岐阜県中津川市と県境を挟んだ木曽郡南木曽町に中山道42番目の宿場町「妻籠宿(つまごじゅく)」があります。
かつては、長野県であった馬籠宿(まごめじゅく)(旧長野県山口村)と並んで
江戸の風情を残す史跡として国内外から観光客が大勢訪れます。
時代を感じる格子戸の家並み続きが、一瞬タイムスリップしたような感覚になります。
雨の宿場町、浮世絵に描かれそうな風景ですね。
浮世絵と言えば、天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および浮世絵師・歌川広重により描かれた
「木曽海道六十九次」に妻籠宿が43番目に登場します。
(浮世絵の一番は日本橋なので43番です)
川の水を使って動いている、古い水車小屋がありました。
鯉の池に水が引かれています。
屋根の上に石が置かれた家がありました。
建設当時は長屋で軒が続いていたものを、一戸分だけ切り取って保存されています。
瓦が普及してしなかった時代、庶民の家は板葺屋根が一般的でした。
高価な釘をたくさん使うことができなかった時代に、屋根の板葺は風で飛ばされないように石をおいて固定していたようです。
さらに石が転げ落ちないように縄で縛っていたようです。
置き石屋根の姿が忠実に再現されていますね。
有形文化財「下嵯峨屋」の案内がありました。
こちらは妻籠宿の本陣です。
門構えの立派な家ですが、屋根はやはり置き石屋根です。
妻籠宿本陣は、代々島崎氏が務め、明治20年代に最後の当主島崎広助(島崎藤村の実兄)が上京して
取り壊された建物を、平成7年に江戸時代後期の間取図をもとに再現されたもので、
現在は「南木曽町博物館」として妻籠宿の成り立ちや保存に至るいきさつなどがわかる展示がされているそうです。
宿場町の一角、妻籠宿無料休憩所「ふれあい館」内に約300体の五月人形が飾られていました。
観光客を魅了しているたくさんの人形は地元の住民から寄せられてもので、
月遅れの端午の節句にあわせて展示されていました。
鯉のぼり、武者人形、金太郎などたくさんの人形がありました。
自由に着て写真撮影もOKな鎧兜もありました。
宿場を歩いていると、茶房「ゑびや」の暖簾を見つけました。
雨の中、歩き疲れたのでちょっと休憩することにします。
疲れたときは甘いものがいいですね。
栗ぜんざいをいただきました。よく伸びるお餅も入っていて、
ほどよい甘さがお腹と体を癒やしてくれました。 とても美味しかったです。
中山道 妻籠宿と書かれた行灯が軒下に吊るされていました。これも風情がありますね。
帰り際、駐車場の簡素な屋根の下に、赤い頭巾とよだれかけをつけたお地蔵様が置かれていました。
「叶ぴんころ地蔵」と書かれていました。
ぴんころとは、年を重ねたら長い間病気で寝込むと家族に迷惑をかけるから、ピンピンと丈夫で働き、
ある日、コロっと往生したいという願いからピンピンコロリの人生をを願って「叶ぴんころ地蔵」と呼ばれているようです。
穏やかなお顔のぴんころ地蔵さん、台座にはお賽銭が置かれていました。
健康で長生きぴんころ、誰もが願う人生ですね。
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アスザック株式会社 インフラエンジニアリング事業部 海外石材チーム
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