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プノンペンのAI-centerでの授業
日本人の音楽の先生がやってきた
日本から寄付された使い古されたピアニカをゾロゾロとあけて
みんなでドレミドレミ
チューリップを習った

小学校高学年かなぁ
覚えはいいけどなかなか難しいよね

ドレミ いちにさんって、指に数字をつけるんだょ
ソは小指で
ドは親指で
ピアノをやってた私は得意げに指導して回ってた
そうやって一人一人の指先をみて教えてまわってた矢先
ドキッとした
目の前に、指が四本の子が現れた
そのうち二本は使えない
二本の指で、全てをやってる

ソが小指でドが親指
そんなことはもうどうでもよくなる
でも誰よりも覚えが早くて、誰よりも上手に弾いてたょ
自分の固定観念にうんざりした出来事だった

ベトナムでみた、枯れ葉剤の影響による奇形児の写真と同じ
ベトナム戦争での枯れ葉剤は、プノンペンの手前まで撒かれたらしい
彼はそのための奇形児
戦争の影響が、こんな小さな世代の人生にまで、色濃く残ってる
数人の大人がお金、権力、自分の利益のために、別の多くの誰かを犠牲にすることを何の痛みともせずやっちゃう戦争。独裁。虐殺。
もうあり得ない
大嫌い。
プノンペンで知り合った23歳のワナ。
今回カンボジアで一番仲良くなったともだち。
ワナには、日本人の大切なともだちがたっくさんいる。
日本からボランティアに来て帰って行ったなかまたち。

みんながワナのこと大好きなのは簡単に想像できる
ワナもみんなのことが大好きで日本語もかなりペラペラになってる
ちょっとシャイでまっすぐで可愛い
あまりしゃべらなくても人から好かれるオーラを持ってる

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最初のころ、路上で売ってる50円ぐらいのおやき(バリウマ!)を買ったとき、ワナがあとからきた
私が払ったお金をもって、おばちゃんがこのお釣りで買う?って言ってたように聞こえた
ワナは違うって言ったけど、私は、あ、いーよ、それで買う?と言った
ワナは、「大丈夫。」と、私の目をしっかりみて真剣な顔で言った
なんだかそれが、忘れられなかった

たくさんの日本人がくる間に、色々な経験をしたんだろう
おごってあげる、おごってもらう
これは、対等なともだち関係ではない何かが生まれてしまう
ワナはただ、ともだちとして接したいのに、私はいま、支援する側とされる側に、瞬時に切り替えそうになったんだろう

生活は成り立ってるんだ
物乞いじゃないんだ
日本人だからって偉いんじゃないだろ?
カンボジア人だからってかわいそうなんじゃない
そんなのあたりまえじゃないか‥

ワナの真剣な顔が、色んな意味合いをもってるように見えて、ぐっと突き刺さった。


ワナのお母さんはタイで出稼ぎに行ってる
おじいちゃんはポルポトの時代に殺された
思春期のころ両親が仲悪くなって離婚した
今は大学に行きながら、センターで英語の先生やトゥクトゥクのドライバーやってる

色んな話をした。
自慢のバイクで、地元のヤンキーや若者が集ったり語り合ったりデートしてる色んな所に連れて行ってくれた。

こんなに日本語がじょうずなワナっていうすごい人材が、
もっともっと社会で活躍できたらいいのに
トゥクトゥクのドライバーなんかじゃなくて、
ちゃんとその日本語や英語を活かして、そしてその誰にも好かれるオーラを活かして。


「日本に行きたい」
ボランティアで毎晩語り合って帰って行った親友たちに、会いに行きたい
それがワナのいまの夢。
それ、絶対実現しよう!

「もっとできたら、日本で働いてみたい」
うーん、きっとそれには、日本の大学とか卒業して就活する必要があるかなぁ
たくさんお金がかかるね
奨学金応募して、日本で学生としてバイトできたら、なんとかなるかなぁ
入国に必要なビザも高いし、そもそも出るかわかんない
でもやってみよう
絶対ワナの夢を実現させてほしい
夢見れば、不可能なことなんて絶対ないから!
そういつも言って来た。
だから、ワナにも絶対向かってほしい

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シェムリアップは観光客の天国だ
パブストリートはタイのカオサンロードそのもの
綺麗なオープンカフェに服屋に安いマッサージ屋さん
観光客はただ遊びリラックスできる
西洋人と韓国人だらけだ
きっとみんな遺跡巡りとビーチに行って遊ぶんだろう

