介護の闇は深い。
何より終わりが見えないし、
子育ては次第に楽になっていくものだけど、
介護はどんどん負担が増えていくから。
それでも永遠に続くわけではない。
夫の両親の介護が始まってもうすぐ16年。
それでも最初の3年は、
子供の学校の事もあって、
車で30分程の所に住んでいたので、
週に3日位通うだけで済んでいたので、
行かない日は出かけたりも普通にできた。
それが、同じ敷地内に住むようになり、
介護を睨んで親の家を建て直す事にして、
一気に忙しくなった。
何しろ親の家は江戸時代の建築で、
石の上に柱が立っていて、
瓦と瓦を固める土の重さで上から押さえている、という代物。
耐震強度が全くない。
阪神大震災の時に阪神間に住んでいて、
回りの同じような家が軒並潰れているのを、
直に見ていた私達夫婦は、
次にあのクラスの揺れが来たらひとたまりもない、と実感していた。
が、親達は何もできないしお金もないし、
考える能力もなくなっていたので、
一緒に住んで1年かけて説得して、
全て私達が被って建て直しを進める事になった。
とはいえ、夫は北関東に単身赴任中。
誰の負担が増えていくかは分かって貰えると思う(笑)
そんな中、建物だけ完成した時点で夫が2度目のアメリカ赴任。
その後の古家の取り壊しを含めた色々な工事は、
Skypeとメールを駆使して夫と相談しながら、
私が仕切る事となった。
そして、義父が脳梗塞で倒れた😱
幸い半身不随などの大きな後遺症は無かったが、
元々足が悪いので歩行に難があり、
脳梗塞後に若干の話しにくさと、
脳血管性認知症が残った。
あの頃、1人で2人の介護をする、という
厳しい状況をどうやって乗りきったのだろう、と我ながら思う。
ただ私は人に恵まれていた。
助けてくれた人が何人もいた。
体は1つなので、2人を見るのは物理的に無理な場合がある。
義母が骨折してリハビリ含めて4ヶ月入院した時など、
義父を1人で置いておけないので、
受験生の息子には悪いことをしたが、
家を優先して貰ったし
すぐ近くに住む義妹も、
度々代わりに病院に行ってくれた。
義弟は養子に入っているので、
彼女にうちの親を見る義務はないし
彼女自身も元気とはいえ両親と子供3人を抱えていて、
相当忙しかったはず。
義兄も、既に妻は亡くなっているのに、
その親の入院中に何度も足を運んでくれた。
いろんな人に助けて貰えた事で、
1人じゃない、と思えた事と、
笑い飛ばす事で乗りきれたように思う。
今は介護保険もあり、助けて貰える手立ては幾つもある。
大切なのは1人で抱え込まず、助けを求める事。
その上で、客観的に見ればキツい事でも、
笑い飛ばしてしまえば大した事がないように思えてきたりする。
私は大阪生まれ大阪育ちなので、
基本的に、ネタにしてやる、精神が結構ある(笑)
義父も義母も、ネタ化するしかないような、
驚くような話が山のようにあるが、
深刻になって落ち込んでも暗くなるばかりで、
良いことなど何一つ無い、と思う。
それでも義父が脳梗塞になった後、
次々判明する借金の山と、
それを全く意に介さない両親に、
腹が立ったり情けなかったりで、
1人で泣いた事は何度もあった。
でもある日突然終わりが来ることもあるのだ。
義父が夜中に具合が悪くなって救急搬送され、
今日一日もつかどうか、と言われた時は、
夫はアメリカだし、義母は役に立たないし、
ただ呆然とするばかりだった。
人工呼吸器とバルーンカテーテルのお陰で何とか持ち直し、
どちらも取れて話ができるまでに回復したが、そこから2ヶ月で帰らぬ人となった時、
日常がこんな風にいきなり終わるのか、と思った。
そこから6年、どんどん手がかかるようになっている義母を抱えて、
今は次の日常が続いているが、
こんな日もいつかは終わる。
間違いなくその日は来る。
ならばそれまで、介護の日々も楽しまなければ、と思う。
そう、心が折れそうな時は、
笑い飛ばして楽しもうとする、
それが私の対処法です。