モロヘイヤとミズ  | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

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旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

モロヘイヤ。

 

 

(売られているものなら)茎の部分も食べられるとの

 

お墨付きを頂いてからは、

 

茎の部分も葉と一緒に食べています。

 

 

 

 

 

とはいっても、根元に近い方(下の部分)はやはり硬いので、

 

(そのために過去には茎を食べないでいたのです。)

 

葉に近い上のほうだけを。

 

 

 

売られているもので言ったら、

 

茎全体の3分の1くらいでしょうか?

 

葉と一緒に茹でて食べます。

 

 

 

 

 

 

(でも、” 家庭菜園で育てた場合は茎の部分には毒性のある場合もあるので

 

 食べないほうがよいのだ ” と言うことも合わせて知りました。)

 

 

 

 

 

そういう中で

 

茹でる前の茎と葉を分ける作業をしていて、

 

茎の所々に見える赤い点が急に気になるようになりました。

 

 

 

 

 

なんとなくこの赤い点があるところが、

 

「体にいい」と言われることと関係があるような気はしていたのだけど、

 

今年はちがいます。

 

 

 

「ミズに似ている!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ぬめりがあり精のつくものを

 

私はことさら美味しいと思うところがあり、

 

モロヘイヤとならびやはり大好きなミズ。

 

 

けれど、育つ姿は青森で散策中に見たっきりの

 

ミズ。

 

 

 

 

 

 

 

色は蕗に似た翡翠のような色で淡い。

 

(さらにこちらは「点」以外にも赤い部分があったりなど)

 

そういうところはモロヘイヤとはちがうけれど、

 

 

 

ぬめりと、

 

そうして自分のみずみずしさを

 

極限まで保とうとしているかと思われるようところが

 

(もしかしたらシダのように子孫の増やし方に知恵を絞った結果かな?)

 

 

モロヘイヤと似ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(前の日、梅雨空の下でベランダの多肉に花が咲きました。)

 

 

 

 

 

 

 

「緑と赤の組み合わせは、

 

 セクシャルなイメージを生むのだ。」

 

 

 

 

これを私は人にも何度か話してきて、

 

それは昔、何かで読んだのかとずっと思ってのですが、

 

この話をしながらいつも引き合いに出していた

 

北原白秋の好きだった短歌の正しい全文を

 

検索していて、ハッと思い出した。

 

 

そうだ、高校時代の国語の授業で聞いたのだった!

 

 

(こちらの水の蓄えは身体の表面ではなく、葉の内部。

 それは自分自身の命を守るためのものかな。

 

 雨、水、の少ない場所で自分の持つ水だけでじーっと耐えて、

 水に余裕のできたこの時期に花を咲かせてこうして生殖

 するけれど、

 

 とくに乾いた環境で媒介する動物も少ない

 受粉で種を作って子孫を残すことが難しい場所で育ち、

 自分の身体の一部がぽとりと土の上に落ちただけでも、

 そこから根が出て株を増やすことができるから

 花も控えめ。そんなに必死ではない様子です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり」

 

 

 

 

この文の先生の解説の中で、

 

緑と赤の組み合わせの生む

 

先に出たイメージについて知り、

 

 

 

「そうか!だから私はこの短歌を読んでドキドキしているんだ!」

 

と知った10代。

 

 

私は本当に様々な色が好きだけど、

 

私が赤や赤に近いピンク色を見た時の心の上がり方は

 

この時に始まったような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(その授業ではこのほかにも初めて知ったことがまた別にあり、

 

 そちらがまた私にとってはかなり衝撃的で印象的だったので、

 

 こちらのエピソードの記憶がすこし希薄になっていました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

なんにせよ、

 

「カラダにいい。」と言われることの多いモロヘイヤ。

 

 

 

茹でてこうしてつゆの中に沈んだのを目で見ても、

 

わずかにあるはずの赤い斑点は確認できないけれど

 

「命が生まれる」・・・その源になるような強いエネルギーを

 

この植物が持っていそうな気配が

 

また強く強くしてきたよ。

 

 

 

 

 

 

そういうところへ、さらにこの日の朝ごはんは、

 

 

こんな風に・・・・

 

モロヘイヤと納豆と、生の玉ねぎの

 

「ねべねば」と「五葷」で精のつきそうな組み合わせに、

 

 

 

 

さらにかつお節の出汁です。

 

(いや、かつお節も入ったままのつゆで)

 

動物性。元気が出ちゃう。

 

 

 

 

 

そんなこんなだけど、

 

これでは熱すぎる?

 

 

それを「鎮めよう」とでも思ったのか

 

冷たいお蕎麦で・・・精はつくけれど

 

程よく美味しく食べました。

 

 

 

 

(身体を温めたい冬にも蕎麦・・・。カッカとしたくない

 ・・・夏にも蕎麦。いろんな見方があっていいと思っています。

 それぞれの状況に合った見方をしていいのだと思っています。)

 

 

 

 

程よく・・と言えば

 

昼から夜まで・・・半日お客さんが来ていた日、

 

7月1日のお昼ご飯も蕎麦でしたよ。

 

 

 

 

 

くるみ蕎麦。

 

 

こちらは去年朝ごはんに食べた時の記事を読んで思い出し、

 

直前にくるみをグリルで焼くことで

 

私の精一杯のオージャスを注ぎこんで、

 

つゆと一緒にミキサーにかける。

 

(この時は精進出汁のつゆです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば

 

青森では民宿のおじさんが、

 

ミズをとりに連れて行ってくれて、

 

ほかの部分でも、

 

若い(!・・・おじさんに比べれば!・・・)2人に元気をくれようと

 

しているのを感じました。

 

 

 

(口数は多くはないのだけど、その少ない言葉の端々にも感じましたし、

 

 テーブルいっぱいにたくさん並べられた食べ物や

 

 お土産にもたせてくれたミズ。駅に迎えに来てくれてすぐに次々と

 

 車で回ってくれた撮影スポット。おもてなしの気持ちがすごかった。

 

 

 おじさんの決して大きくはないその体には

 

 海からの「塩」と「ミズ」、その土地で培ったものが

 

 エネルギーとなってたくさんめぐっているのが透けて見えるようで、

 

 本人には自覚はないのだろうけど、そのエネルギーが

 

 他の土地から来たお客さんに対しても溢れ出す・・・。

 

 そういうような人だったなあ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の方は、

 

その日のお昼ご飯は

 

いつも家にある材料で簡単に作って食べられるのに

 

しっかり精のつくから・・・とお気に入りの

 

くるみの蕎麦・・・だけでしたが、

 

トマトをのせます。

 

きゅうりも。

 

 

(そして紫蘇はこの夏はベランダでたくさん育っていますから、

 

 それももちろんだけど!

 

 それがあるから・・・のメニューでもあったけれど。)

 

 

 

 

 

 

これらはたしかに身体を冷やすものではあるけれど、

 

目から入る色のエネルギー。

 

 

たとえもう若くなくっても、

 

見ているとドキドキ・・・

 

芯のほうがぽっぽとすることに、

 

変わりはないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多肉は小さなポットひとつから

 

長くかかって増やしました。

 

これからも空いたポットが出るたびに

 

すこしずつ増やし続けてしまうのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

私たちはこの夏、

 

溢れ出るほうでなくては。今回も長く。

 

 

そのために

 

細くても長く踏ん張れる力を

 

まずは自分の足元を固めるような形で

 

より多く養っておきたいです。