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やっと公園には落ち葉がいっぱいになって、
木々は色づき始めて、冷たい風がつんとするようになった。
いつから公園には沢山の落ち葉があっただろう?
いつも歩いているのに気付かない、なんてことだ。


数日前に、私のピアスのバックピンが洗面台で
引っ掛かって、どこかに飛んでしまった。
あんな小さなもの、見つかるわけがないと思って諦めたら、
どういうわけか目の前の洗面台に置いたようにあった。
私はツイている。だから、数日間はツイているに違いない。

この理論を落ち葉いっぱい事件(?)に適用すると(??)
一晩のうちに、公園を落ち葉でいっぱいにして、
実は、私を驚かそうとしたに違いない。
誰、とまでは云わないが、そうに違いないと思う。
ということは・・・気付かなかったわけではなくて、なかったんだ。
最初から。前日には。・・・なるほどなぁー。通りでねぇー。




さて。物事というのは、悪い方に考えようと思ったら、いくらでも出来る。
悪い方に考えたら、私は忙しさのあまりに落ち葉に構う余裕すらなかった、
みたいな、現代人によくありがちな過労に襲われていることになる。
しかし、実は私を驚かそうとして・・・!?という、現実の想定を遥かに超えて、
答えを突き詰めていくと、至ってシンプルなファンタジーになるのだ。

つまり。自分が思うより、物事というのは勝手に進み、勝手に決まり、
勝手な道理を押し付けていると思いがちなのだが、実際には、
きちんと過程というものを踏んで、今に至っていることは確かなのだ。
ただ、そこに自分がどれだけ関わっているのか、あるいはどれだけ
それに注視していたかは、自分では実によく分かっていない。

分かったつもりが分かってないことなど、腐るほどあるということを
忘れてしまうと、思い返したときに勝手に赤面することになる。
ということで、ファンタジーはそこら辺に転がっている現実を受け止めるとする。
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灰谷健次郎の『兎の眼』を読んでいると、
何度も何度も途中で、どうしようもなくブログを書きたくなった。
何を伝えられるのかも分からないまま、ただ、伝えたくなった。
顔も知らない、話もした事のないあなたに。

読み終わった今でさえ、何を伝えたら良いのか分からない。
漠然と、灰谷健次郎に会いたかった、と思う。
この気持ちをとうとうと話して、聞いてもらいたかった。

私は、私の眼には、何が映されているのだろうか。
例え、同じものを見えていたとしても、心に映るものはきっと違う。
紡ぎだされた活字の世界なのに、私は泣いて、笑って仕方がない。



『そんなとおとい美しいものを、あんたは、
 はじめから決まっておることでしてと、
 あんた自身なんの苦しみもないことばで、
 かんたんにひきさいてしまおうとされている。』

これは、バクじいさんの言葉である。
私自身、章題にもある『ぼくは心がずんとした』気持ちになった。
バクじいさんは、ただのじいさんだ。
心に傷を負って、たくさんの痛みを伴った人生を生きてきた、
ただのじいさんだ。
けれども、私たちのじいさんはみんなそうじゃないだろうか。

ふと、私たちは沢山いるバクじいさんたちの言葉を
きちんと聞いているだろうか、と不安になった。



立派な人になる、というのは、
立派な人生を生きてきたこととは関係ない。
何を経験し、何を思い、どう感じるか。
そして、これからをどう生きていくのか。

傷つかないことが強さの証ではないように、
立派な人生は立派な人である証にはならない。
だとしたら、どんな人間にも、
誰にも負けない立派な人になるチャンスはある。


私には、あなたに云えることが見つからない。
何を云ったらいいのか、分からない。
もし、私の心をそっくり貸せるのなら貸してあげたい。
読んだときの、この気持ちを味わってもらいたい。
そして、一緒に泣いて欲しい。
言葉にならない今の気持ちに、どうか重なって欲しい。
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とにかく、私は29歳になった。具合の悪いまま。
去年も誕生日は体調が悪かった。一昨年は、土砂降りだった。
その前は・・・・台風が直撃した。

年に一度の私のイベントだ。間違うわけもない。
たまには、万事快調な誕生日を迎えてみたいものだ。

人生の殆どが、万事快調ではない日々なのに。
むしろ、無事に終わった日はホッとして帰ったりする。
良い事があったりすれば、有頂天になる。
それは、日常の大体が素晴らしい日々とまではいかないからだ。

人生の殆どが、万事快調ってわけじゃなくていい。
だけど、自分って奴は少しでも、ちょっとでも才能があって、
いや、才能とまではいかなくても、人よりは飛び出た特技があって、
これだけはひょっとしたら、もしかして、上手くいっちゃうんじゃない?みたいな
希望的観測を自分に見出したりしたい。

そして、その希望的観測に歩き出して、
たまには脇見しても、すべからく順調で、夢を見て、
途中で誰かと話し込んでいても、やっぱり自分の光る星だけは変わらないのに、
いつのまにか、それが星じゃなくて誰もが知っている月だったりして。

誰だって、自分は無理なんだって言いたくない。
自分の中で自信のあったものが、実は勘違いでしたって、
認めるのは勇気がいる。
私より、あなたの方が能力があります、というのは辛い。
でも、いつまでも月じゃないふりをしたって、
自分には星が見えているって言い続けたって、
なんにも変わったりはしないし、希望は膨らんだりしない。


私だって、自分はダメな人間なんだって思いたくない。
夢や希望が適えられないかもしれない、と知ったとき、
簡単には認められないかもしれないけれど。


私の人生が続いてくれるのなら、
思い切り悪あがきしたから、
ダメだ、という現実を受け止めるのも悪くない。