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H+13 ARCHITECTURE & ASSOCIATES

京都在住の週末ケンチクカ、H+13の活動ブログ。
建築とアート、時々水平式クレーン。



巨匠の下へ。

文字通り建築を目指して。
彼に会い行ったのが四年半前。
ユニテ、ラトゥ-レット、サボワ邸、ロンシャン。

懐かしく、そして、
今でも生き生きとした空間として、思い出された。
あの荒々しいテクスチャー、桟の影が美しい回廊、食堂から見える景色。
やはりラトゥ-レットが一番好きだ。

展示も、原寸のモックアップや映像が充実しており、
見ごたえがある。
また、知らなかった作品もあったので、
興味深く見れた。

でもこうして見ると、
あんまり建築は進歩していない気がした。

ミースのようなカーテンウォールのビルが建ち並び、
コルビュジェのような白いモダンな家が建つ。

この先の建築は?
森ビルから見える東京の街を見ながら、
そんなことを考えていた。


















森村さんを初めて知ったのは、
どこかの現代アートの企画展だったと思う。

変装したヘンなおっさんってイメージだったが、
やはり、変態だと再認識した。
こんなこと普通の頭じゃ出来ないし、
頼まれたって、やりたくない。

どんなことでも、ここまでやり抜くはすごい。
気持ち悪いが、パワーを感じた。

デュシャンが現代アートの扉を開いたように、
この人も日本の美術の領域を広げたと思う。


この美術館自体は初めてだったが、
いただけない外観とは裏腹に、
ちっちゃいオルセー美術館みたいに、
吹き抜け部分に、彫刻が飾ってあったり、
クラシックの演奏がやっていたりと、なかなか楽しげだった。


そこのホールで、茂木さんのレクチャーがやっていた。
「美と私 -制約を恵みに変えるために-」という題。

テレビで見たままの気さくで、パワフルな人だった。

人は不自由で鉢植えの植物に似ている、
仮想は自由で無限である、
本物を知り、現実の制約を知りことで、
現実の自由を獲得する、などと言っていた。

建築も同じだろう。
学生の頃は仮想を追い求めていたが、
今は、現実の洗礼を浴びている。
後は、それをどうするかは自分にかかってると思う。


で、最後に大桟橋で読書してから帰った。
かなり、有意義な休日だった。
























「雑沓の森」

様々な音が交差する駅には静寂ではなく賑わいがある。
音環境をベースに駅空間に変化を与えられないか。

本提案で試みたのは、ガラスブロックを通して音を分解し、
他感覚に変換することで共感覚を引き起こすことである。

ふらり立ち止まった場所で出会う音のモアレ。

(以上抜粋)


村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドで、
人は進化の過程で無音になると言うくだりがある。

音がコントロールできたら、
悪用する場合が多いから、そうなるのかもしれない。

それでもやはり、音さえあれば、
満員電車も、自分の家のリビングになりえるし、
一人でも、一緒にいると思えるから、
目が見えなくなっても、音は残して欲しい。






駅の未来を作るガラスブロック


「glass gravescape」


毎日、目にする同じ風景。
氾濫する広告、形骸化したビル、荒れ果てた土地。

駅とは、景色を見るところでもある。
だとすれば、景色もまた駅の一部であろう。

負の景色とも言える墓地を、
新しい都市の風景に変える。

ガラスブロックで作られた墓地は、
緩やかに視線を遮り、やさしく都市を照らす。

人生が一つの旅だとすれば、
墓地は最後の終着駅なのかもしれない。  

(以上抜粋)



