ボンジョールノ音譜

 

 

 

イタリアに戻り、早いもので11日が過ぎました。

イタリアに戻ってから1日だけを除けば、ズーと雨が降っています笑い泣き

(今日は久しぶりの晴れか?いま霧で覆われているけど)

地域によっては、土砂崩れの被害が出ているところがありますが、

ウンブリア州は今年の初めから雨不足で、

トラジメーノ湖の数位が激減していたこともあり、

この2週間ほどの雨で水位が上がったことは嬉しいことであります。雨ラブラブ

 

 

10月から2ヶ月の日本滞在、両親が喜んで迎えてくれたことは

言うまでもありません。泣くうさぎ

してあげたかったことは前回の投稿でも書きましたが、

実家のちょっとした修繕もありますが、

手料理も食べさせてあげたかった事の一つです。

普段食べているイタリア料理、シンプルな日本の家庭料理、

食卓を囲み食べることも喜びの一つであるのは

間違いありません。

 

 

 

 

 

 

有馬温泉は、母の生まれ育った場所です。

奈良から車で1時間なので私が運転していくことも出来ましたが、

この時期、中国自動車道が通行止めで、

1度目の法事は親戚の車で一緒に行ってもらい、

2度目の有馬訪問は、電車で行くことにしました。

父のオンボロ車のナビは、もう一つ使い方がわからないし、信用できないあせる

お墓まいりと有馬を散策したかったので

母と二人で初めて電車を乗り継いで有馬まで行ってきました。

 

 

 

 

奈良から2時間かかりましたが、久しぶりの有馬は観光客でいっぱいでした。

この写真の通りがメイン通りですが、私たちが子供の頃にきていた時とは

すっかり様子が変わっています。

 

 

 

 

お墓参りの後、今回絶対食べたかったのは、明石焼きです。

私は美味しいと分かっていても、食べるために並んでまでは食べたくない主義ですが、

この明石焼きを食べるのに40分は並びました笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

しかし現在ある有馬のお店のほとんどは、この20年ぐらいの間に

出来たお店ばかりで、

昔ながら継続しているお店は、ほぼありませんでした。

少しノスタルジックではありましたが、

今の方が完全に観光としては美しく模様替えされ(建物も)

情緒はありました。

 

 

 

 

並んだ甲斐あり、ようやく美味しい明石焼きにありつけるわけですが、

いきなり「ご注文はQRコードからお願いします」と言われ、

私ははてなマークはてなマークはてなマーク

「すみません。私、スマホはあるんですけどネット回線がないので

メニュー見ることが出来ないのです汗」と言いますと

お店のターブレットを貸していただき、注文することが出来ました。チーン

 

小さいお店で品数も多いわけではないのに、わざわざQRコードから注文しなければいけない。。

これって、私がおかしいのはてなマークびっくりマーク

日本ではキャッシュレスが進んでますが、まだまだアナログ生活の私は

逆に躊躇することが多かったです泣

 

イタリアは因みに、デヴィットカードもしくは現金で支払いする人が大半です。

 

しかし明石焼きのなんと美味しかったこと音譜

あのお出汁の上品なことびっくりマーク

あの上品な味を自宅で再現できるかな〜

 

とにかく満足してお店を出ることが出来ました。

 

 

 

暗くなる前には家に帰りたかったので、

散策も大急ぎですが、有馬のお土産物屋さんで

イタリアに持って帰る日本らしいお土産をいっぱい買うことが出来ました。

が、温泉に浸かる時間はなし煽り

だから足湯だけ汗うさぎ

 

 

しかしこの4年で、キャッシュレスが進み

また支払いも自動で支払わねばならないところばかり。

知らない単語も(ペイペイ、でしたっけ?)多々。

イオンカードや楽天カード、

「もう、そんなん私には関係ないの!早く支払いさせてくれ〜あせる

と思うこと多々あり。

 

自動機では私は多々お店の人に手助けしてもらう羽目になり、

まるで浦島太郎のおばさんバージョン泣くうさぎ

 

 

 

 

 

毎日、夫と娘とはWhatApp(LINEと同じアプリ)で、顔を見ながら

こうして話ししてました。

 

 

しかし、夫の後ろに映るペルージャの大聖堂の壁を見ると、

 

あ〜〜〜〜〜、なんて愛おしい〜〜〜〜ラブラブ

と感じていました。

 

 

 

 

 

では、今日はここまでグラサン

そうそう、ここでの日本人の友人が急遽帰国することになり話を聞いていると、

どうもいま渡航する時、Visit Japan Webというアプリ、

海外からの入国者(海外から帰国する日本人も含む)が、

入国時に「検疫」・「入国審査」・「税関申告」の入国手続を行うことができるウェブサービス

があるようです。

それはワクチン接種証明、飛行機の番号(座席番号含む)、個人の情報なんですが

私が渡航した時のMy SOSというアプリと内容は同じのような。。

 

 

 

 

良い1日を〜愛飛び出すハート

 

イタリア個人旅行のアテンドをしています。
車でしか行けない小さな町や村にも専用車でス〜イスイ。

また企業通訳も承っております

ボンジョールノ音譜

 

 

 

最後の投稿が、9月17日。

3ヶ月ご無沙汰しておりました。あせる

 

最後に投稿したのが「子供の時のトラウマ」で

そこから投稿が突然に止まると

何かおかしな事になってるんじゃないかと

想像された方もいらっしゃるかな?。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

9月の末は日本に4年ぶりの帰国のため

家の常備品の買い置きや

ご飯の作り置きを冷凍する、家のお掃除など

自分の出発の荷づくり以外のことでもバタバタでした笑い泣き

 

あと、国際免許証の申請と

待ちに待った滞在許可証デジタルカードを申請していたのが完成し

移民局に取りに行くなど。。

これは申請のアポを取ってから、なんと取得まで約11ヶ月かかりましたびっくりマーク

(イタリア人と結婚していても、イタリア国籍を取らない限り

付きまとう滞在許可証ゲロー

 

 

奈良の実家から見える山 二上山

 

 

そしてドキドキの出発は10月5日。

なんたって4年ぶり、しかもコロナで完全世界が遮断されていた後ですから

飛行機に乗るのも、以前とは様子が変わっています。

私が乗った時点では、入国にMy SOSというワクチン接種等の証明アプリを

必要としただけですが。。

入国時の隔離が無くなったし、陰性証明書も無くなったので

かなり渡航がしやすくなりました。

 

11月に入ってからは、My SOSもなくなったんじゃないかな?

