気持ちの整理(2)
はじめて目の当たりにした被災地
TVなんかで目にしたよりも ひどい状況だった。
あまりにもひどすぎて現実感が全然なかった。
最初は興味本位で、そんな状況を持っていったカメラで撮影していたが、
現地の人の話を直接耳にしたりしてゆく中で
そんな自分自身が本当に本当に嫌になった。
初めてみた避難所
小さな子供達も居る。
自分のあまりの無力さに
言葉に出来ない感情がわいてきた。
何の芸もできない自分がただただ悔しかった。
物資を降ろした。
いったい何が起きているのかもっと知りたく
原発の近くまで入っていった。
ボコボコの道を走っていると
向こうから避難地域内を巡回していた警察のワゴン車両が近づいてきた。
そしてワゴン車から完全防護服に身を包んだ警察が出てきた。
『この先は行けますか?』
『この先は行かない方がいい・・・』
原発から20km圏内の避難地域なのに
特に強制的に止められることなく警察は僕等とは反対方向へ行ってしまった。
その先にあった光景は一生忘れるコトができないだろう。
車が進んでゆくと言葉で表しようのない景色が続いていた。
その景色から放射能というものを僕等は始めて意識した。
そしてあまりにもの恐さに、ツナギ姿に花粉用のマスクだけという
軽装な自分達の姿を後悔した。
逃げるように内陸側へ続く道を探した
もう来た道を戻るにも戻れない
さらに進んで行くと
首輪をした犬が車に向かって突っんできた
ペットが野犬化しているという話が頭をよぎる
ゴーストタウン
家への帰り道
帰る場所がある自分達
何不自由のない生活ができる
あまりにも無力な自分達に何が出来るんだって
僕達は思いっきりヘコんだ。
気持ちの整理ができないままだったが、
週明け避難所に連絡をとり必要な物資を聞いて
それらを集めて4月9日に2回目の物資を運んだ。
(そういや1回目は4月3日の日だった。)
必要な物資は日々変わってゆく。
南相馬市内に1ヶ所だった避難所も1週間で3ヶ所に増えていた。
最終的に集めさせていただいた物資は出来たばかりで
物資がまだ少ないという避難所に降ろした。
物資は1回目の時よりも、たくさん集まった。
一緒に行きたいという人も増えて
4人で2台の車両で物資を届けた。
物資としての支援は全体的に集まっている感だった。
避難所に避難している人達はやけに疲れている感じであった。
ボランティアで来ている若い男の子達が
市が管理している収集された物資倉庫からせっせっと物資を運んでいた。
キラキラと輝いた目で働くボランティアの男の子達
物資としての支援は自分達じゃなてもいいと感じた。
それぐらいに物資は山積みされている風にみえた。
僕等は気持ちの整理がつかないまま家路に向かった。
帰りの高速道路
ラジオから猪苗代湖ズの曲が流れた。
http://www.youtube.com/watch?v=3CQJuAN2BEY
涙があふれてきた
そして言葉に出来ないが、自分は気持ちの整理がついた。
自分はどこに本当の自分を置いてきちゃったのだろうか?
身勝手ながら自分なりの自分にしかできない南相馬復興支援計画つづけます。
どんな形になるのか今の時点では想像も出来ないが、
ぜってぇに何かしらの形作りをしちゃるけん。
気持ちの整理
★身勝手に南相馬復興支援計画
1ケ月以内に非難しなさいと国から言われている計画非難地域となった南相馬市であるのだが、
身勝手ながら自分の中で計画は着実に進行している。
もう後戻りはできない。
既に色々な人を巻き込んでしまった。
現実はどう転がってゆくのかワカラナイが、最終目標に向けて後は突き進むしかないのである。
気持ちの整理・・・
そもそも何が自分を向かわせるのだろうか?
自分は2回だけ南相馬に支援物資を持って行った。
1回目に行った時は、4月2日
震災から3週間も経っていた。
自分の住む辺りだと、直接的に生活する事に対しての地震の被害はなく
(幸いにして計画停電の影響などもなかった。)報道されるニュースなどもどこかテレビの中の話・・・的な
地震が起きる前とは何ら変わらない環境の中で何も変わらぬフワフワとした日々が続いていた。
それがしばらくすると、自分の身の回りで次から次へと状況は変化していった。
周囲の人のさまざまな感情があふれ出し、
面白いほどにクソみたいなコトが次から次へと起きてゆく。
自分は仕事に対しての前向きさを完全に失くした。
コレって経営側の人間としてはあってはならない話だ。
以前から何度も何度も前向きさを失ってきたのだが、
働く人の家族の顔などがチラつき
そんなちっぽけな感情を、日々の慌しさの中で忙しさに没頭するコトで気を紛らわしてきた。
が、地震の影響で仕事量が減ってゆき、
ますます頭ン中で考える時間が増えてゆく。
そんな中で起きてゆくクソみてぇな状況・・・
でもやるしかなかった。
与えられたコトをただこなすだけの日々
そん時はそれにのめり込んでいくしかなかった。
TVやラジオでは『がんばれ!』『負けるな!』『1人じゃない!』だとか
ドコかの誰かが繰り返し言い続けている。
何を形にすることなく、誰しもが簡単に口にする
そんな風潮がイヤだった。
『ケッ!!』とか思ってた。
そいでも偽善者気取って、はした金だが出来る限り、
共感を与えてくれた先には募金もしてみた。
でも結局は自分も同じ穴のムジナだ・・・
が、そもそもが違う。
自分は自分自身を取り巻く閉塞感を打ち破りたいだけだった。
そんなモノを求めていた。
どこかで放射能の影響で福島の自主非難地域には物資が全然届いていないという話を耳にする。」
コレだ!と思った。
正にコレしかないんだと思った。
ネットで情報を集めていくと、南相馬市長がyoutubeで叫んでいるのを見つけた。
声を掛けて集められる物資を集めた。
それは南相馬の被災者の人達の為じゃなく
自分自身の為だけに
2011/04/05
やるべきことがわからないと嘆いているのならば、
まずは自分が感じたものに対してだけ動けばいい。
そうすりゃ必然とやるべきことがハッキリとしてくる。
状況を悲観してるだけ
口先だけじゃ
何も現状は変わらない。
変わらないってことはその現状でいいんだと
自分自身黙認してるってことに違いない。
自分は少しでもテメエ自身の今の目の前の景色を変えたい。
だから動くんだ。
だけども何をするべきかわからない。
だからそれを見つける為に動くんだ。
その扉の先にさらなる絶望があるとしても開け続けろ自分。
だっていつだって欲しいモンは今なんだから。
その欲しい今が絶望なのだから扉を開け続けなきゃいつまでもそんままだよ自分。
バカは頭使うな、体を使え体を・・・ってコトだよ自分。