昨日の初公判で、植松被告は起訴内容は認めたものの、
突然暴れだして休廷となり、
午後は被告不在で再開されたらしい。
相変わらず意志疎通ができない人間は生きている意味がない、とか言ってるようだが、
私から見れば、貴方も十分意志疎通ができない意味不明な人間だけどね。
大体意志疎通ができないのは植松被告とであって、
家族や、意志疎通しようと努力する人とは、
それなりに通じてる場合もあるはず。
そもそも要らない人間がどうこう言うなら、
寝たきりの人より、
他人に危害を加える人の方が、
よっぽど要らない人間だということに、
早く気づいて欲しいものだ。
この事件は、被告が目茶苦茶な、
本当に酷い犯罪だったが、
被告の完全責任能力が認められるだろうし、
死刑判決が下りて終わりだろう。
だがもう1つ、考えされられる問題も提起した。
それは被害者が実名ではなく、符丁で審理が進むことだ。
亡くなった人だけではなく、負傷者も多数いるし、
被害者にはそれぞれより多くの家族もいる。
事件後、被害者なのに不当な誹謗中傷もあったようで、
被害者もその家族も、これ以上生活を乱される事を恐れた、のは分かる。
そっとしておいて欲しい、というのが本当のところだろう。
けれど、名前は単なる符号ではない。
それぞれの名前の向こうに、その人の顔が見える。
甲A、乙B、ではとても血の通った人として認識して貰えると思えない。
初公判当日になって名前を公表した犠牲者の親は、
フルネームではなく、名前だけを使って審理をすることを望んだが、
裁判所からはフルネームか匿名かのどちらかを選べ、と迫られたらしい。
そもそも個人を特定するのに、
何故フルネームでないといけないのか分からない。
名前だけでも、甲Aよりはずっといいと思うけど。
裁判所は被害者やその家族の気持ちに寄り添えず、
杓子定規な頭の堅さを露呈したように見える。
けれど最大の問題は、
被害者が息を潜めなければいけない、という
日本の社会そのものにある。
特にネット社会になって、
匿名で有ること無いこと、
鬱憤晴らしの為に発信する輩が激増してしまった。
余程悪質であるとか、犯罪性があるとかで無ければ、
大半は何を書き込んでもお咎め無しで済んでしまう。
そして不確かだったり、事実と全く違う内容が、
一人歩きしてしまうのだ。
結局そんな無責任な発言の数々が、
ただでさえ追い詰められた被害者を、
更に追い詰めてしまっているのだ。
今回の事件でも、被害者側は、
本音で言えば、被疑者に、
何て事をしてくれたんだ、
何でこんな事をしてしまったんだ、
大事な家族を返してくれ、と叫びたいだろうに、
氏名を公表せず、
スクリーンの向こうから被疑者に対峙せねばならない。
彼らにそう選択させているのは、
我々なのだということを、
私自身も含めて、
ネットに関わる全ての人は肝に銘じるべきだろう。
怪我をされた方々、亡くなられた方々、
そしてその皆さんの家族、友人の方々が、
少しでも心安らかになれますように。