だから渡航はコロナ前のように戻りました。

でも飛行機代は以前に比べて高額になってます泣

 

 

実家の近くの村の中を散策

 

 

 

この2ヶ月間の日本帰国は20年ぶりに夫と娘なしの帰国でもありまして、

完全に親のことに集中できるというのも

これまでの帰国とは違いました。

 

2ヶ月間、私が家を空けるというのは

17歳の甘やかされた一人娘にとっては、

家事を少しは手伝わねばならないわけですから、

いい勉強になると思っていました。

 

 

 

父85歳。

母78歳。

 

父は昔から糖尿を患っていましたが、

ここにきて肺の難病も患い

その事もあり、私がコロナを家に持ち帰ることはできないびっくりマーク

ということで、渡航中もそうですが感染対策に気をつけ、

今回はあまり国内移動も最小限にとどめる事にしました。

 

 

本来なら、千葉にいる大好きな女性に会いに行きたかったのですが。。泣

友人、親戚に会うのも最小限にしました。

 

 

とにかく10月の間は、実家のDIYに勤しみ、

お掃除もいっぱいしました。

台所の天井が数年前の水漏れでシミができ

一部穴が開きかけていたところを、透明パネルで塞ぎ

壁紙を全体に貼ったり、

 

 

パッと見た目には素人の仕事には見えませんが、

よくよく見るとわかります笑い泣き

 

 

屋上とテラスの柵の色ぬり

(下の写真はまだ途中の段階。全部塗るのに3日かかりましたあせる

 

 

 

 

日本滞在2週間後、台所用カーペットを、たわしでゴシゴシ洗って

「できた!」っと立ったら、ぎっくり腰になったり笑い泣き泣笑い泣き泣

 

 

イタリア在住27年。

ちょうど日本に住んだ年数と同じになりましたが。

だから私の体は、すでにイタリアの気候に慣れているようで。。

それでも夏とは違い10月から11月は一番気候的には

過ごしやすいはずですが、環境の変化とDIYの無理が祟りました真顔

 

 

 

 

実家とはいえ、基本自分が生活するスペース空間でないのもあるのか?

(どれだけ繊細やねんって話ですがびっくりマーク汗うさぎ

ベットではなく、座敷で布団を引いて寝るのも

こたつで食事するのも、関節という関節が痛い泣泣泣

(これは、毎回夫が日本に来るたびに悲鳴をあげていた状況と同じになりました笑い泣き

10年前までは、ここまでの関節痛はなかったですが、

やはり更年期のせいもあるのでしょう。

1ヶ月が過ぎた頃から、血圧も145と高い日が続いたり。。

 

で、どうしたか?!

「命の母」を薬局に買いに走りました笑い泣き

これは昔からある更年期に効く和漢生薬+ビタミン類の複合薬なんですって。

するとどうですか、身体中の関節痛は見事に消え去り

なんとなくだるく不調な感じが軽減されました。

あとは血圧です。

秋晴れの朝毎日40分程度のウォーキングを始めたのと、

トマトジュースの中にアマニ油1杯混ぜたものを飲むと

徐々に血圧も安定してきました。

(これは友人が勧めてくれました)

 

 

 

 

 

 

日本に帰ってまず食べたかったもの

 

辛子明太子とお豆腐、そしてお刺身のハマチ、コンニャクです。笑い泣き

辛子明太子に限っては、3週間毎日食べていました笑い泣き笑い泣き

それを友達に言うと、

「辛子明太子一腹で、ご飯一膳食べるもんじゃない!」って

私のバカ食いに呆れかえられましたびっくり

そうなんかな〜チーン

 

 

車の運転も、国際免許1年間有効をイタリアで申請し

毎度日本で乗るわけですが、年々日本で運転するのは

特に最初の数週間は怖いです。

だってハンドル逆だし、日本は左側通行でしょチーン

だから「左側通行」って大きく書いた紙を前において運転してました笑い泣き

それにイタリアではマニュアル車ですが、日本はオートマ車。

毎度、初めの1回目はエンジンがかかりません笑い泣きチーン

これは次イタリアに戻っても同じで、

エンジンかけようと思ってもかからない笑い泣き

オートマ車は右足だけ使って、アクセルとストップを踏み分けますが、

マニュアル車はクラッチがあり、左足でクラッチを踏みながらエンジンをかけます。

だから足の感覚が全然違い、最初戸惑うのですチーン

 

 

 

とにかく2ヶ月の間、出来ることはしたように思えます。

父の介護認定を取るのも病院そして市役所を回りました。

介護認定1と診断されましたが、実際父はまだ最低限の自分のことはできていますし、

必要なように見えません。

病院側で「まだ見た感じでは必要ではなさそうですが、どうして申請されるのですか?」と

尋ねられた時、私がいる間に申請しておけば

実際に必要になった時に母は連絡するのみで申請のためアチコチ動く必要がないようにするため、と

説明すると、「それは正解です」と言ってもらいました。

 

 

 

親孝行って、親にしているつもりでも

結局は自分のためにしているものだと私は解釈しています。

だって、今しかできないから。

もう時間がないのです。

 

 

 

では、また日本の滞在記を少し続けて書こうと思います。

11月に入ってからは本当に美しい紅葉を満喫できました。

 

 

 

それでは、皆様にとって良い1日となりますように愛飛び出すハート

 

 

イタリア個人旅行のアテンドをしています。
車でしか行けない小さな町や村にも専用車でス〜イスイ。

また企業通訳も承っております

 

 

 

 

ボンジョールノラブラブ

 

 

 

9月なかばを過ぎ、あの暑かった夏は何処へやら。。

ウンブリア州では一昨日からようやく雨が降り

少しは今年の水不足解消になれば良いのだけど。。雨

 

 

 

今朝は晴れているけど、午後から大雨が来るようです。

 

 

 

 

昨年、母に初めて打ち明けた

子供の時のトラウマ。

母は、本当にびっくりして衝撃を受けていました。

 

(この30年ぐらいの間は忘れていたんですあせる

じゃ、それほどトラウマじゃないじゃん!ってこととは違いますよ。

多分忘れていたかったからで、ふとした時に思い出し

母に言ってみよう!となったわけです)

 

 

それは私が5歳ぐらいの時の話です。

両親は、いま住んでいる家を建てるまで

新婚の間2年ほど古いアパートに住んでいました。

そのアパートのご近所さんの奥さんとすごく親しくしていて、

私もご近所さんだし、可愛がってもらっていると思い

過ごしていました。

 

 

家を引っ越してからも、数年両親は

その奥さんと付き合いが続いていました。

ある日、近くの町でお祭りがあり、私が「行きたい」とねだりますが、

両親は忙しくて連れて行くことはできませんでした。

その元近所の奥さんが、お祭りに行くことを聞いた母は、

私も連れて行ってもらえないか頼みます。

 

 

オルチャ渓谷

 

 

 

私は小さいときから知っているおばちゃんだし、

明るくておしゃべり好きなおばちゃんで、すごく喜んで

付いて行ったのを覚えています。

その日、おばちゃんの友達と乳母車にいる小さな赤ちゃん、

もう一人おばちゃんの子供もいました。

お祭りに行けることにウキウキしていた私。

お祭りは、大勢の人がいて賑やかな場所、そして屋台もたくさんあります。

私が楽しそうにはしゃいでいると、おばちゃんたちは少し怖い顔を私に向け

自分たちの話に夢中で、私は無視。

 

 

 

 

オルチャ渓谷

 

 

 

屋台のお菓子(アメだったか?)を欲しがった自分の子供には

買い与えるけど、私には、なし。

私は楽しいどころか萎縮し始めますが、

でも子供ながらに、そういう雰囲気をだしてはダメと思ったか?

