また痛ましい事故が起きてしまった…
散歩しようとしていただけなのに被害に遭ってしまった園児と保育士の皆さん、
ご本人は勿論、その家族も、
加害者とその家族も、
誰もが不幸のどん底に突き落とされてしまった。
「遺された親たち」というシリーズがある。
初版は92年だから、四半世紀以上前に出版された、
子供を交通事故で亡くした親達を取り上げたドキュメンタリーだ。
この本は、朝日新聞の編集委員だった佐藤光房氏が、
新聞に連載されたコラムが元になっている。
掲載時から読んでいたのだが、
書籍化された物を読んで初めて、
佐藤氏自身が、結婚式を3日後に控えた娘さんを、
交通事故で亡くされた、「遺された親」のひとりであった事を知る。
佐藤氏は退職後も取材を続け、
都合6冊上梓されているが、
どの1冊を取っても、
1つの事故が、どれだけ多くの人と物を破壊するか、が綴られている。
そして彼は言う。
どれだけ模範ドライバーでも、
いつ加害者になるか分かりません、と。
車は確かに便利な文明の利器だ。
我が家のように、足の弱った高齢者がいる家庭では、
無くてはならない物でもある。
けれど。
車はそれ自身が凶器なのだ。
簡単に人を殺せる凶器なのだ。
しかも、殆どの場合、意図しなければ凶器にならない銃や刃物と違い、
ちょっとした不注意で大量殺戮してしまう凶器になり得るのだ。
ハンドルを握るとき、
ドライバーはその事を決して忘れてはいけないと思う。
銃を手にしてぞんざいに扱う人などいないだろう。
例え暴力団や警察であっても、
それが危険物である、という認識は持っているはずだ。
なのに我々は車に慣れすぎて、
その恐ろしさを忘れがちではないか。
それが分かっていたら、
飲酒運転や無意味な煽り運転などできようはずもない。
今回の事故も、どうやら右折車が前を良く見てなかったらしい。
その一瞬の不注意が引き起こしてしまった事の大きさを考えれば、
どんな時でも漫然と運転していてはいけないのだ、と思う。
私自身もドライバーなので、
常に凶器に乗っている、という緊張感を持ってハンドルを握らなければいけない、と自戒している。