むだい
自分で作った焼きうどんがおいしくて心底安心した。
いや、全然おいしくはないのだけれど
というか、とてつもなくなんてことないのだけれど
私はこれを食べたくて今日を生きてきたのだと思った
ひとりで、これを食べたくて、今日を。
何もかもが、自分からは遠い
この親指の痛みのように
遠くて、どうでもいいことだ
自分の身体だけだ
匂い 髪の毛 ことば ことば、ことば
他人の秩序や
そうしたものは
すべて、遠くて、どうでもいいことだ
うしないたい
うしないたい
うしないたくない
うしなってしまいたい
うしなってしまいたい
うしなって
うしないたくない。
ばかげている、と10年後の私もきっと言う
知ってる
通り過ぎてく色々と
誰一人として
誰かのことばになど耳を傾けないということと
自分恥じて地下に手と足を束縛させて
何もかもを知らないと認めよ
認めよ
ばかげた場所で恍惚を得ているような低俗な人間は
うしなってもかまわない
かまわない
いや、全然おいしくはないのだけれど
というか、とてつもなくなんてことないのだけれど
私はこれを食べたくて今日を生きてきたのだと思った
ひとりで、これを食べたくて、今日を。
何もかもが、自分からは遠い
この親指の痛みのように
遠くて、どうでもいいことだ
自分の身体だけだ
匂い 髪の毛 ことば ことば、ことば
他人の秩序や
そうしたものは
すべて、遠くて、どうでもいいことだ
うしないたい
うしないたい
うしないたくない
うしなってしまいたい
うしなってしまいたい
うしなって
うしないたくない。
ばかげている、と10年後の私もきっと言う
知ってる
通り過ぎてく色々と
誰一人として
誰かのことばになど耳を傾けないということと
自分恥じて地下に手と足を束縛させて
何もかもを知らないと認めよ
認めよ
ばかげた場所で恍惚を得ているような低俗な人間は
うしなってもかまわない
かまわない
かんたんに響いてなんかたまるもんか
改題した。
∞
今日は、とても幸せな日だった。
∞
神保町の「マンダラ」でカレーを食べた。
http://westindia-group.com/mandala/
インドカレー屋さんだけど、従業員は日本人だった。逆に珍しい。
チキンカレーとナンとライスのセットを食べた。
大辛にしてください、と言ったら店員さんが「辛いですよ」と脅すので期待したところ、全然辛くなかった。
彼がバターマサラシュリンプ(一番人気らしい)を頼んだので味見したところ、こっちの方がピリピリして好みであった。
一口、一口、と言いながら割ともらった。
おいしかった。
∞
国立近代美術館でジャクソンポロック展を見た。
大学の頃、授業でポロックの「秋のリズム」を見たときに教授が
「これは、タイトルに秋とあるけれど秋を描いているわけではない。これは葉の色ではないし、木の抽象でもない。」と言っていた。
そのことが、わかるようでわからなかった。
それで、今回のポロック展である。
初期から晩年まで、ポロックの人生と作品を時系列に並べた配置の中に、抽象に至る何がしかのきっかけがあるだろう、と思って見ていた。
ポロックははじめ、ネイティブアメリカンの具象やピカソに影響されたらしい。
たとえばこの「誕生」など。
顔(仮面?)のような具象と、構成。
黒い輪郭と色づけによって、却って輪郭が融合されてしまうという不思議。
他の絵の中にも両性具有の図などがあり、明示すること(=描くこと)によって逆に融合されてしまうもの、を描こうとしたひとなのかな、と思ってみていた。
しかし、でも、うん、しかし、ね
ポーリング(流動性のある塗料を流し描く技法)という技法を使い始めてからのポロックの絵は、そんな風に頭で何らかの概念に押し込められるようなものではなかった。
よくわからない。
というか、わかるわけがない。
それはただただ、線であり、色であり、実際的な質量である。
その線は、旋律のようである。詩のようである。
彼の身体の動き。生命のリズム。
様々な年代の人々が真面目な顔で彼の絵を見ていた。
私は、やっぱり、わからなかった。
彼のリズムも、その質量(概念的な)も、その絶対性も。
ここにいるどれだけのひとが、それを、(何十分の一でも)感じられるのだろう。
これは逆にアカデミズムなのではないか?
美術館という、静謐な意義のありそうな広い場所に掲げられて
その、ただひとりのものであるところの精神は。
それは、多くのひとにありがたがられる性質のものなのか?
それは、明確なメッセージを持つコンセプチュアルアートとは違う。
わからない、わかるわけがない。と思って見ていたらいつの間にか展示が終わってしまっていた。
それは、温度で、質量でしかないのだ。
伝わる部分はそれ。
それでしかできない、という表現。詩と同じなのだ。
具象が抽象表現になる、なんて次元じゃないのだよな
そう、詩と同じくして。
∞
同時開催していた、原弘のデザイン展も見た。
近代美術館のポスターを長らく担当していたらしく、それはまた、美術館の展覧会の歴史でもあるのであった。
こちらはポロックと逆で、具象を、伝わる地点まで抽象化する作業。
ロシア・アヴァンギャルドの作家たちに似ている。ロトチェンコとか。
(ロシア・アヴァンギャルドの中でも、シュプレマティスムを確立したマレーヴィチの目指したものは、ポロックと同じく詩の次元であると私は勝手に思っている)
∞
帰ってきてともだちと流行のスペインバルで飲んだ。
あっという間に満席になって、あっという間に回転していた。
ワインボトル一本分の時間。
∞
夜道、
それから歩道橋
わたしはひとりで、さよならの歌をうたいながら
まだ存在していないこれからのことを考えていた
それがあまりにきらきらとしていて そうして現実離れしていて
(今、だって、あのころ、からしたらとてもきらきらと現実離れしているのだから)
このまま長く続く、糸のように線のようにポロックの絵の具のように
歩きながらわたしがいつでも この家を目指すように。