無視され続けるし

私は乳母車の赤ちゃんを覗き込み

可愛いね!と言おうとしたら

おばちゃんの辛辣な言葉が飛んできて、

今まで見たこともない、おばちゃんの怖い顔を見ました。

 

 

そのあとは、完全に萎縮して、おばちゃんたちの後ろをトボトボ

ついて行くだけです。

楽しいはずのお祭りは、悲しいお祭りに変わりました。

 

 

 

オルチャ渓谷

 

 

 

もっと怖い思いをしたのは、そのあとです。

私の家に着き、母がお礼をいうために迎えに出てきました。

その時のおばちゃんは、母の前では今まで私が知っていた

明るくおしゃべりな楽しいおばちゃんに戻っていたのです。

 

 

お祭りに行っている間のおばちゃんとは、別人でした。

 

 

数年後、家も近所でなくなったこともあり、

両親とそのおばちゃんとの付き合いは無くなって行きました。

長年、このことを胸に秘め、母に話すことがなかったのは

子供心に、言ってはいけないこと、と思っていたんですね。

 

 

私は確かに、活発でおしゃべりな子供でしたが、

他の大人にこんな辛辣な態度を取られる、

それも恐怖を感じるぐらいのことをされた事はありませんでした。

 

 

オルヴィエート

 

 

裏表の人間を初めて見た体験でしたが、このことがきっかけで

表では調子よく言っている人が、裏では違う顔を持つ人がいる

というのを、すごく察知するようになったかもしれません。。

 

DVを受けている子供たちが、心を閉ざして実情を話さない、というのは

分かる気がします。

怖くて話ができない、自分が悪いと思ってしまう。

色々あると思います。

 

 

学校に通っている時、先生やクラブのコーチに、

それは何度も怒鳴られて怒られる事はありましたが、

怖いと感じる事は一度もありませんでした。

それは先生に裏表がなかったからかもしれません。

 

(余談)

大人になってから、先生と会って話した時

「お前には、怒りやすかった」と笑って言われました。

怒っても、根に持たない、心が折れなさそう、次の日になったらケロっとしてる。

そういう私の性格が、先生からすれば怒りやすかったみたいです。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

 

 

Hotel della fortezza   ソラーノ

 

 

まあ、人生は何と、素晴らしいエネルギーを与えてくれる人もいれば、

苦しい事を与える人もいて、

人に揉まれて、なんぼ!の人生か〜

と最近では思えます。

 

 

 

 

今朝読んだ記事、加藤諦三先生のお言葉が心にしみました。

先生の本は自分の30代だったかに何冊か読んでいて、

久しぶりに先生の言葉に触れ、「ああ、先生そうですね」って

心の中で先生につぶやきました。

 

 

 

 

『しがみついているものからちょっと手を離すと、幸せになれます』

社会学者 加藤諦三の言葉

(1)

欲しいものが手に入らないとき、

あるいは失敗したときに、

これは自分に何を教えているかと

省みる人は、最後に幸せになる。

(2)

自分の心に正直に、

ほとんどのことは

それで解決します。

(3)

自分に

失望している人ほど、

基準が高いです。

(4)

しがみついているものから

ちょっと手を離すと、

幸せになれます。

(5)

認める事ができない事を

認める事。それで解決。

(6)

人は

自分を受け入れる程度にしか、

他人を受け入れることはできません。

(7)

幸せになる人は、

自分を

不幸にする人を切っている。

(8)

順調に生きている人は、

接する人間を厳選している。

(9)

悩んでいる人が

本気で

解決を求めていないのはなぜか?

それは解決するということは

「現実に直面すること」であるからである。

(10)

アドバイスするときには

お互いの信頼関係がなければ

意味がありません。

(11)

憎しみにとらわれた時、

人は生き方を間違えます。

(12)

今が幸せなら

過去のことは全て許せます。

(13)

『自由に育てる』

というのは聞こえがいいですが、

実際には指導方法を知らない、

ということが多いようです。

(14)

子供は正義では育ちません。

自分の心を

親が酌み取ってくれることで

子供は成長します。

(15)

なぜ?

と考えることは

幸運の始まりです。

 

 

 

良い週末をラブラブ

 

個人旅行のアテンドをしています。
車でしか行けない小さな町や村にも専用車でス〜イスイ。

また企業通訳も承っております

 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

先週末は友達から夕食に招待されたり、

また日本から友人が来て自宅にランチに招待したりと

楽しい時間を過ごしましたラブラブ

 

 

(余談)

6日ほど前に、15年ほど使っていた冷蔵庫が壊れ

修理不可能で、新調した冷蔵庫が昨日来ましたおねがい

修理に来てもらうために数日要し、土日を挟んだので、

6日冷蔵庫のない生活を強いられました。笑い泣き

冷蔵庫がない生活って大変だ〜煽り

 

 

さて前回の続き、

ピティリアーノと失われた町ヴィトッツァです。

 

前2回の記事

 

 

 

 

 

まずは「失われた町ヴィトッツァVitozza。

ここはエトルリア時代から1700年代まで洞窟の中で生活をしている人がいたのです。

 

 

 

 

道をどんどん進んでいくと、写真のような洞窟が所々にあります。

200世帯ほどが住んでいたと言われていて、

多くの洞窟の前には下のような看板があり

最後に誰が住んでいたか記されていました。

 

 

 

 

 

大きな洞窟を見ると、大所帯が住んでいたのか?!と

想像が膨らみました。

 

 

 

 

 

 

山を1キロほど進むと山の頂上に出ました。

そこにはかつてのお城、そして教会跡がありました。

やはり権力がある所は、洞窟ではなく石で作られていたんですね。

 

下は教会跡

 

 

