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灰谷健次郎の『兎の眼』を読んでいると、
何度も何度も途中で、どうしようもなくブログを書きたくなった。
何を伝えられるのかも分からないまま、ただ、伝えたくなった。
顔も知らない、話もした事のないあなたに。

読み終わった今でさえ、何を伝えたら良いのか分からない。
漠然と、灰谷健次郎に会いたかった、と思う。
この気持ちをとうとうと話して、聞いてもらいたかった。

私は、私の眼には、何が映されているのだろうか。
例え、同じものを見えていたとしても、心に映るものはきっと違う。
紡ぎだされた活字の世界なのに、私は泣いて、笑って仕方がない。



『そんなとおとい美しいものを、あんたは、
 はじめから決まっておることでしてと、
 あんた自身なんの苦しみもないことばで、
 かんたんにひきさいてしまおうとされている。』

これは、バクじいさんの言葉である。
私自身、章題にもある『ぼくは心がずんとした』気持ちになった。
バクじいさんは、ただのじいさんだ。
心に傷を負って、たくさんの痛みを伴った人生を生きてきた、
ただのじいさんだ。
けれども、私たちのじいさんはみんなそうじゃないだろうか。

ふと、私たちは沢山いるバクじいさんたちの言葉を
きちんと聞いているだろうか、と不安になった。



立派な人になる、というのは、
立派な人生を生きてきたこととは関係ない。
何を経験し、何を思い、どう感じるか。
そして、これからをどう生きていくのか。

傷つかないことが強さの証ではないように、
立派な人生は立派な人である証にはならない。
だとしたら、どんな人間にも、
誰にも負けない立派な人になるチャンスはある。


私には、あなたに云えることが見つからない。
何を云ったらいいのか、分からない。
もし、私の心をそっくり貸せるのなら貸してあげたい。
読んだときの、この気持ちを味わってもらいたい。
そして、一緒に泣いて欲しい。
言葉にならない今の気持ちに、どうか重なって欲しい。