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二年前、タイのカオサンに一ヶ月ぐらいいた頃は、私にとっても天国だった
安い金額で遊んで暮らせる
宿代だって500円とかだった
宿代以外で一万円使い切るのに一ヶ月かかる

でももうそれもいい
十分楽しんだ挙句、それはつまらないことを知った
物価が安くて気候は暖かくていいけど、休息にくるだけじゃつまんない
私は植民地支配者じゃない
経済植民者でもないんだから

カンボジアでできたともだちの話や、カンボジア人のストーリーをもっと知りたい
文化や育ちが違っても、同じように地球に生まれた同世代が、どんな事を考えて生活をおくっているか
生きる土地だけではない、私たちの違いはなんなのか

お金を持ってる
稼ぐ事ができる
旅行ができる
好きな仕事ができる
やりたい事を自由に選択できる

私にとって当たり前で、カンボジア人にとって当たり前でないこと
生まれる前に何か悪いことしたわけでもない
生まれながらにして地位が低いなんてこと絶対ない
この差を埋めたい
この差を放っておけないよ

ポルポト時代の、元処刑所に行った。

ひどかった。

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ポルポトってよく聞くけど、何があったのかまでよく知らなかった。

フランスの植民地のあと日本が入ってきて、敗戦後独立したけど、冷戦に巻き込まれて、カンボジアは共産主義が勝った。
でもマルクスに忠実な、すごく過激な共産主義だったんだって。
知識人をみんな殺す。
中国の文化大革命みたいな感じかなぁ。
この記事を読んだ。↓
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n87481

1990年代にポルポト政権が倒れたとき、国民の85%は14歳以下だったんだって。
あり得なくね
知識人はみんな虐殺。
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子どもしかいない国
いまだって、30代とかまでしかいないってこと?!
あり得ない。

でもたしかに、じーちゃんがいない。
見ない。
ばーちゃんも、いない。
たまぁにいるだけ。

乗せてくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんに、おじーちゃんいる?って聞いたら、いないって言ってた。
ポルポト時代に殺されたって。

同じこと、ワナにも聞いたら、同じこと言ってた。

ついこないだの話。
すごいショックだった。
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子どもたちの力でゼロからつくってきた国。
上の者の教えのないまま、いっこいっこつくってきた国。
カンボジアって、ヤバイ国だ。
この国の人たちには、絶対幸せになってもらいたいょ。
カンボジア6日目。
シェムリアップに移動した。
プノンペンで出会った人や子どもたちが気になって、心ここに在らず。
アンコールワットぐらい見なくちゃと思って来たけど。。
いきなり寂しい。

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フリースクールでの2日目のある日、先生が来れなくなったから、いきなり英語の授業をやってくれとムチャ振りがきた。
考える暇は二秒ぐらいしかなくて、とりあえず英語で自己紹介した。

ハロー私はリンだょ。日本からきたコリアンだよ。
私は、今までいろんな国を旅しました。

みんなのお母さんお父さんは、どこから来たの?
手をあげて?

カンボジアからきた → 半分くらい
中国からきた → 半分くらい
ベトナムからきた → シーン

ベトナムのとき、こどもたちの顔が、ンなわけないじゃんって感じでツンってしてた。
なんかタブーがあるのかな、って感じだった。

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私がいったことある国は、どこそこ、どこそこ、…どこどこはどこにある?ピンポーン…みたいなゲームをして。

最後に、
みんなが行きたい国はどこ?
5つ書き出して、理由も一緒に発表してくださいってのをやった。

人気の国は、日本、韓国、中国。
K-POPがすごい人気みたい。
アメリカ、スペイン、ブラジル、ロシア…
ワールドカップ見たいとか、雪がみたいとか、色々あった。

みんながもう少しおっきくなった頃には、その行きたい国たちに、当たり前に行けるようになっているかなぁ。
こんなに素直でまっすぐな君たちが、夢を持って働けるように、私には何ができるかなぁ。

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ハワイから日本へ戻って、3ヶ月ほど、本格的に、今後の事を考え、
社会起業家のセミナーに行ったり、もっと仕事に向き合った生活を続けていたとき、
日本っていう面白くもありストレスフルな社会の一員として生きる事が辛くて、
もう居ても立ってもいられなくなって、忙しさの合間に、どこかへ行きたくなっていた。