お城の下を少しだけ降ると、またいくつかの洞窟(小さいものがたくさん)があり

まるで現在のアパートの集合体のようでした。笑い泣き

そしてここにも、鳩を飼育(食用)していた跡が。

 

 

 

 

 

 

1時間半ほどで散策を終え、

次に向かったのは、ピティリアーノPitiglianoです。

 

 

 

 

 

 

岩からなる小高い丘に建てられた町は、私には大型の船のように見えました。

町に入ると、オルシーニ宮殿広場から2つの道が

町の突き当たりまで伸びています。

 

 

 

 

町は小さくても住人や観光客で賑わっていました。

小さなお店やレストランもたくさんあります。

 

 

 

 

お店といっても昔を感じさせるようなお店ばかりで、

高級店はありませんよ笑い泣き

 

 

 

 

前回にご紹介した村二つもそうですが、

このピティリアーノも、昔のイタリアを感じさせてくれるのです。

それは、村や町の壁が修復されていないせいかな〜

 

 

 

 

ピティリアーノは町中のメインになる二つの道が細いため、

住人が町中で車を駐車する場所はありません。

上の3輪車ぐらいです。

住民は入れる時間帯のみ車で入れるようで、

でも一時停車のみで駐車なし。

だから町の奥に住んでいる人は、

買い物なんか大変だろうな〜って感じました。

 

 

 

 

まさしく岩の上に建てられた建物。

ちょっと住むのは、大変そうあせる

でも観光に訪れるには最高です。

 

 

 

 

上の写真に写ってる原チャリ!

私も車を購入する前の2年間は、この原チャリに乗ってましたおねがい

もうこれに乗ってる人見かけることほとんどないですあせる

 

 

いつも思うけど、イタリアに観光に来る人が多い理由が分かります。

だって世界無二の場所がたくさんあるんですもの飛び出すハート

 

 

あまりにも素敵な町だったので、この日の夕食をここですることにしました。

ネットでリサーチすると、一番はじめに出て来たトラットリアが

どうも良さそうなびっくりマーク

で、BARの人に聞いて見ると、「美味しいよ」って。

だから直接予約しに行きました。

 

Trattoria Il Grillo

 

 

 

レビューを読むと、いつもいっぱいなので予約必見!

私達のように当日のお昼に予約して席が取れたのは、

ちょっとラッキーラブラブ

 

夕食にまた戻ることにしました。

 

 

 

夕食までに私達は時間があるので、宿泊先のソラーノから3キロのところにある

温泉に行って来ました。

ここは温泉施設です。

宿泊先のHotel della Fortezzaでは、この温泉施設の割引があり、

一人12ユーロ。

施設では、スイミングキャップ2ユーロと大判のタオル、

ビーチチェアーとパラソルを借り、中へ。

トータル50ユーロ弱(二人)でした。

 

 

 

 

温泉といっても、大型プールですね。

写真には写ってないですが、もう一つ冷水のプールがありました。

 

 

 

 

2時間ほどリラックしましたが、夫はこういうのは好きじゃないので、

私のために付き合ってくれたって感じ笑い泣き

私達には、自然の温泉があっているよう笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

 
 
 
 
 
さて夕食の時間に ピティリアーノに戻って来ました。
 
 
 
9月初旬でも、外で食べるのにちょうど良い感じ口笛
トラットリアの前にテーブルが並べられています。
 
19時半は、まだ明るかったですが、食べる頃に陽が暮れました。
 
 
 
 
 
流石!人気があるだけに超満足のお味でございましたラブラブ
お値段もお手軽価格なのも良いのかもね。
店のオーナーに「日本人ってピティリアーノに来るの?」って
聞きましたら、(だってトスカーナには他にもっと有名な場所があるから)
コロナ前は毎週火曜日に、日本人団体グループの予約が入ってたんですって!
ツアーでトスカーナの田舎町を廻るのが人気だったみたいですが、
その中にピティリアーノも入ってたのかも。
でもピティリアーノは、有名なフレスコ画や有名な教会はありませんし、
高級ブティックなんかもないけど、確かに訪れるべき町であると思います。
一人で歩いてても、危険ゼロ!だし。
 
そして夕食後は町を再び歩きました。
昼と夜では、やはり雰囲気が変わります。
 
 
 
 
 
 
ライトアップがとても良いのですキラキラ
 
そして私が見たかったのは、この夜景。
 
 
 
 
 
 
訪れる価値ありハート
 
 
皆様にとって、良い1日でありますようにラブラブスター
 
 
 
 
 

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車でしか行けない小さな町や村にも専用車でス〜イスイ。

また企業通訳も承っております。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボンジョールノ音譜

 

 

9月に入り、過ごしやすいお天気が続いております。

が、今朝は雨そして雷ゴロゴロ雨雷

でも数時間だけでした。

水不足だから、もっと降って欲しかったおねがい

 

 

 

 

前回の続です。

 

 
 
南トスカーナ州の、20年前の面影を残す小さな村に2泊3日で
8月の末に行った話です。
 
元オルシーニ家の要塞だった宿泊先のホテルから
私たちはエトルリア人が作った「洞窟の通り」の散策に出かけました。
 
 
 
 
エトルリア人は紀元前の古代ローマ人より遥か昔に、
今回私たちが滞在したソラーノ村周辺(南トスカーナ)そしてウンブリア州、ラッツィオ州の
一部に棲息していた人種です。
 
エトルリア人の研究はなかなか進んでいないようですが、
建築技術にたけていて、それを古代ローマ人が受け継いだようです。
私たちが今回散策をした「洞窟の通り」は
エトルリア人が作ったものだ言われています。
この辺りは石灰岩が多く、この通りもエトルリア人は掘ることで
両サイドに壁が作られた状態でした。
 
 
 
 
なぜこのような通りを作る必要があったのか?
敵から身を守るためか?
雨が降った時のために、水の流れを作るためか?
それは分かっていません。
ソラーノ村の周辺には、このような通りが数キロ、
いくつもあります。
 
 
石灰岩は柔らかいので、掘りやすいんですがこの辺りの家は
現在も石灰岩の
ブロックで家を建てられているところが多いのです。
 
 
 
 
 
3キロほど歩いたところで村の反対側の丘の頂上に到着。
見えた景色は、ソラーノの村全体でした。
 
 
 
 
「洞窟の通り」というぐらいですから、数カ所洞窟もあったのです。
ですがこの通りの洞窟の写真はうまく撮れなかったので、
なしということで。。あせる
次の日に行った場所の洞窟は次回お届けします。
 
 
エトルリア人が作った洞窟には、のちに中世以降
下の写真のようなものが作られました。
 
 
 
 
ミニボックスみたいですが、
なんだと思いますか?
 
