ネパールはこの30年の間も決して、

平和な国とは言えなかったと思う。


1990年代頃からネパールはそれまでの

王室やラナ一族の特権階級に

反発し、マオイストが活動を活発化

してきた。そのマオイストの

リーダーが今回の暴動の原因の汚職

政治家の一人プラチャンダだ。


プラチャンダを信じて平和で、

平等なネパールの未来のために、

命を捨てたマオイスト兵士たちが、

何万人もいると聞いている。


2008年にネパールのギャネンドラ前国王が

退位してから17年。


ネパールの一般市民の生活は、

変わらず新しく編成された新政府の

政治家たちの私腹を肥やすだけの

年月だった。



「動物農場」という本がある。

1940年代にジョージ・オーウェル

という人が書いた本。


人間に支配されていた農場の

動物たちが革命を起こし、人間からの

解放のために闘い、勝利するが、

動物たちの中から再び支配者が

うまれるという話だが、

これまでのネパールとピッタリ

きてしまう。


ネパールはまた「動物農場」に

なってしまうのか。


ネパール人と家族になった私に

とって、この問題から目が離せない。







特定技能ビザで来日し、

介護福祉士の資格を取るために

日本で頑張っているネパール人の

若者たちが私の周りにたくさんいる。


彼らはネパールで日本語を勉強し、 

日本への渡航費を集め日本に

やってくる。


日本でまず、2年間アルバイトを

しながら日本語学校に通い、

その後、介護福祉士の資格を

取るために3年間学校に通う。

昼間は学校、夜は医療や介護の

施設でアルバイト。


学生の間は労働時間が制限されているので、

せいぜい月収は13万円程度。

それ以上働くと、法律違反となり、

見つかると自国へ強制送還される。


13万円と言っても、健康保険、年金、

税金引かれて手取り金額は10万円ほど。


その金額の中からネパールの家族に

仕送りをし、日本での生活を

やり繰りしている。


それでも、

「ネパールでの暮らしより

全然マシだよ。ネパールにいた時は、

大学卒業してても仕事ないし、

働いても月に5000円ぐらいしか

給料なかった。日本人は親切に

してくれるし、働いたら働いた分

ちゃんと給料くれる。ネパールは

地位やコネのある人しか、チャンスが

巡ってこないところ。もう、ネパールでの

生活は考えられないよ」


30年前、私がネパールにいた時から、

カトマンズは綺麗なホテルやレストランが

増え、少しは発展したように見える。

しかし、人々の暮らしは変わらない。








ネパールの多くの若者は、

出稼ぎに海外で暮らしている。


そんな彼らとネパールの家族や友だちを

繋いでいるのがfacebookやInstagram、

What'sup などのSNS.


それが使えなくなるというのは、

ネパールに住む人たちにとっても、

海外で暮らすネパール人にとっても

死活問題。


ネパールの若者が抗議活動を

行う気持ちは夫と遠距離恋愛を

経験した私にはよくわかる。


そんな彼らに銃を向け、20人を超える

学生服を着た若者の人生を

奪ったネパール政府には、

私や夫も憤りを感じた。


私と夫もネパールで生活して

いたなら、ネパールの警察隊に

石を投げに行っていたかもしれない。