先月に引き続き沖縄からの珍しい石のコーナーです。
真冬でも薄く日が差しただけで、さすが沖縄の海、マリンブルーの輝きを見せてくれます。
レンタカーで立ち寄った「道の駅いとまん」の鮮魚コーナーでは、本土では見かけない魚が並んでいました。
海から遠い長野県民にとっては未知の世界観がありますね。
貼り付けられた値札の名前もフカヤービタロー・マクブ・ミーバイ・シチューマチ・アカマチなど
沖縄での呼び名が付けられていました。
色鮮やかです。
沖縄を代表する観光地といえば首里城、沖縄では スイグシクと呼ばれます。
お城の大手門に当たるのが「守礼の門」で、2000年に発行されて2000円札に描かれた名所ですね。
駐車場から守礼の門をくぐって首里城内に入ります。
沖縄といえば、と言われる観光スポットなので、内外の観光客が記念写真を取ります。
順番待ちですね。誰もいなくなった一瞬を狙って撮った1枚です。
城内に入るといくつもの門があります。
基本お城ですから敵からの攻撃を防御する必要があります。
両側の石垣はほぼ垂直に積み上げられおり、ここを攻め登ることはできそうにありません。
門の額に書かれている「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味です。
この門は歓会門と呼ばれており、中国皇帝からの使者を歓迎するという意味で、この名が付けられたそうです。
次から次へ門が現れ、この門は瑞泉門(ずいせんもん)です。
両側にはシーサーが睨みを聞かせていました。
シーサーだと思っていましたが、石獅子(いしじし)でした。
魔除けとして一対が置かれていました。
瑞泉門の手前右側にある湧水は「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれています。
竜頭からは流れる湧水は城内から湧きでていて、
かつてはこの水を沸かして使者をもてなすお茶を入れたと案内板に書かれていました。
守礼の門、歓会門、瑞泉門、さらに漏刻門をくぐり、ようやく広福門にたどり着きました。
この先は下之御庭(しちゃぬうなー)です。正殿の前までやってきました。
この先は有料エリアになります。
入場料を支払って中に入ると眼の前にあるのは2次元の首里城正殿でした。
首里城は、琉球王朝時代に3回、第二次世界大戦中と2019年、計5回の消失を経験しています。
再建中の首里城正殿は、仮設建屋の壁面に原寸大で描かれていました。
建屋の中ではすでに正殿の骨組みが組まれ、着々と再建が進んでいました。
今年からは屋根の瓦葺きと柱の装飾が始まるそうです。
首里城の一番高い場所からみた首里城の景色です。
遠くに守礼の門が見えます。
急勾配で積まれた石垣に幾重も囲まれた頑強なお城(ぐすく)ですね。
お城の向こうには那覇の町並みが、更にその奥には海が見えました。
前回ご紹介した勝連城より大きなお城(グスク)です。
勝連城を支配していた阿麻和利とは対立関係に言われるのが首里城の琉球王朝でした。
石垣の下段には蘇鉄が植えられていました。
曲線状で急勾配に積み上げられた石垣が延々と続いています。
正殿へ向かうために通る門の両側には必ず一対の石獅子が置かれていました。
遠目には魔除けにふさわしい凛々しいお顔をしています。が・・・。
正面から見ると横顔とは違う雰囲気に見えませんか。
ちょっとかわいらしい、温和な顔つきに見えませんか?
一対の石獅子は魔除け、門番の役割をしているのですが、
遠方からきた客人をもてなすために笑顔を浮かべているようにも見えませんか。
城内の売店に置かれていたシーサーとは雰囲気が違いますね。
子供が泣きそうですね。
首里城から見た那覇市内です。ゆいレール(沖縄で唯一の鉄道)が走っていました。
飛行機に乗る前に沖縄料理で腹ごしらえです。
例によって何を食べたのか、この定食の名前を忘れてしまいました。
熱々の汁と混ぜご飯だったのは覚えていますが料理名がわかりません。
ご存知の方、教えて下さい。
特に大盛りを頼んだのではないのですが、ご飯は山盛り、汁は熱々で具だくさん、
他にも3皿の付け合せが付き、お腹がいっぱいになりました。
隣の席にいらっしゃった「おバー」が同じ定食を召し上がっていらっしゃいましたが、平気な顔で完食されていました。
真冬の沖縄、一年中で一番寒い沖縄は最低気温が12℃です。
肌寒く感じた沖縄から氷点下の信州へ、飛行機で帰宅の途につきました。
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アスザック株式会社 インフラエンジニアリング事業部 海外石材チーム
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