ろくじょうのおとしあな -13ページ目

物語



血液が発生するまでには少々の時間がある
かすれた痛みの そののち
音もなく温度もなく液体が溢れ出すまで
そこには一瞬の静寂がある
乾いて極めて平面的で
斜線の切り口のみがそこには、



物語の彼らはどこにいってしまうのだろう
わたしが見てきた、何千もの何百もの、彼らは
何かを目指して旅に出た彼らは
その本当の結末は





---




「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」を見た
破壊しなければならないひとは、何かを与えられなければいけないひとだ
海の向こう側
歩き続ける彼ら
立ち上がる彼女





物語の彼らはどこにいってしまうのだろう
その、本当の結末は








---



カヨちゃんはどこへいくのだろう
彼女はひとりで
見果てぬ土地の風に吹かれて




---









彼らはどこにもいかないのだ
彼らはどこにもいけないのだ
本当の結末などはない
彼らはそこで立ち尽くしている
わたしたちの想像力
テーマでも象徴でもなんでもない
物語の終わりはすべてのおしまいである






---






血液が発生するまでの、その少々の静寂
(永遠のような静寂)
見果てぬ土地で立ち尽くすのは、わたしたちだ
わたしだ
すべてのおしまいの凍結
乾いて、極めて平面的で
見果てぬ土地で立ち尽くすのは、いつでもわたしたちだ





ただの、ひとりごとです

なんだかね、ものすごくあーあな気持ちになっております
とても大きな後悔です
概念化できないものがある

コミュニティとか、ひととひととのつながりって、生き物なんだと思う。



昨日、ひさしぶりに卒業サークルのライブに出ました。
本当は卒業のときに出るはずだったのだけど震災の影響で延期になっていたのです
だいすきなバンド、クラムボンを、
ひどく安心できるメンバーと演奏できて
ライブ自体とてもたのしかった
たぶん、自分の中でサークル生活の中でいちばんいいライブができた
ずっとピアノやってたこととかいろんな音楽きいたこととかやっぱり音楽はむずかしいっておもったこととかそういうのぜんぶひっくるめて、とてもいいライブができた。これからに続いていかない類の、最後にふさわしいライブができた、気がして
そして私は仕事のために帰ったのだけれど
その後の写真を見たら、ただ何枚かの写真だけど
饒舌にかつてのサークルの様だった
ただ大笑いしながらそこにいることが許されたあのころの
ただあのころのサークルの様だった
誰もおかしな努力も気遣いもしなくても自然にたのしかったあのころの


もうそんなものとっくになくなっていたのだと思っていた
亡くなっていた、って変換されてしまったけれどそれでも正しいくらいの
でもあった
たぶん、だれもそれを再現しようとか努力しようとしていない
でもできた
それってすごいな
ひとが集まるだけで、やっぱりその円は復活するものなんだな










なんでだろう
キーボードを打つ指が追いつかないほど
本当はこのこと、きれいな文章にしてBCCKSのほうに書こうと思っていたのに
半分のサービス精神(それは冷静な思考)と半分の義務感で
義務感ってふしぎ、なにそれ
私が書かなくたって何も不具合は起こさないというのに
だってお金発生してないしね
精神のあれやこれやは結局代替品でなんとかなるというもの
それでも表現がなんやかんやの感情を伴って氾濫するのは、言わずもがな、それを書く人がそうあらざるを得ないから
とてもとても、公開なんてできるほどの文章ではないけれど
サークルのひとたちにも、見せられるようなものではないけれど
でもこれこそが言葉だし何らかの発露なんだろう
だから私は書きつづけるし
それが不要ならば書くのをやめることだって簡単にできる
それが、表現と共に生きるということなのでしょう。

おしらせ~




bccksのシステムがリニューアルするらしく、
それにあたって今までひっそりとつけてきた写真日記のURLが変わるので以下に貼っておきます。

「ふるえろ」 これだよ↓
http://alpha.bccks.jp/#B39837,P0



本当にひっそりとですがちょいちょい更新しているので良かったら。
ちゃんと写真も撮っております。