マイヒストリーを少しずつ思い出しながら書いていきますね。
良かったらお付き合いください。
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昭和44年11月29日 兵庫県神戸市生まれ
仙台出身の父と兵庫県出身の母です。
未熟児で生まれ、保育器に入っていて大変だったようです。
現在、元気でいられることも両親に感謝します。
里美の名前は母方のおばあちゃんがつけてくれたそうです。
○生後4か月ぐらい
母方のおじいちゃんが病床で小さな私を可愛がってくれたそうです。
「里美、手相を見てやろう~」
そんなことを言いながら私の手を握ってたそうです。
(母曰く)
初めての女の子の孫です。
おじいちゃんはその春に他界しました。
○2~3歳ぐらいの私と母です。
大阪万博のころですね。
乗り合わせたバスで知らないおばさんから
目が吊り上がっている私を気の強そうな子と言われたそうです。
母の記憶の中で残っている出来事です。
鼻ぺちゃで可愛い顔とは言えない(汗)
母にしたらショックだったに違いない。
父は二重まぶたで大きな目
母は鼻低く細目だけど目元は吊ってはいないんですが、
誰に似たの?笑
○幼稚園時代
お風呂のないアパートに住んでいて目の前にあった
カトリック系の幼稚園に通います。
たまたま私学というか。
入園テストで絵を描くのですが、
私は丸をたくさん描きます。
これは卵と答えたそうで、
でも先生からはこの子は少し知恵遅れ?と言われたそうです。
母は心配だったらしい。
マリア様がいつも見守ってくれるような、お祈りの時間が好きでした。
お砂場遊びも楽しかったです。
お遊戯やなわとびはとても苦手です。
「さとみ」と粘土で文字を作るのですが、
「と」
だけ反対に書いてしまうと母が言ってました。
仲の良い気の合うお友達はひとりはいました。
可愛くて優しい女の子です♡
卒園後、小学校が分かれてしまいそれ以来会っていません。
幼稚園時代に書いたであろう。
母の日の絵も出てきました。
○4つ歳下に妹が生まれます。
小顔で二重のお目めの可愛い子です。(左が妹、右が私)
○絵を描くのが好きでした。
日向ぼっこしながら玄関先でひとりで絵を描いてました。
オルガン教室に習いに行くものの、左手の演奏が出来なくて諦める。
母にコンコンと説教されて、
もう2度と通うことはないよと釘を刺された。
オルガンはやめました。
住んでいたアパートの2階の絵画教室に通う。
油絵でクマのぬいぐるみを描いてます。
とっても気に入ってました。
あとお習字も結構好きでした。
楷書を書くところまでたどり着いて、
小学4年の引っ越すまで通っています。
小学1年の時、動物園の写生大会
きりんを描くのに実物がおもしろくないと感じて、
看板の求愛のキリンを見て描く・・・。
入選してます。(・・;)
看板の真似をしていますね。
大人になって気付きました。
人と違うことが好きなのはここからでしょうか?
小学3年生ぐらい?
粘土で動く人を作ります。
ボールを思いっきり投げているポーズ
先生から褒められて教室で飾ってもらえました。
飾ってたのは2人だけでした。
小学6年ではレリーフやちぎり絵?
評価は一番良かったです。
今もこれは持っています。
算数、体育はできませんが、絵やデザインは得意のようでした。
○お友達の誕生日会に呼ばれた時、
プレゼントは買うことがほぼなく、
家になる鉛筆1ダースを包んで持って行くことに、
恥ずかしさを感じてました。
なんでうちは貧乏なんだろう?
わからない子供心です。
大工さんの父、
内職をする母です。
お給料は安定しません。
後々、考えると
始末する。
ものを大切にする母の教えでしょうね。
あと銭湯通いしていました。
よそのおばあちゃんが可愛がってくれました。
おばあちゃんはポーチをくれました。
嬉しかったですね。
フルーツジュースも良く飲みました!
○父方の故郷へ
仙台へ叔父さんと二人で出かけます。
小学2年生ごろ。
新幹線2本乗り継ぐ時代でした。
水色に赤いイチゴの刺繍のワンピースと赤い靴を履いています。
お気に入りでしたので覚えています。
夜中、夢でホームシックになって泣いています(笑)
東京経由で上野動物園でパンダを見るのですが、
お昼寝中でおりませんとのこと。
がっかりしたのだけ忘れません~(;´・ω・)
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