妄想族 真実を語ることの難しさ おやすみです
人間は、
いつも本当のことを

語っていられれば

心は楽になり

体も健康になります

けれども、
それはたやすいことでは
ありません

真実はいつも
歓迎されるとは
かぎらないからです

そうはいっても、
責任をもって語られる
真実の言葉は

まちがいなく愛と健康と

エネルギーをもたらします

そのうえ、本当のことを
語ったほうが

より早く

よりたやすく

望みを実現できる場合が
多いものです

逆に、本当のことを
話していないと

心身に悪い影響がおよび

知らないうちに無力感や

恐れなどの気持ちが
増してしまいます

そこで、
よい結果を導くような

言い方で真実を語るには

テクニックが必要と
なってきます

小細工をするということでは
ありません

常に自分に正直でありながらも

相手のいうことにも心を開く
ということです

ものには言い方という
ものがあるし

場合によっては

「ウソも方便」も
必要かもしれません

真実を伝えると

相手を傷つけたり

怒らせたりすることがあるため

私たちはとかく本当のことを

話すのを避けたがります

もちろん、
とかく賢い人たちは、
「ウソをつくのは
安全のための手段」
と考えがちですが、
それも程度問題です

なかには、
自分はウソはつかない

という人もいるかもしれません

ですが、
私が(妄想族)
ここで‘ウソ‘と
呼んでいるのは、
人をだまそうとするような、
はっきりと悪意のある
ものばかりではありません

真実をねじ曲げて伝えること

本当の気持ちを隠すこと

自分の責任を否定すること

自分の身に
起きていることは自分で

作り出したものであることを

認めず、
他人のせいにすること

断るべき時に断らないこと

どう感じているのか
表現しないこと

何を望んでいるかと
たずねられても

「わかりません
」とか「なんでもいいです
」と答えること

これらのことがすべて
ふくまれるんです

大事なのは、
こうしたウソを
ついていると

人生から活気がうしなわれて
しまうことなのです

問題から逃げようとして
ウソをついても

結局問題は解決せず

正反対の結果に
なることが多いのです

自分の望みをかなえるには

自分についてよく知ることや

発見したり

経験したことに対して正直に
なることが必要なんだよ

真実を語るのは

いかにそれが
難しいことのように思えても

愛や健康や人生の喜びを
得るためには

絶対に不可欠なことなのだ

ということを
わかって下さいね

妄想族 ‘論理療法セラピー‘で心にゆとりが生まれる おやすみです
結婚に対して、
不安を持っている女性たちに効く

「論理療法」という

心理セラピーを書いて
みます(大袈裟)

アナタは
「非合理的信念」
というのを知っていますか

これは文字通り、
まったく合理的ではない

信念のことを言います

結婚に対して強い
不安感を持つ人や

拒否反応の強い人の中には

結婚に対して非合理的信念を
持っている人もいます

たとえば「結婚したら
仕事を辞めなければならない」
アナタもこんなふうに
思っていませんか

でも結婚しても
働いている女性は

たくさんいますよ

論理療法という
セラピーではこうした、
「非合理的信念」を
「合理的信念」に

書き換えていきます

「結婚したら仕事を
辞めなければならなくなる」を

「結婚しても、働いていて
素敵な女性はいる
」「いったんは
辞めるかもしれないけど、
再就職する道がある
」こう考えればOKです

「結婚したらつまらない
主婦になってしまう」
これも典型的な非合理的信念です

「確かにつまらない主婦に
なる人もいるかも
しれないけれど

必ずしも皆が
そうなるわけじゃない
」「つまらなそうに見えても

その人しか知らない
楽しさがあるのかもしれない
」としていけばいいのです

「非合理的信念」の
ワナにはまってしまう人は

たいてい、とても
少ないサンプルで

結婚や男性について
一般化しようとします

「普通は」
「みんなは」
「そういうものだ」
とアナタが思っていることが

実は「全然そうではない
」ことがありえるのです

このセラピー(大袈裟)を
習慣にすると

不思議なくらい心に

ゆとりが持てるように
なりますよ

是非、
試してみて下さいね

妄想族 外見でその人の中身がわかる?男の心理 おやすみです
大切なのは
清潔であることです

たとえ、外見に無頓着でも

Tシャツがいつも
洗いたてだったり

首もとからチラッと
のぞくシャツが

白くて眩しかったり

私は外見ってとても
大切なことだと思ってます

無頓着でも清潔であれば
いいと書きましたが

実際には無頓着な人って

清潔感にも疑問を
感じる場合が多いのです

着るものにこだわったり

髪型や持ち物にまで神経が
行き届いたりしているのは

人間性の表れだと思うのです

確かに、外見に
気を使いすぎるのは

中身が空っぽのように見える!
という意見もあります

けれども、
そういう一言で片づけるのは、
早計だと思います

思春期や社会人になりたてで

粋がっている頃は

女性の目を特に
意識する時期です

熱で浮かされているような

一種の病気かもしれませんが

それはやがて迎える本当の

大人になるための
準備期間なのです

その期間を過ぎると、
自然と落ち着いてきます

問題なのは、
無頓着な男です

外見のこだわり方は、
持って生まれたセンス
のようなものであり

あるいは
育てられ方にもよるので

一朝一夕で変えるのは
難しい要素です

無頓着な男を急に身綺麗な

男に変えることは
至難の業でしょう

案外、無頓着ということを
意識して

キャラクターのようにしている
男性もいます

無頓着を美学のように
考えている男性も多いのです

他人を不快にさせるぐらい
無頓着が許されるのは

才能がある人だけですよ

芸術家や学者は自分の
才能だけで勝負できるので

眉をひそめる格好を
していても許されるでしょう

しか~し多くの人は、
会社で大勢の人と
共生しなければなりません

一人では生きていけないのです

つまり、
自分だけのことを

考えていればいいと
いうわけではありません

人が不快になっていることが
わからないのは

他人の考えが読めないからです

これでは、仕事も恋愛も

うまくいくはずがありません

美学としての無頓着なのか

それとも面倒で無頓着なのか

まったく興味のない無頓着なのか

様々な無頓着が
往来しています

見抜く訓練をしてみて下さいね

その男性の人柄からかなりの

部分が読み取れると
思いますよ