 
実は、中世以降にこういうものを作り、
人々は鳩を中で飼育していたというのです。
もちろん食用です。
 
ここでは数カ所見かけましたが、
ウンブリア州のオルヴィエートの町の下にある地下洞窟には、
下の写真のように大きなものもあります。
 
 
オルヴィエート
 
オルヴィエート
 
 
 
 
 
夫と滞在したソラーノ村の近くには、
いくつか別の村があるのですが、
車で13分ほどにあるソヴァーナSOVANAに次の日に訪れました。
 
 
 
 
 
ここはすごく小さな村で、低い丘の上にありますが
村全体はアップダウンがなく平地にいるのと変わりありませんでした。
だからお年寄りが多く見かけられました。
そして時間がまるで過ぎないような、
静かでゆったりした場所でした。
 
 
 
 
こんなにソラーノとソヴァーナが近いのに
また違う雰囲気です。
 
 
 
このあと、ここからまた車で15分ほどにある
ピティニャーノ村Pitignanoに行きました。
ソラーノ、ソヴァーナ、ピティニャーノは
それぞれの村へ車で15分ほどあれば行けるのです。
 
この3つの村では、ピティニャーノが一番大きく
イタリアでは知られた村であります。
行ってみて理由がわかりました。
 
 
私たちが今回行った南トスカーナ州のこの辺りは、
トスカーナ州の中でもおそらく超田舎とされている場所で
トスカーナの他の町や村とは、違いました。
もしかするとこの辺りはどちらかというと
ウンブリア州の田舎に似てるかもしれません。
それは一言で言うと「素朴」
 
 
他のトスカーナのシエナやサンジミニャーノもいいけど
こう言うのんびりした、昔をなつかしく感じれる村も素敵です。ラブラブ
 
 
 
それでは、皆さんにとって良い1日でありますように愛
 
 
 
通訳そして個人旅行のアテンドをしています。
車でしか行けない小さな町や村にも専用車でス〜イスイ。
また企業通訳も承っております。
 
 
 
 
 

 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

8月末から、朝夕涼しくなって

9月4日の今朝は起きて外を見たら

周りが全部霧で覆われてた笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

えーーー、なんだかいきなり冬に突入した気分汗うさぎ

2時間ほどしたら、霧は晴れましたが、

気温は今はちょうど過ごしやすいのは、有難いラブラブ

 

 

8月末、2白3日で、夫と二人

南トスカーナ州のソラーノというところに行って来ました。

夫は1週間の休暇があったので、「どこかに行きたい!」と言い出し、

初めはアブルッツォ州のグラン・サッソという山に5年ぶりに

山登りに行こうと言ってたのですが、

予約する前、今回のソラーノのホテルに目が止まり、

行きたくなったのです。

 

 

 

 

 

このホテル、12世紀に建てられたオルシーニ家の要塞の一部が

ホテルになっているのです。

 

この要塞は、ソラーノの村の一番高い位置に建てられています。

要塞の門には、オルシーニ家の紋章が。。

とても美しい紋章です。

 

 

 

 

この門を通り抜けると、お堀がありそしてまた門が。。

 

 

 

 

この要塞は、自給自足の設備、雨水を集める貯水池、水車、

さらには凝灰岩の採石場を備え、町のすべての住民を収容することができたそうです。

 

 

このホテル、Hotel della Fortezza

 

 
上のサイトの映像見て、行きたくなりました。
 
 
ホテルの窓から。 網戸越し笑い泣き
 
 
 
 
 
小さな部屋だったけど、良い雰囲気でしたラブラブ
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルの素朴な感じと部屋に魅力も感じたけど、
一番は、ホテルの入り口前のこの場所。
夕食のみレストラン。
 
 
 
安いお値段ではなかったけど、
美味しかったです。
お料理の写真、これしか撮れなかった。汗
 
 
このホテル、女性だけで運営されていて、
コックさんも女性。
全てが、まろやかな雰囲気がよかったです。
 
 
 
 
 
 
ソラーノの村はアップダウンが多い村ですが、
村の散策もまた、昔懐かしきイタリアの村を感じさせてくれます。
近年、ウンブリア州の村もそうですが、
村や町、どこも修復が進み綺麗になっているのですが、
この辺りは、私がイタリアに来た27年前の面影が残っていました。
壁がボロボロでも、それもまた魅力的。
 
 
 
 
私は、このイタリア中部の石壁やオレンジの屋根に惹かれたのです。
 
 
 
 
この上の写真を撮るのには、村周辺にある
「洞窟の通り」vie caveをトレッキングして、
村の反対の場所まで行かねばなりません。
距離にして3キロほどです。
 
 
この辺りは、エトルリア人が住んでいた洞窟や道がたくさんあるので、
そこをトレッキング目的に来る人もたくさんです。
私たちも、汗だくになりながら歩きました。
 
 
 
 
また、この洞窟の通りに関しては次回にしたいと思います。
 
 
 
それでは、皆さんにとって良い週明けとなりますように愛
 
 
 
 
 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

 

8月15日、日本のお盆は、こちらイタリアも祝日でした。

 

 

友人が、私たちが以前から行きたい!と言っていた

トスカーナ州の聖ガルガーノ修道院に別の友人カップルも誘い

ピクニックがてら行こう!と提案してくれ

行くことになりました。

 

 

ここは、何が有名か?

「岩に突き刺さった剣」があるのです。

そして今は廃墟化してしまった修道院が、これまた魅力的!

写真を見ると、まるで十字架か?剣か?の形をしているではありませんか!

 

 

 

ここで、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーが

1983年にイタリアで製作したイタリア、ソ連合作映画「ノスタルジア」を撮った

場所としても有名です。

 

 

また、映画「王様の剣」のモデルになったアーサー王の剣ではないか?と言われている

岩に突き刺さった剣があります。

 

聖ガルガーノ修道院から少し離れた丘の上(徒歩約15)分に建つ

モンテシエーピ礼拝堂の中にあります。(下の写真)

 

 

 

 

 

この日行くまで、何度かこの建物や岩に突き刺さった剣を

ネットで見ていたのですが、実際行って見ると

モンテシエーピ礼拝堂が想像していたより大きかったこと、

また岩に突き刺さった剣が想像していたより

小さかったこと、小刀(脇差)だったことに

ものは実際に見て見ないと分からないものだな〜と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この刀がある場所の天井。

写真では伝わりにくいでしょうが、平ではなく器型なのです。

 

 

 

 

 

 

下の写真は側面から天井まで。

 

 

 

 

 

 

 