駅や電車の中から見る風景は多くの場合、お粗末。
その風景をどうにかしたいと思った。

ベニスで見た風景とある人の学生の時の課題がリンクした。

また、このコンペをやるとは思わなかった。







こいつはやばい。
保存状態もよく、光をちゃんとはね返していたし、
空間として、体験できた。

岸岱の柳の間の覆い被さる感じや
邨田丹陵の富士一の間の伸びやかな感じには、
クオリア全開って感じだった。

また、図録もいい。
実際の物が納まっている写真が多いので
追体験ができる。

特に、表書院の七賢の間から山水の間と虎の間を望む写真は
圧巻。

美の境地がここにはあると思う。



最近、Penの表紙も飾っていた人。
決定的な写真を撮った人。

盗み出しているみたいなジャコメッティや
悪そうな顔をしたサルトルとかもあっておもしろかった。

ヴィンテージプリントがあって、
なんか引き込まれた。

住んだこともない、町家を懐かしいと思うような、
郷愁と深みがあった。


実は、初めての東京国立近代美術館だった。
恥ずかしながら、これが谷口吉郎の設計と後から知った。

その後、増改築が加えられているらしいが、
ゆったりとして、しっかりした空間となっていて、
心地よかった。

近くにパレスサイドビルもあるし、
日本のモダニズムを触れにまた行こう。





今年も毎年好例の世界の報道写真展に行ってきた。

やはり、いつも思うことだが、
これを見ると、気が重くなるし、ブルーな気持ちになる。
自分に何が出来るか、どう生きていくべきか考えさせられる。

なんか、同情するのも違うし、
かと言って、何か出来ているかと言われれば、
何もできて無い。

でも、自分に出来ることがあるとすれば、
それは今を精一杯生きることだと思う。

もし、明日死んでも後悔しない生き方。
他人がどう思おうが、自分が進むべき道を歩むこと。

事実は、少なからずその人の主観や時代性に歪められてしまうモノだとは思うが、
その先あるべき風景を、僕は見たい。
そして、そういう未来を作っていきたいと思う。









現調の合間に、スパイラルに行ってきた。

どんなに、表参道・青山が開発されても、
安藤、黒川、MV、青木、妹島、シーザーペリなどなど。

この建築は色褪せない。
通りに面した、階段状のフォワイエ的な空間もいいし、
奥のスロープの空間もいい。
また、一階のカフェ空間と奥のギャラリースペースの関係も良い。
さすが、槇さんだと思う。


そこで、京造の展示会がやっていた。
端的に言うと思っていたより、全然よかった。

特に、忠田愛さんの絵画、
小牟田悠介さんのミクストメディア、
に、こころが惹かれた。

よく美術館に行くけど、
なんとなく、多くの人は、
ゴッホ、マティス、シャガールなどなど、
有名だし、行って、
すごいな~とか思う人が多い気がする。(根っから好きな人も多いとは思うが...)

なんか、あまり主体性が無い人が多い気がする。
例えば、抱かれたくない芸能人は出川とか、
バックならグッチ、財布ならヴィトンみたいな、ことを
平気で思っている人。可視感だけで、物事を判断する人。

言ってしまえば、自分の価値観なんで、
自分がよければ、いいんだが...

それでも、やはり可視感を取っ払って、
いいものはいいって言える人になりたいと思った。



















打ち合わせから戻る帰りに銀座に行ってきた。
ホントは別の展示会が目的だったんだけど、
この人の展示がすごいよかった。

この作品は陶器に花の模様や星の模様が美しく、
転写されているもので、
今までに見たことが無い様相を呈していた。

しかも、これは偶然の産物らしい。
陶器を乾かす布を巻いたまま、焼いたら
偶然その布の模様が写ったらしい。
しかも、色々試してみても、
そういう布は、日本で10点くらいしかないらしい。

これは、茂木さんの言葉を借りると、
セレンティビティなんだと思う。

ニュートン、湯川秀樹、エジソンなど多くの天才が、
このような偶然という奇跡に出会い、
現実に、実現させてきてる。

できれば、自分もいつか出会いたいと思う。




シャガールのことはあまり知らず、
青い絵とクチバシをもった人の絵みたいな
イメージだけだった。

しかし、
一枚の絵に心を打たれた。
図録の表紙にもなっている「青い恋人たち」

よく分からないが、熱くなった。
五分くらいはその場から動けなかった...

解説をみて納得。
その時の心情が色にも乗り移ったんだろう。

深くて、暗くて、悄然として、青い。
しかし、それでも、暖かい。
これが彼の言っていた愛なのだろう。

東山魁夷の青を深蒼とするなら、
シャガールの青は淋藍とでも言えようか。

本当に、わざわざ千葉まで行ったかいがあった。