バナナ | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

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旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

しんしんと降る中で目が覚めました。

 

 

 

「どうりで寒いと思った。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は

 

 

バレンタインの前に作って食べた

 
ココアとスパイスの入ったケーキ

 

を解凍して食べました。

 

 

 

 

けれど写真のほうは、

 

いとこの結婚式の引き出物のお皿を使った

 

12月16日の朝ごはんのものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

共通点は 『 黒くなったバナナに動かされて 』

 

 

 

 

 

 

 

 

この前夜、12月15日。

 

この日までにスワッグ

 

3つとも壁にピタリとそわせることを終えました。

 

 

(壁に近いところから棒を吊るしせるように工夫して、

 

 そこからさらに3つを吊るす。小さなことだけどひとりで

 

 作業するのがちょっと厄介でした。)

 

 

 

 

こうすると15〜6年前に、

 

いただいた花のドライフラワーを毎月作っていって

 

もっともっとたくさん吊るしていたことを思い出すけれど、

 

 

ドライフラワーは「永遠」ではなく風化してしまうもの。

 

 

そのうちまた今この花のあるあたりの景色も整え直す必要があるのは、

 

もう決まっていることです。

 

 

 

 

 

掃除と一緒。

 

くりかえしくりかえし。

 

 

 

 

 

 

 

 

               (玄関のドアはレモンイエロー。)

 

 

 

 

 

 

たとえば、

 

引っ越してきてからなんとなく

 

部屋の中が以前よりは洋風に傾いて、

 

ヨーロッパ風にクリスマスや冬の飾りが

 

春、本当に暖かくなるまで残るのも楽しいだろうとどこかで

 

思うようになってきたけれど、

 

 

 

玄関のこの小さなクリスマスの飾りに関しては

 

春までこのままにしておくこと、

 

 

今年はやめておきました。

 

 

 

 

この棚の掃除は

 

おおよそ1週間に1度。

 

その時にすこしだけプラスしてベランダからハーブなどをすこし

 

切ってきてここに飾れるようにしたい。

 

 

それが昨年増えたこのスペースに関しての「願い」で、

 

私の「仕事」ですが、なかなか。

 

 

(その手始めに一度さっぱり寂しい風に、

 

   片付けることにしちゃったのでした。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下の天井のほうの「クリスマス」は、

 

クマのぬいぐるみだけは片付けて

 

まだそのまま残しているのだけど、

 

やはりこちらももうすこしずつ

 

『春』にちかづけたい気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて12月のこの時は

 

前述のバナナのほうが気になります。

 

それで翌朝のごはん用に。

 

 

 

     

       (バナナ。形あるままでも溶け込んでも美味しい。)

 

 

この日はお皿も、

 

こうして一緒に並べて眠りにつきました。

 

 

私の選んで買ったものではないけれど、

 

このお皿にはなぜかずっしりと重みを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かわってこちらは、

 

私が自分で必要として選んだもの。

 

 

このキラキラは、

 

クリスマスシーズンだけではなく1年中このままです。

 

 

 

 

 

副作用、というのか、後遺症というのか、

 

気になる部分が身体に残る私にとって、

 

 

この「変わらない」キラキラ(電球とともに LED)は

 

単純に、気取らず、わかりやすく心をほぐしてくれるので

 

そういう力ももちろん借りて生活します。

 

 

 

               (ベランダの花といただいた花)

 

 

 

人の手や気持ちが込められた「経験」のある物も、

 

私の思いがすべてかなったわけではない物も、

 

本来の使い方とはちがった形で生き続けることになった物も、

 

 

集まるにまかせた場所(家)。

 

 

 

 

 

 

人の歴史や想いを引き受けての存在のためか、

 

より集まると美しくても

 

想像以上に濃く暗い影を作ることもあるような。

 

 

 

 

 

だから、

 

 

キラキラを家中あちこちに配して明るさを足してみたり、

 

 

その黒い色がこの場所に欲しくて置いた

 

チンキを入れたワインの瓶を10cmずらして置き直してみたり、

 

 

 

(この角度からはわからないけれど)

 

部屋に入って来たときに、

 

壁から離れすぎているとその先のお気に入りのながめを

 

妨げてしまうスワッグの位置を調整したり、

 

 

 

そういう役割を果たす私の日々が大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(人に対してと同じように)

 

物に対して、厳密な好みがあるようで、

 

そんなことはないのですよ。

 

ここぞという時以外は、

 

相手にまかせるのが楽しく、

 

自然に任せるのが嬉しく。

 

 

 

(生まれた時の状態でいられることが幸せな形なのだそう。

 

 本来の私は、可塑性で言ったら一番のカパ【水】が強く、 

 

 ピッタ【火】がすこし影響した

 

 生まれのように思います。)

 

 

 

    (さまたげられたくなかった、ゆずれなかったもの達。)

 

 

 

 

ただ、

 

ある頃から少々行き過ぎていることはいなめないので、

 

今は、元の、生まれた頃の本来の自分の姿くらいにまでは、

 

戻ろう。

 

 

 

(多すぎ【水】の流れが、わずかな炎をも消し、その勢いで

 

 本来は持っていなかった【風】を起こしてしまうのだったら残念。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バナナの熟れ具合に、生活を左右され、

 

急かされるくらいは大事に楽しもうと思うけれど、

 

 

その中でも今はもう

 

「明日自分がどういうふうになってもいいように。」

 

ということを私は

 

人の何倍か心がけるようにして暮らすことに決めました。

 

 

「あと何年」かは誰にもわからないから、

 

せめて心の中でだけでも縦横無尽に動きまわり

 

その時々形を変えて幸せを、しなやかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、味噌の仕込みを終えてから行った

 

近くのお風呂は楽しかった。

 

昼前に行って、

 

1度目のお風呂から上がってビールをのみました。

 

 

ふと座敷から立ち上がる時に

 

畳に手をついたままで立ち上がったら、

 

さっきまでカラオケを歌っていたおじいちゃんに、

 

「柔らかいねー!」とびっくりされました。

 

 

(身体の大きい人のほうも、

 

 「金曜日が安いからまたその日においで。」

 

 と言われていたな。)

 

 

 

 

また別の銭湯に行ってからのことになりそうだけど、

 

読みきれなかった漫画を読むためにも、

 

「くりかえし」と

 

ほんのすこしの「プラスα」の日々の間に

 

きっとまたあそこへ行きましょう。