国際結婚20年目だよ -19ページ目
ホームスティ先の子どもたちに、
私が留守の間に部屋に入ら
れることをどうしても
許せなかった私は、
子どもたちの母親である、
家主の奥さんに→私よりお若い
「私の部屋には壊れたら困るものも
あるから、子どもたちが勝手に出入り
できないよう鍵をかけさせて
欲しいんだけど。」
そうお願いすると、
家主の奥さんは、少し
戸惑っていたが、ヒンドゥー教
家族の妻らしく、
「主人に相談するわね」
と、私の部屋の鍵の施錠の決定を
家主である子どもたちの父親に
委ねた。
その後、めでたく私の部屋は鍵が
かかるようになったが、合鍵を
家主の奥さんが管理するという
条件だった。
協力隊時代、スリランカのハットン
というお茶畑の町に派遣されていた。
のどかなお茶畑が
広がる田舎町だ。
協力隊に参加すると基本的に、
2年間は日本に帰って来ることは
できない。
派遣先はスリランカの田舎町。
スリランカで手に入りそうに
ない、且つ、ないと困りそうな物を、
日本から持っていくことにした。
それは、
生理用ナプキン→日本製は抜群の品質
絵本→可愛い絵本で茶畑の子どもたちと
遊ぶ。
虫刺されの薬→ムヒが大好き
などなど。
ある時、ホームスティ先のタミル家族の
6才の末息子が、
「おばちゃん(私)の部屋にある
ぞうさんの本読んでよ」
と、言う。
え?キミにあの本見せたことないよな、
え?私のいない間に勝手に部屋に
入って色々見てたのか?
すると、また、別の日に、
13 才の長女が、
「おばちゃん(私)の部屋にある
白いクリームは、何のクリーム?
スーッてして気持ちいい、もっと
かして〜」
って、キミも私の部屋に入って、
勝手に私の貴重なムヒを使って
たのか?!
彼らは全く悪気なし。
私のホームスティ先のタミル家族に
プライバシーというものは
なかった。
よく言えば、私も家族の一員として
認めてもらっていたということか。
しかし、ハットンでの暮らしと、
協力隊としての活動に
疲弊していた私は
ブチ切れたのだった…。
山登りは好きだが、冬山は苦手。
当たり前だが、冬の山はめちゃくちゃ
寒い🌬️
腰痛怖い夫と私は、暖かくなって
から山に行く。
と、いうことでまだまだ寒い今日は、
ご近所ぐるぐる歩いて、
暖かくなった日の山登りに備える🚶


梅の花が咲いていた。
お茶を頂く。

神社を出てしばらく歩くと
椿の花が満開。
1万歩。
今日の夕飯のお買い物して
帰宅〜。