でもハワイだなんて、がんばった人へのご褒美のような楽園に戻るのも違う気がしてた。
そんな時、「カンボジアだよ」って、感覚がおりてきた。
それで、カンボジアへのチケットをbookした。

カンボジアは、ほこりっぽい。
屋外に居るだけで、なぜか体に砂がついてるし、
今ふいたばかりのオープンテラスのテーブルは、あっという間にまたうっすらと砂がかぶってる。
プノンペンは忙しい街だ。
これからも外国企業の影響でどんどん変わっていくだろう。
10年後なんかは全然違った姿になっていると思う。

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昨日までAI-centerというフリースクールへ通っていた。
ごみ山の中でごみを拾いながら生活する子どもの将来を想像して唖然とした設立者が、
識字教育をするためにはじめた教育センター。
今でも、旧ごみ山に出かけて、学校へ行っていない子どもたちへの出張授業も行っている。

設立者は日本人の女性。
私より8つ年上。
そしてセンターは今年で7年目。
ってことは、彼女がセンターを始めたのが、来年の私の歳なんだ。

世の中にはやってのける人がいる。
疑問を持って、信念を持ったら、ちゃんと実現する人がいる。
センターは、昼は無理に仕切った壁のせいで教室の光の入りが悪く、ホワイトボードは逆光で見えにくい。
夜は少ない電気でめちゃくちゃ暗い中、よくも見えるな、ってぐらいで勉強してる。
だけど、子どもたちは元気いっぱいで、むちゃくちゃ熱心に授業に参加してる。
休み時間はギリギリまで、全身をつかって遊びまくってる。
エネルギーを感じずにはいられない場所だった。

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毎日毎日、子どもたちの顔を覚えたら、もう、離れるのが寂しくてたまらなくなった。
ひとりひとり、個性がちがって、ひとりひとり、心を開いてくれる。
この子たちは、どんな風に大きくなるんだろう。
いまのこの素直な性格は、ちゃんと活かされて、社会で活躍できるんだろうか。
ちゃんと見守って、ずっと関わって、応援したいと感じてしまう。

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仕事は溜まりっぱ。
今来れる状態じゃない、なんて言われながらも、来てよかった。
仕事を言い訳にしなくていい。
これは私の、人生なんだ。
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昨日パーティーで話した20歳の日本人にKoreanだと言ったら、
"ユーアーバイリンガル?"ってきかれた。
You mean Japanese and Korean?ときいたら、"No no, English and Korean"っていう。
私のことを、 Korean-Americanだと思ったらしい。
こんな英語でも、20歳の耳にはネイティブの英語に聞こえるのか…?
ちょっと嬉しくなった。

アメリカに再上陸して、もうすぐ2ヶ月。
ニューヨークにいた頃も、気付かないうちに英語がのびてたのを感じた。
ハワイはみんな気軽に話しかけてくるので、人々と話す機会が多く、
ニューヨークより早く上達している気がする。
昨日話した他のロコたちにも、ニューヨークに半年居ただけの英語じゃないって驚かれた。

自分の選んだ道に、成果を感じられると嬉しい。
結局たくさんの夢を抱いて渡った国境だけど、どれもこれも一度に叶えるのは難しい。
それでもまた、一人自分と向き合いながら、人間として少しずつ成長していく中で、
本当に叶えるべきものと、後回しでいいものと、
そして必要のないものが、だんだん明確になってきている。

やっぱりどうしようもなく病んでいて、いま考えても狂っている。
いつだって過去の自分はそういうどうしようもない奴で、
こうして放浪してしまうのは、そんな自分を変えたいからでもある。
そして確かに、少し前まであった強いこだわりは溶け、
そしてあるこだわりは、より強くなっている。
本当に大切なことは、時間とともに、必ず見えてくるのだなぁ

ハワイで出会う日本人女子留学生は、本当に向上心の高い子ばかり。
強いこだわりがあり、決めた目標に向かって一直線。
必要なもの、人、時間と、そうでないものを明確に切り分け、大胆に切り捨てる。
ニューヨークにいた頃の私は、きっとそんな感じだったんだろう。

いまは、ハワイの風にのって、ふ~らふら。
切り捨てなくったって、選択しなくたって、きっと見えてくる
風に身を任せて、素直な心で、そして、全てのことをまっすぐに受け入れて。
なるようになるさ 自分を前よりはだいぶ、信じられているからね
私はアダルトチルドレンだった
アダルトチルドレンの本を読めば読むほど、
ますます、これが明確になっていく。
これまでの、本当に、人には言えないような、さまざまな苦しみやもがきは、
こんな数冊の本に、まったくそのとおりにまとめられている。

