Hurt Me More More More.........................
結果として飯舘村の青年とその家族の人と面むかって話が出来た。
6月いっぱいの期日ギリギリまでは避難せずにここに居ると言っていた。
その先のコトはまだハッキリしていないという。
今後も連絡を取ってゆくと心に決めて次の場所へ
飯舘村に流れている緩やかでやわらかい時間…
見えない放射能って代物が心の底からやたらと憎らしく思えてきた。
ラジオでは今日の飯舘村の放射線量○○ミリシーベルトとかなんとかって喋ってやがる。
住んでいる人の気持ちを思うと本当壊れそうだ。
道すがら車を停めて
何度も何度も深く深呼吸した。
一体全体ここに何があるってんだ。
姿みせてみろボケ!
そのまま南相馬の同業者の所へ
電話では以前に話をしており、幸いにもギリギリ避難区域からは外れたので
営業は再開しているとの情報を聞いてたので顔を出してみることにした。
実際に伺ってみると
確かに避難区域ギリギリもいいとこ
5、6メートルの道を挟んだ反対側は避難区域だ。
真っ白い防護服に身を包んだ警察だか自衛隊の人たちがしっかりと警備している。
「う~ん。何か行きずらい…」
静まり返った会社を恐る恐る覗いてみると会社は人の気配なし。
やっぱ現実的には再開は難しいのか…
と敷地内で佇んでいると一台の車がやってきた。
そこで働く従業員の人だった。
話を聞くと、社長はたまたま今日は福島市内に出張してるという。
アポなしで伺って、結果良かったんだか悪かったんだかわからなくなった。
何か気分が落ちていった。
その後、電話で連絡とりあっていた郡山の専門学校へ
校長先生やら事務局長やら暖かく迎え入れてくれて
泣きそうになった。
本当に気持ちのいい人っているんだなぁー。
こんな人と少なからず関われたコトに感謝。
そして思わぬ展開に話が進み、
6月のあたまに県外就職希望者の課外活動として生徒を受け入れることとなった。
まるで夢見てるみたいですよ…と担当の先生。
いやいや、それはこちらの台詞です。
地元の商売のお姉ちゃんに、原発事故後に福島差別にあったと涙目に語られる。
以前に福島ナンバーの車へ対する差別話を書き込みでみたことがあったが、
目の前の地元のお姉ちゃんの口から言われるとなんだか重みがある。
そして実際に本当にそんなコトがあるのだと
聞きたくないような話まで教えてくれた。
このお姉ちゃんは自分の親から
「福島の女はもう嫁にもいげねぇぞ」
とも言われたとも語った。
話を聞くかぎり、なんだかすごく追い込まれている感じがした。
だけども今はもう割り切れた。と言っていた。
人や物のありがたみに本当に気付けて、震災があって良かったと言っていた。
「家族が無事だからこんなこと言えるのかなぁ」
時々、言葉を詰まらせながらも明るく振る舞おうとしているのが
バカな自分でもわかった。
こんな姉ちゃんが、何だかよくわかんないが、
割り切らなきゃいけない現実とやらと、
あまりにも無力な自分に対しての
「ほら、おいでなすった」的な気持ち…
全然関係ないが、
『未来を写した子どもたち 』
の情景が頭に浮かんできた。
南相馬に実家があったという違う店の商売のお姉ちゃんは
『津波で実家流されちゃったー』と、ケロっと語った。
幸いにして家族は全員無事、
このお姉ちゃんは5年ほど前から郡山で独り暮らしをしてるという。
「がんばっぺ福島とかって言ってるけど、
自分はおざなりにただ周りに合わせて思ってるだけ、ただ言ってるだけだよ」
ここいらの人きっとみんなそうだよ。
本当に危機感持ってるのは、きっと家族を失ったり避難所に居ざるえない人だけだよ。
自分みたいに福島にいても、こうして以前からの生活が出来ちゃう人からすれば、
気持ちが生活の方に向いて、なになにが欲しいだとか、
どこどこ行きたいだとかってのが強くなってくる。
そうすると、はじめの頃の気持ちってだんだんとなくなってちゃう。
・・・正直わかんない。
こういうのダメだなぁーっては感じてるけど…
でも、なにがあったとしても、やっぱ結局はここに戻ってくるしかないよ。
出て行きたくても出て行けない。
いや、出て行きたくないかな~。
話を聞きながら頭の片隅で
今朝会った飯舘村の家族が頭に浮かんできた。
どこへも帰れない。
帰らないんじゃなく、帰れない。
そんな気持ち
本当に本当にわかりたいけども、
わかるわけないじゃん。
チクショウ。
生きのびるやつ
勝手ながらの南相馬支援計画…
意気込みがあっても、その気持ちは役に立たない という現実。
開き直ることすら出来ず、あるのはただ悶々とした気持ちだけ。
『自分のやれることをやればいいんじゃない。』
まったく簡単に言いやがるぜ。
自分らしくって何だろう・・・
そんな時、飯舘村で行われた東電の説明会の記事をみつけた。
http://www.yomiuri.co.jp/photonews/article.htm?ge=614&id=110329
その説明会で東電に対して意見した24歳の自動車整備士がいた。
『全村避難すれば工場は休業せざるを得ず収入はゼロ。』
その彼の居所を飯舘村にある整備工場すべてに電話して聞いて一方的な思いだけで会いに行ってきた。
千葉にも受け入れる自動車整備工場があるけども・・・って伝えたくて。
時期尚早・・・
周りからは大反対された。
だけども早すぎるとか、遅すぎるっていうのは 自分の気持ちにはなかった。
自分は“今”を必要としているんだ。
“今”がない今なのだから、その“今”を渇望している今だから 今しかないのだった。
(ん??)
色々と情報収集して
相手がいれば、その相手のコトを思い考えてって…
やっぱ自分は生き延びるタイプじゃないなーと痛感。だけども諦めからとか卑屈とかからじゃなく
そいでも生きのびなくたっていいやと
そんなカッコ悪くダセぇ自分でありたいと切に思った。
間違ってるとか正しいとかって結果を出してからのことだと考える。
そんで、そんな結果を自分は求めているのであろう。いずれにせよ何もしなけりゃ、目の前のモンは何も変わりゃしない。
自分らしくって何だろう・・・ よくわかんないから本能に従うことにした。
朝方、高速をかっ飛ばして飯舘村まで
お月さんがまん丸だった。