隣の小さな礼拝堂には、またこれが珍しいものが展示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

聖ガルガーノの両手の骨か?!と思いきや、

なんと、この剣を引き抜こうとした修道士の腕だそうです。

経緯は、3人の修道士がガルガーノを妬み、

剣を引き抜こうとした際、剣が折れ、

神の罰により1人は川で溺れ、1人は雷に打たれ死にました。

最後の1人は狼に腕を噛まれ引きずられたものの、

聖ガルガーノに助けられたと言われています。

この腕は聖ガルガーノに助けられた修道士の腕とされています。

 

 

聖ガルガーノを調べると、1148年にシエナ近郊のキュスディーノで

貴族の長男として生まれ、若い間は奔放な生活をしていたそうです。

ですが、騎士として戦いに出た後、苦悩と絶望を感じ、

大天使ミカエルのお導きにより、モンテシエーピの丘へ行きます。

そこでこの地の平和への祈りを捧げ、騎士の象徴の剣を岩に突き刺したそうです。

 

 

突き刺さったままの剣の場所に、その後現在の礼拝堂が立てられました。

 

 

 

 

モンテシエーピ礼拝堂を後にし、徒歩で聖ガルガーノ修道院の方へ向かいました。

 

入場料 1人5ユーロです。

 

 

 

 

 

屋根が完全に落ちてしまった修道院。

「美しく朽ち果てた修道院」

 

1218年から工事が始まり1288年に完成したといわれるこの修道院は

トスカーナ州で初めて建てられたゴシック建築で、高さといい平面性といい、

聖ガルガーノの功績を讃えたと感じさせる、大きな建物でした。

 

 

 

 

 

 

 

ところが、1329年に飢饉、1348年にペストの大流行、

さらにシエナをはじめ近郊のこの地も、傭兵達からの略奪被害にあったそうです。

15世紀の終わりには修道士達はシエナへ移されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、1786年には雷が落ち、鐘楼と屋根が崩落してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

1789年にはスコンサクラート(=神聖な用途に使うべき物や場所を俗事に用いること)

されたそうです。

 

 

 

 

 

見学後は、近くでピクニック!

この修道院の近くには、アグリツーリズモと小さなBARがありますが、

それ以外には本当に何もない場所なので、

もしレンタカーでここを訪問される場合は、

ちょっとした食べ物や飲み物は持参されたほうが良いように思います。

 

 

 

 

では、皆様にとって良い週末でありますように愛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

やったー!! ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

長らくまともに降っていなかった雨が、

昨日ようやく降りました。

 

 

 

 

ウンブリア州の全地域に降る雨ではなく

移動する雨。

自宅から16キロ離れているウンブリア州の州都ペルージャで働く夫から

「雨が降り出した!」と実況でご丁寧に電話がありました。

「そっちは雨降ってるかーー?!こっちは今凄いぞ」って笑い泣き笑い泣き

 

今朝は昨日の名残で涼しくなってよかったチュー

 

 

余談ですが、私は用事がなければ夫の仕事中に電話をすることはありません。

でも周りのイタリア人を見ていると、雨が降った!や、

今、何してるの? とか、どこどこでアレ見つけた!って

今話さなくても良い、どうでも良いことを

隙間時間があればマンマ(お母さん)やパートナーに

電話してるイタリア人の多いこと。

 

 

 

 

今日は「差別」について。

上の写真があんまり素敵だったので、ちょっと書きたくなりました。

 

ゲイ・プライド・ウォークの始まりは、70年代にニューヨークのゲイバーに警察が踏み込んだ事件から

だそうです。

はじめは小さかったゲイ・プライド・ウォークも今や250万人が集まるパレードと

なっています。

 

上の写真のママと息子。

ママのT -シャツには、「私の息子はBI...私は何故と尋ねない」

 

あ〜、これ分かるわ〜

私も目の前にいる人がゲイであろうが何であろうが

別に興味ない。

友人になりたいのは、ヘテロセクシャル(異性愛者)ホモセクシャルではなく

その人の人格が好きだから。

それだけです。

 

友達にならなくても、ゲイであろうが人種の違いであろうが、

それが何か?

 

 

 

 

差別は色々あります

 

ゲイ

有色人種

女性問題

学生差別

 

でも上の写真のように

ALL POWER TO THE PEOPLE

 

 

これに勝る言葉はないんじゃないでしょうか。

 
 
 
 
 
 
 
ひゃーーー、カッコいい飛び出すハート
は、置いといて、笑い泣き
 
キアヌ・リーブスはハリウッドのスターの中でも
人格者として知られていますが、彼が売れだしてしばらくした頃、
彼が男性映画監督と結婚しているという報道がありました。
 
それらの報道に対しては、否定も肯定もせずノーコメントを通し、
本人は「ここで僕が『疑惑』を否定したら、ゲイやバイセクシュアルが悪いことのようじゃないか」
と語っています。
 
 
 
 
 
5歳から日本在住、ロシア人コラムニスト、タレントであり最近はウクライナ侵攻でも
コメンテーターとして活躍している小原ブラスさん。
彼のyoutubeで、「差別と区別」の違いに関して解釈してるのを聞いて、
「なるほどな!」っと。
ほとんどの人が差別に関して、大まかには理解しているけど、
「差別と区別」の実際的なビミョーな違い、そして特にその先にある意味、
は、確かにわかっていない気がする。
それを彼が例をあげながら端的にに言語化できてるのに、関心。
 
男と女でトイレを分ける、
オレンジとレモンで陳列を分ける、 これが区別、
でも違いがあるから区別をしているだけであって平等に扱っている。
 
区別は、解消する必要のない問題
 
男にはトイレがあり、女は木の下でトイレをしてください、
と不平等に扱っているのが差別である。
 
差別は、特定の集団や個人を区別した後、特別な扱いをする
 
そして彼は言います。
「差別を差別だと認めることも大切である。
それは区別です、と言ってしまうと、先に解決がない。
でも差別と認めることで、この将来解決しなければならない問題であるという
定義になる」
 
 

小原ブラスさんのyoutube

 

 
 
 
 
 
イタリアにだって差別はありますよ。
私は海外で生活しているので、その対象になりやすい、というのはあるかも知れませんが、
私自身は差別をされた!と感じたのは「ない」といえば嘘になりますが、
あんまり無いかな〜
 
基本ベース、「差別だ差別だ」って、身構えるのも嫌だし、
「私は差別される対象かも知れない」と思って生活するのも嫌ですし。
ドン、と構えてたら良いんじゃないのって、思ってますが、
実際に弱い環境や立場にいる人たちに、ドンとしとけ!って言っても
それは傲慢かも知れませんね。
だからと言って、どんな状況であれ卑屈になるのは、一番よくないと思っています。
 
時々いるんです、凄まじい環境の中にいてても
希望を忘れていない目をしている人や尊厳がある人。
 
でも、そうですね、ある国では、
子供の時から機関銃を持たされ親を殺すように言われて育った子供たちがいます。
確かにこういう環境で育つと、「頑張れ」「希望を持て」なんて無意味な言葉なように思えます。
 
 
 
話は逸れましたが、
夫は「昔、君はよくボラれてた!」と言います。
日本人だからって、金額上げるってそれは差別ですね。
最近はボラれることはなくなりましたが。。あせる
 
 
 
まあ、この世の中生きていくには「差別」というのは
大きなテーマですね。
それを意識出来る人、出来ない人も、人類の「2種類」かも。
そう思うのは、私だけ?
 
