就職は子供服販売からOLへ、マイヒストリー⑥ | アンティーク素材であなただけの特別な手作りお守りブローチ【asanui あさぬい】

アンティーク素材であなただけの特別な手作りお守りブローチ【asanui あさぬい】

私らしくお洒落を楽しみたい。希少な材料で特別なもの。身に着けるだけでお守りみたいなブローチ、布小物を作っています。

朝川 里美です。
 
 
母方の祖母が一緒に暮らすことになり、
アパート住いだったため、
隣の部屋が空いて実家と2軒つづきで生活することになります。
 
私はおばあちゃんとの二人暮らしが始まります。
初めて自分の部屋が出来る嬉しかったことです。
 
おばあちゃんからお料理を少しだけど教わります。
白菜と豚肉のごった煮や
焼きなす、
煮しめが好きなのもおばあちゃんの影響。
 
母の手料理の記憶は
共働きで忙しかったのと
父のいる家では穏やかではありませんので、
お総菜やさんのからあげぐらいしか覚えてないのです。
 
 
 
 
●就職した子供服の販売
電車で1時間ぐらいのお店に配属が決まりました。
2交代制で夜遅くなるのがきつかったですが、
やりがいがあり希望に満ちていました。
 
ディスプレイの研修中です。
 
マタニティーとベビーの担当になり、
母親になることをいろいろ学びました。
私は子供はいませんが、
多少は妊婦さんの気持ち分かるようになったかなと思います。
 
ご出産お祝いや
お客様の赤ちゃんに出会うたびに
可愛くて幸せなお仕事だなあと誇りに思ってました。
 
 
お熨斗を筆ペンで書くことや
ラッピングも練習したので上手になったと思います。
 
→これもハンドメイドのお仕事に役立っていますね^^
 
 
絵本コーナーの担当にもなり、
発注をするようになります。
「ウオーリーを探せ」が人気でしたね。
 
小さな子供たちとの触れ合いは楽しかったです♡
 
 
アパート暮らしで近所の小さな子供たちと
いつも遊んでいた私でしたので子供好きです。
 
 
同期のメンバーとも笑い声が絶えなかったね。
彼女たちは先に辞めていくのですが。
 
夏はキャンプに職場のみんなで行ったり、
先輩方と楽しく過ごしていました。
 
友達と東京ディズニーランドへ遊びにも行きました。
働いたお金で充実していました。
 
正社員ですが今のパートとほぼ同じお給料でした。
安い時代でした。
年俸制100万という決まりになってました。
 
初めてのお給料で皮のバッグを買いました。
コツコツと貯金もしていました。(笑)
働いて家にお金を入れることが親孝行と思ってました。
 
お仕事帰りには
梅田に立ち寄っては洋服を買うのも楽しみでした。
自由に好きな服が買えるって嬉しかったですね~。
 
 
 
 
職場は女性のみ10人ぐらいいました。
派閥に分かれることがあり、
 
ある日、先輩が私にどっち派につくのか?聞いてきたのです。
 
そのまま答えられず、
ショックで私はトイレで泣き出しました。
(今じゃあこれくらいのことで泣きませんけどね。笑)
 
 
もうこの職場はいい。
 
通勤時間がかかること、不規則な勤務も続けるのがしんどかったし、
辞めることにしました。
 
今思うと
販売、接客のお仕事は本当に好きでした。
 
 
 
●次の会社は土日休み17時退社の
OLに転職です。
 
自動車会社のフロント業務。
お客様へお茶を出していました。
 
日本茶の入れ方も知らなかった私は
親ぐらいの年齢の女性上司に教わって勉強になりました。
 
人間関係の悩みはどこにでもつきもので、
またもや壁にぶつかります。
 
辞めたいんですと話す私に
その女性上司から
 
「あんたはお妃さまかあ?」と
あっけなく言われ、
 
根性のない私にカツを入れてもらったわけです。
やめません。
 
 
そして、職場で知り合った旦那さんです。
2つ年上ですが、
仕事ぶりを見ているので同僚のように見えたり、
面白い人という印象でした。
笑える人が良いのです♡
 
その後、彼は転職しました。
 
10月10日 私は24歳で結婚します。
 
マイヒストリー⑦へつづく
 
今までの