娠し、親子で施設入りするケースもある。
今日みた限りでは、7歳か8歳くらいに見える女の子もいた。


強姦したやつの子を生む気持ちは、どんなだろうと想像したけれど
相手の顔も覚えてないかもしれない
憎い相手に違いない
お腹の中に宿った愛おしい我が子が
半分は得体の知れない怪物かも知れない
生まれたときの赤子の顔と、自分を苦しめた憎い男の顔と
何もわからないまま自分の中で事が進んでいく
恥ずかしさと、悲しさと、自分が悪い子だという嫌悪感…
もうヤケになるしかないんじゃないか
もう何が何だか受け止めきれないんじゃないか…

嫌がっているのを知っていながら自分の欲を殺さないのは暴力だと思う
嫌がっていないかどうかは心の声で聞こえるでしょう?
聞こえないのは耳を傾けていないから
心の対話をするほど相手を尊重していないから

相手の傷を無視して自分の欲を押し付けるのは相手の価値を軽視しているから
だから傷つく
その軽視に、とてつもなくひどく敏感に傷つくのだよ


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彼女はじっと見つめてくる
疑いの目で見つめてくる
疑いの目で見つめながらも近づいてきて
抱きつきほっぺたでチュと鳴らしまたきつく抱きしめる

彼女はじっと私をみる
信じていいのか、悪いのか
そんな目で私をみて、遠くへ行ってもずっとみている
何かを求めるような目で
何かを引き出したいような目で

彼女は私を見つめている
大人のような眼差しで見つめている
小さな小さな体をか細い足で支えながら
傷ついた頬のアザが目に焼き付くほどに見つめている


傷つく人の気持ちを想像できないのはなぜですか?
幼少時のその傷が一生の心の傷になる事を想像できないのはなぜですか?

人が、人を、人として、愛してあげる
男だから女だから、大人だから子どもだからではなくて
ただ人として、愛してあげるだけで、
人生をまるごと苦しみに明け暮れる事を免れるはずなのに

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自由をもとめて旅をしている
きっと日本が息苦しかった
面倒な文化、しきたり、上下関係…
壁がくっつきそうな狭さに、息が詰まりそうだった

自由な場所をもとめていた
ずっと、探していた
世界へ出れば、きっともっと素晴らしいと思ってた
だけど、知れば知るほど、この世界は絶望だらけだ
人間のする事は、ひどい事ばかりだ
もう私は、どこへ行っていいのかわからない

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同級生たちのように毎日夜中まで働く生活を選ばず、こんなに旅をしていると、お金に困ることは、正直よくある。
大きな目標をたてては必死で稼いで貯め、旅をしてなくなり、また一生懸命働いて貯める。

かなりの金額が溜まって大きな気持ちの時もあれば、本当に底を尽きそうな事もあった。
もうあさっての生活が危うい…、次にくる支払いに対応できないかも知れない…
お金に困った経験をすると、与えられる側の気持ちがすごくよくわかる。

普段一生懸命働いていながら、思いがけず普段より高い収入を得た日には、それはそれは嬉しい。
だけど、そんな事があれば、今度はその収入をまた期待してしまうようになる。
あの時はこんなにもらえたのだから、またもらえるかも知れない…
また、普段一生懸命働いて得る金額が、妙に安く思えてしまう事もある。
そうしてどんどん高いほうを、期待していけば、もう、安い仕事が出来なくなっていく。

それは、エサをやると寄ってくるハトや猫の行動と全く同じだと思う。
ここでエサをくれるとわかるから、また期待して、そこへ寄ってくる。
他にもエサを得る方法はこれまであったはずなのに、そっちばかり期待して、寄ってくるようになる。

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だからまた、むやみに与えるのは危険だと思う。
与えればそのぶん、期待される。
それは自分にだけではない。自分以外の大勢に対して、期待されてしまう。
つまり他人にも迷惑なのだ。

相手の身の丈に合う支援を。
その後に影響のない支援を。
そしてできる事なら、誰にも支援しなくても済むような社会を。
ほんとはそれをみんなで一緒につくって行くほうが、手っ取り早いんじゃないか、なんて思っている。

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初めての旅の時は、たくさん「与え」てしまった。
物乞いに、だけではなく、
友だちになった人たちにも、いつも何かをおごったり、多めに払ったりした。

タイで仲良くなったビルマ人のナランには、仕事のあと一緒に飲みに行くと、私は率先して代金を払った。
「私の国ではビールは三倍くらいする。だから150円なんて私には何でもないから」
もちろんナランの収入はそのビールが3~4本で終わり。
私にとっては、痛くも痒くもない金額なんだから、友だちだから、そう思っていた。

だけど、いつからかナランが、何も言わず、よろしくーという態度になっていったのを感じた。
ナランは、私のおごるのに、期待してしまっていたのだ。
もう、私はふたりの間に、平等な友情が生まれ得なくなってしまった事に気付き、これまでのことを、とても後悔した。

後悔したのに、その教訓を忘れて、モロッコでも、同じように率先して払った。
私のほうが恵まれた環境で稼いでいるのはもちろんのこと、世話をやいてくれるから、色々案内してくれるから…だから払ってあげようと思った。
でも、結果は同じだった。
仲良くなった子は、結局私の財布を期待する事になり、しまいには、少なからず盗もうとした。
もうその時、友情も何も、人としての情がなかったのは明らかだった。
友だちだろ、嘘なんかついてないよ、そんな言葉に、泣きじゃくりながらぶちキレて、ポコポコぶんなぐって去った。
そのあとくる連絡も、完全に無視した。


後味のわるい記憶も、実際は自分のせいだ。
私が友だちになりたいと思う人は、誰だって優しい目をしていて、美しい心を持っていたはずだ。
欲を誘い、関係性を変えた。
その関係性をつくったのは、自分なのだ。
最初から、払わなければよかったんだ。
払ってしまったから、期待してしまうのだ。


支援のつもりで、
寄付のつもりで、
それは、全然ためにならない。
支援をするなら、システムを変えてください。
寄付をしたければ、全ての人にしてください。

いまはそう思う。
だから、いまは与えない。
その場の同情で、与えないようにしている。

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モロッコの街角