 
 
それでは、皆様にとって良い1日でありますように愛

 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

毎日暑い日が続くイタリアあせるあせる

夏だから暑いのは当然だけど、

まともな雨がこの数ヶ月全く降っていないのは

深刻です。

 

まさしく干ばつです。

雨が少し降っても30分も降らないから

焼け石に水。。泣

1週間ほど前、北イタリアの山岳地域の一部では

突然の大雨でかなりの被害が出たところはあったようですが。。

 

 

 

 

 

今週は夫が1週間の休暇だったので(年に30日の休暇を夏の時期分けて取ってます)

先日、娘と彼氏ダヴィデを連れて南トスカーナのヴァル・ドルチャVal d'Orcia(オルチャ渓谷)

に行ってきました。

 

 

 

 

 

家からは、車で1時間半の道のり

 

 

 

 

南トスカーナの絵葉書になる場所です。

 

 

 

 

以前もこの場所に来ていますが(2年前だったか?)

目的は、自然の中にある温泉 テルメ・サン・フィリッポTerme San Filippo

(Bagni San Filippo)です。

イタリア中部はテルメがいくつかあるのですが、

家から一番近いのがココ。

 

 

 

 

水の中に含まれた石灰によって作られた石灰岩。(白い部分)

触るとセメントのように固くなっています。

 

 

 

 

今年は雨が全然降っていないから、ココに来るまで「水があるかな?」って

心配でしたが、浸かれるぐらいの水はありました。

 

 

 

 

南トスカーナ州のこの辺りは、世界的に有名な観光地なので

(ワインで有名なキアンティも近く)ココにいると

英語、フランス語、ドイツ語といろんな言語が聞こえて来ます。チュー

 

 

 

 

娘と彼氏も楽しんでいますが、イチャイチャしてるので

ここでの投稿は辞めておきましょう笑い泣き笑い泣き

 

 

彼氏ダヴィデは数ヶ月前に別れ、3ヶ月の距離をおいて

また再び寄りを戻しました笑い泣き

 

 

すごく良い子だから、寄りを戻した時は嬉しかったですねチュー

あれから3ヶ月以上は経ってますが、今の所はうまく行っているよう。

 

 

 

 

夫は低血圧だから、温泉はあまり好きではないのですが、

ここの温泉の水温は、源泉から離れると32度ぐらいじゃないかな。

だから温泉といっても、ぬるいプールに入っている肌感で

夏でも気持ちがいいのです。

 

 

で、私もリラックス音譜

 

 

 

でもね、自然の中にありますから、更衣室もなければ

シャワーもありません。

「そういうのが無ければ入れない!」という方は、

日帰り入浴できる温泉施設も近辺にあります。

 

Terme Rapolano(ネットからお借りしました)

 

 

Terme Rapolanoもトスカーナ州シエナより南にありますが、

こういう屋外屋内の日帰り入浴可能な施設が2箇所もあります。

イタリアでは日本と違って水着で入り、終わったらシャワーで体を洗う

システムなので、日本の温泉とは別物って感じです。

 

もしくは、最近はやりのスパですね。(宿泊+温泉+マッサージ)

 

 

 

サン・フィリッポでの滞在は3時間ほどで、

そのあと車で15分ほどの別の温泉地に移動しました。

 

 

3人仲良く歩いています飛び出すハート

 

 

 

タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」の撮影現場にもなった

バーニョ・ヴィニョニBagno Vignoniです。

 

 

 

下写真は温泉の源泉が湧き出ている場所で入ることはできません。

ここが映画の撮影になった場所ですが、映画の中では

水が抜かれた状態で、主人公がこの中を歩くシーン、幻想的でした。

 

 

 

 

同じ場所を、ダヴィデ(彼氏)のIphonで撮影するとこうなります。ダウン

 

色が全然違うあせるあせる

 

 

 

小さな村ですが、のんびりした雰囲気。

リラックスに最適の場所です。

ここも世界中から観光客が。。

 

 

 

 

 

ジェラート・タイム

 

 

 

 

 

そうそう、娘の彼のダヴィデは、一時別れている3ヶ月の間に

ダイエットをしスポーツジムに通ったため、

25キロも痩せたのです滝汗

 

 

久しぶりに会った彼は、痩せていてあどけない子供らしさがあった顔が、

完全に精悍な顔つきになり青年になっていました。ポーンポーン

だから再開した時、少し戸惑いました笑い泣き

もう数日で彼も娘と同じ17歳。

あのクリクリの髪も切り、いまは夫と同じ坊主に滝汗

 

 

 

 

 

 

仲良しラブラブ

 

車の中でもさ、後ろでベタベタして、さっ

私たちの年代なんて、親の前であんなにベタベタできなかったけどさっ

逆に親に内緒でコソコソ付き合ってたぐらいなのに。。

この二人なんて、好きなようにベタベタしてうちの家でもしょっちゅう

ご飯食べに来て、さっ(娘が向こうの家にも食べに行き半々ですが)

今のイタリア人の若者はだいたいこんな感じで、特別なわけではないですが。

 

羨ましくて

「あんた達、良いわねーーー」と心の中で叫ぶ私でした汗

 

 

 

 

 

今回は入らなかったけど、バーニョ・ヴィニョニBagno Vignoniの自然温泉は

こんな感じでした。ダウン

 

 

 

 

 

綺麗けど、サン・フィリッポに比べて場所は狭いかな〜

 

 

 

 

 

それでは、皆様にとって良い1日でありますようにラブラブ

 

 

 

 

 

ボンジョールノ音譜

 

 

 

 

7月の半ば、私たちがヴァカンスから帰ってから数日後

友人の娘さんの結婚式がありました。

 

 

 

娘さんの結婚式に参加????って

最初は招待状もらった時、わたしも夫も「えっ!」てなった笑い泣き笑い泣き

普通は「わ〜、嬉しい、ありがとうラブラブ」ってなるのよね。

でも結婚式に出席するのは、想定外の出費が。。あせる

まずわたしも夫もそれが脳裏に浮かんでしまったのだあせるあせるあせるグラサン

(酷いよね)

