先月初アラスカ旅行へ~
アラスカは夫の生まれ故郷。マラソンを走るプランで一度訪れてみたい州だと思っていましたがついに実現しました。
アラスカの夏の観光シーズンは数カ月。ハイキングや高山登山も夏がお勧めなので観光客が多くなります。8日間休暇のため宿泊はアンカレッジとウィッディア2か所と決めそれぞれ数泊しました。
アンカレッジはマラソン目的と義父のお墓参り。義父は夫との結婚前に亡くなられているため実際お会いしたことはなく墓前にて初対面となりました。
義父は空軍基地内のフォート・リチャードソン国立墓地に眠っています。アメリカの軍人墓地は敷地が広いのに管理が行き届いていて良いですね。夫婦で一緒にお墓に入ることも可能だそうで、その場合夫の墓石の裏に妻の名前を印字して埋葬してもらえます。今は火葬となったため墓石の間隔が狭くなっているそうです。以前は棺だったので広いスペースが必要だったとか。
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義父への挨拶をすませ墓地内をうろうろ。とても広いので迷子になりそう。入口近くに小高い丘があるのですがそこに日本軍アッツ島戦没者の慰霊碑が立っています。この丘の下には以前、アッツ島で亡くなった日本兵のご遺体約200体が埋葬されていたそうです。
ここから内容が重いです。
第二次世界大戦中、日本軍はアメリカ領アッツ島を占領し罪もないアメリカ市民を殺害したりネイティブ民族を含むアメリカ人を日本の捕虜収容所に送ったり悪い行いをしています。しかしそのアッツ島で従事した日本軍人もしまいには本部から見捨てられアメリカ軍に圧倒され殉死する道をたどります。戦死者は多くがアッツ島に埋められた他、アメリカ軍を前に自死された200名ほどはこのフォート・リチャードソン国立墓地まで移送され埋葬されたようです。
この埋葬の話を知ったのはこの旅行中が初です。アメリカ軍は実に慈悲深いですね。200体もの敵国人の遺体をわざわざ本国まで運ぶとは。この作業は大変嫌なことだったと思います。アラスカの最寄り港へは船で1週間もかかりる。そこからアンカレッジへも辺ぴでアクセスが悪い。どうにか鉄道が通った時代。鉄道コンテナ―で運送したのでしょうか。
近年、フォート・リチャードソン国立墓地に埋葬されていた日本軍のご遺体は日本政府によって回収されたそうで慰霊碑はアラスカに住む日系人が建立されたとのこと。日本ではあまり話題に上らないでしょうけどアラスカのアリューシャン列島では日本軍の戦争の傷跡がいたるところに残っているのですよ。その後の観光で訪れた博物館でもいろいろと遺物や写真を拝むことになりました...
ついつい楽しい観光に流れがちの自分だけど、過去の日本人の行った行為を考えるとやはり胸が痛いし恥ずかしい。国として戦争中の残虐行為を隠さず終戦直後から世界に事実を出していたらと思う。ドイツのナチス収容所のように。
重い内容になりますがもう一つ。Whittier(ウィッディア)という観光地の小さな博物館に辰口医師ら日本兵の遺品や写真が展示されています。たぶん当時アッツ島に従事したアメリカ軍人が戦利品として持ち帰った物。戦死者当人やその家族や友人らの写真や日記も含まれております。
アッツ島で戦死された辰口医師のコーナー(Whittier博物館)
辰口さんは日記を残しており回収直後アメリカ国内で翻訳され、アメリカでは軍用として貴重な資料として注目されたとのこと。化学兵器を米軍が使った可能性の記述があり噂を恐れた当時の指揮官らにより原本は紛失したそうです。しかしすでにコピーは出回っていました。
辰口さんはカリフォルニアで医学を学びアメリカを自国のように愛していた方だと知りました。奥様もアメリカ寄りの方だったそうでお子さんも戦後はアメリカ留学し二女の方は帰化もしておられます。辰口さんを射殺した元アメリカ軍人と二女は元軍人が死ぬまで交流があったそうです。大好きなアメリカと戦争しなくてはならなかった辰口さんご自身の無念を思うとやりきれません。
辰口さんのアッツ島日記の後半の文章、家族や知人に送った言葉がたびたび引用されるそうです。最期にあっても人らしい心を忘れない優しい方だったのですね。悲しいけど心打たれました。
次回は普通に楽しかった観光について書こうと思います。
ではまた~