昨日読んだのは、「境界」のはなし。
自分と相手との「境界」をつくる事ができない。
誰かがイライラしていると、自分が責任を取らなくてはと思ってしまったり、
自分の問題を、相手にも抱えさせようとしてしまう。
「やさしさ」と勘違いし、自分の身を削って人を助けようとして傷ついてきたことも、
自分に優しくしてくれる人には、自分と同じように大切にできなかったことも、
何もかも、これが原因だった。

だから今は、まず自分を、もう一度育てなおす。
いろいろなことは、それを乗り越えてから、もっと、普通の人のように、進んで行けるんだと思う。
私は、はやく、一人の大人になりたい。
15歳頃から、ずっと一本の道の上を歩むように生きてきた。
そこにはぼんやりしつつも、明確な目標があり、
そのために必要なものを、どん欲に身につけて、環境を変えてきた。
私はそうやって、周りのたくさんの無駄そうな事を排除しながら、前へ、上へ、進もうとしてきた。

29歳のいま、なんだか、その道が途切れている。
そして立ち止まる自分は、とても冷たく、単純で、合理的な人間になっている。
何か、このままではいけない気がする。

いまは、一旦その道に沿うことを忘れて、
ただ、自分の好きなように、日々を楽しみながら、好きなことに夢中になってみようと思う。
道を逸れるわけじゃない。
ダメになってしまうわけじゃない。
大丈夫、好きなことや夢中になってしまうことは、
ちゃんと自分の思い描く方向へと、自然と向かっているから。
そういう意味では、「それでいい」と励ましてくれるハワイの自然は、
今の自分に最適な場所かもしれない。

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中米から帰ってきて、そのまま焦るように日本へ帰ってきました。
理由はいろいろありますが、この時期に帰ってきて、やっぱりよかったのかもな、と思っています。

なんだか最近は中性的な気持ちでいます。
これまでその話になればカッと心がアツくなっていた、世界の貧富の差のことも、日本国内外の移民や人権に関することも、「変えなければ!」と理想ばかり思い描いていたけども、
一体この小さな身体一つで何が出来るだろうか、と、無気力でもあり、とはいえ絶望しているわけではなく、なんだかちょっと現実的になれているような気がしているのです。

悔しいけど、この世界の抱えてる問題ってのは、想像を絶するほど膨大で、相互に関連していて、そして長く複雑な歴史の絡み合いによってさらに複雑化している。

問題?
そう問題視する視点すら、何らかの意見が加わっている。
あたしのしたい事は、そういう事なんだろうか…


これまで、自分で「正しい」と思ってきた事たちが、「ほんとにそれは君の意見?」と、10年ぶりぐらいに迫ってくる。
10年ぐらい前、自分の頭で考えて得た答えたちは、この10年で、ずいぶんいろんな人や活動に、影響され流されてきたかも知れないのに、
変えよう!改善しよう!という人たちの声に乗りきれない自分を何とかしたいという焦りの中で、評価されるような意見を薄っぺらいままに並べて、ある層に認められることに満足していたんじゃないか。
そしてそれは、たまにとても気持ちが悪い後味で、聞きたくない声で自分をつついてくる。
耳を塞ぐから、何なのかは聞こえず、気付かないけれども、やっぱり何か、大切なことを置き去りにしている気が、どこかでしていたんだと思う。


まだ、意見など、いう準備ができていない。


けれども、こんな気持ちはある。
「親しい人たちに、自分のみた世界の現状を伝えたい」「一緒に考えられるように、見せたい」
解決策や、答えは、私にはまだわからないけど、伝えることはできる。そしてそれはいつもしたい事だ。

そういうわけで、自分のやりたいことはジャーナリズムなんじゃないだろうか…と、思ったりしている。


まだ可能性としては、学問、という事もあり得る。ただ、生涯をかけて一つの問題に取り組むNGOの姿をみて、自分は違うと思ったのと同様、一つの事をテーマに研究していく途中で、世界でもっとたくさんの事がどんどん進んでしまう事に、私は焦ってしまいそうだと思う。
それなら、傍観者に近くても構わないから、全体を観ていたい、とさえ思う。


どうなんだろうね。
どのみち、もっと勉強しないといけない。

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