 

 

 

1日でも一番暑い時間15時半に地元の教会へ。。

気温は40度笑い泣き

 

そして教会での式(1時間半)が終わると、

まずは近くのBARで友人数人とアペリティーボ。

そのあと披露宴会場が行われるアッシジへ向かいました。

 

 

 

 

ここでお祝いの話ですが、

一昔前までイタリアではウエイディング・リストというのが

新郎新婦から送られて来るのです。

そこには、当人たちがプレゼントしてもらいたい品々(家庭用品や電化製品名など)が

リストとして書いてあって、どこのお店で購入できるかも書いてあるのです。

 

 

 

アッシジの要塞が向こうに見える素敵な場所だった

 

 

商品の金額はお店に行かないと分かりません。

で、自分のお祝いの金額と相談しながら選ぶのですが、

高額なものだった場合は、他の人と一緒に購入するとかしてね。

大体、お祝いの金額の相場は決まっていますから。。

 

まあ、これもイタリアでも地域によって風習が違うようで、

南イタリアでは、新郎新婦の新居のベットにお祝儀を現ナマで

ばら撒く!とか聞いたことあるしびっくりびっくりびっくり

披露宴が3日間続くとか(南イタリアの話)

だから私が書いてるのは、中部イタリアの話です。

 

 

 

 

 

ですが、近年そういうウエイディング・リストたるものが

人気ではないようで、招待状に口座番号が書いてあるのが多いような。。あせる

日本ではお祝いを包むな習わしがあるので、渡し方の違いだけで要は同じことなのですが爆笑

最初、口座番号が書いてある招待状を受け取ったイタリア人たちは、

これまでの習わしが壊されたことに不満を言っているのを

何度も耳にしたことがあります。

 

 

まずはアペリティーボと前菜がずらりと並んだブッフェ

このブッフェ、庭の上段下段と2箇所ありました。

皆んな、我先にと群がります笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

まあ、お祝い事ですから、形ではなく、当人たちに一番最良のプレゼントをするのが一番ですからね。

今回の新郎新婦は、すでに一緒に住んでいて家も数年前に購入。

そして小さな娘さんも2人いるので。

だから日用品は全てすでにあるので、お祝いは送金スタイル。

イタリアでは、結婚を彼らのように後にするスタイル増えてきているような。。

一緒に住んで子供居てるけど、結婚しない人たちも多いしね。

 

 

アペリティーボと前菜を食べ終えたあたりで、写真撮影を終えた新郎新婦が

子供さんと入ってきました。

 

 

それにしてもロケーションは最高!

そして今の所お料理(前菜も種類が豊富)も全て美味しいラブラブ

でもあまりにも美味しそうな品々がありすぎて、

ついつい食べすぎてしまう。。あせる

この後は室内で席に着いて、パスタやお肉料理が出て来るのに。。

 

 

 

 

 

新婦は双子さんなのです。(もう一人の姉妹もすでにパートナーがいて、子供二人いてる)

最近でこそ、顔の見分けがつくようになったけど、

長年、片方に会っても、イレーネなのかエレナなのかわからなかった笑い泣き笑い泣き

真ん中は彼女たちの母方のおばさん。

 

彼女たちのマンマ(ママ)は5年前に亡くなって、それもあったから

結婚式が今になったというのはあるのかな〜。

 

 

室内に入る前、夕暮れが美しい

しかしもう前菜だけですでにお腹8分目の私。 控えめには食べてるつもりでしたがあせる

 

 

ブッフェのお料理の写真撮りたかったけど、夫に「やめろ!」と怒られ、

お料理以外をコソコソ撮影する私。。

 

 

 

 

上は、私たちのテーブル。

左端が新婦のパパ。私たちの友人です。

(皆んないいおっさん達笑い泣き笑い泣き笑い泣き 私、おばちゃん笑い泣き笑い泣き映ってませんが)

 

出席前は、友人の娘の結婚式だし、どんな感じなんだろうって、

ちょっと心配してたけど、120人ぐらいの招待客でしたが、

和やかな雰囲気で良かった。。

 

 

 

 

新婦とパパ

 

 

 

マンマ(ママ)にいて欲しかっただろうな〜と思うと、

かなり感慨深かった。。

でも披露宴パーティの間は、皆んなそんなしんみりした雰囲気がなく

新郎新婦もパパも、そして新婦の双子の姉妹なんて

場を盛り上げるのに、すっごく活躍してたのが、

また良かったラブラブ

 

 

室内に席に着いてパチリカメラ

 

 

 

ここからパスタ2種類、そしてお肉料理の始まりです。

 

 

 

コソコソと素早く写真撮ったったあせる笑い泣き

 

 

 

 

どれもめちゃくちゃ美味しかった音譜

でも流石に、トリュフのパスタ半分とお肉半分は

友達に食べてもらったあせる

 

室内に入ってから、食べてる間

新婦の姉妹が彼女のテーブルの友人達と歌って

大いに盛り上げてくれてました。

それが、みんなで歌える歌ばかりで、なんと楽しいことかびっくりマーク

日本のように司会者がいるわけでもなく、歌う人が前に出て歌うわけでもなく

みんな自分の位置から勝手に歌い出したりのどんちゃん騒ぎ。

でもこれが下品ではなく、場を盛り上げる丁度良さ。

 

イタリアらしさが出てた口笛

それにみんな楽しそう音譜

 

 

最後は、また再び庭に出て、今度はデザートのビュッフェです。

アー、もうお腹いっぱい過ぎる〜  ゲロー

お庭では生演奏、そして踊れる音楽満載で、

みんな飲んで踊って楽しそうでした。

 

私は見てるだけで楽しかったラブラブ

新婦のパパ(友人)がなんとも楽しそうで

幸せそうで。。

それが何より嬉しかった結婚式でした。

 

 

友人である新婦のパパに

「しかし、あなたの娘達二人とも、本当に安定してて良い旦那さん見つける事できて、

これほど親として安心できて幸せな事ないね」って言ったら、

彼も「本当に、やっぱりYUKOもそう思う?!」って嬉しそうで、

みんなが彼女達の旦那さんが素晴らしい素敵だって、

口を揃えてた。。

みんな感じることは同じなんだなーって思いました。

 

 

 

「あ〜、幸せでこんな楽しい結婚式に参加できて良かったラブラブ

って、最後新郎新婦に言ったら、

「みんなに楽しんでもらえる結婚式にしたかった」って。

 

 

あ〜、本当に楽しかった 愛

 

 

 

それでは、今日はこれで。

皆様にとって、良い1週間の始まりでありますように飛び出すハート